第1話 沖田くんの秘密
「やば!今年のウチら、ちょー運ついてない?」
「それな!ってかあのビジュ近くで拝めるとか神すぎ」
教室の中はキャッキャ、キャッキャと女子たちの甲高い声で溢れかえっている。
朝だというのにどこからそんなにも元気が出るのだろうか。未だに重たい瞼を擦る千花は静かに自席に座る。
橘千花。都会の端っこにある
高校生イコール
寝癖を直しただけの長めに下ろした髪、校則に則った丈のスカート、クマのキーホルダーのみちょこんとつけられたシンプルなスクールバッグ。
普通だなと我ながら思う。
オシャレに興味が無い訳ではないが、それに時間をかけるよりか、ぎりぎりまで睡眠を確保したい。
新年度になってから数日、皆だいぶ慣れてきたようで、既にいくつかのグループができてきている。
これからの学校生活が楽しくなるか否かは出だしが肝心だ。
しかし、千花にはあまり関係ない。
「千花、おっはよ♡」
ゆったりとした声の主は中学からの友達、星乃だった。
ふんわり巻かれたボブカットは千花には持ち合わせていない大人っぽさが漂う。
イマドキJKというよりかどこか魅惑的なオーラの星乃は、千花の前の席に着くとくるりと体の向きをこちらに向ける。
「おはよう、星乃。あれ、いつもとどこか違うような?」
「さすが千花ね。実は新作のマスカラ使っちゃったのよ」
唇を尖らせてウィンクする星乃は、高校2年とは思えない色気を感じる。
周りの女子たちは、模範解答レベルでどこにでもいそうなJKとやらをしているのに、そんな周りには流されず自分らしさを確立している星乃が千花は好きだった。
そんな星乃は、顔の向きを窓側へと変えると軽くため息をつく。
「はぁ、今日も朝っぱらからイケメン君は人気者ねぇ」
千花はチラリと星乃と同じ方向へ視線を送る。
そこにはクラスの女子に囲まれた美男子、沖田茜がにこやかに座っている。
茜は入学してすぐにファンクラブができるほどの人気ぶりで、去年のバレンタインデーは靴箱に机の中、ロッカーの中など入る余地のある場所は全てチョコレートで埋め尽くされていたという武勇伝を持つ。
さらに行事では、毎度先輩からも同級生からも写真をせがまれ、いつの間にか長蛇の列ができるとかなんとか。
他クラスだった千花さえも噂でよく耳にするほどの有名人と、どうやら今年は同じクラスになってしまったらしい。
「ほんとにすっごくモテるんだね。びっくり」
「イケメンで成績優秀ならそりゃあモテるでしょ〜。誰にでも愛想いいし」
襟足の長すぎない少し癖のある髪は彼だからこそ似合うヘアスタイルなのだろう。
長めに残し大きく流した前髪は重すぎず、爽やかさがより強調されている。
目鼻がくっきりとした端正な顔立ちの茜はいわゆる正統派イケメンで、誰が見ても好青年という印象を持つだろう。
制服さえも着こなしている様は、やはり周りの制服に着られている感の否めない男子たちとは違うオーラを持つ。
(きっと性格も紳士なんだろうな)
面倒事は避けたいゆえに、話しかけようとは思わない千花が何となくそんなことを思った時、耳にチャイムが響く。
先生が教室に入ってきてホームルームの時間が始まればすぐにそんな考えも忘れ、千花の脳内は勉学モードへと切り替わった。
***
「あー、今日も疲れたぁ」
放課後、部活に属していない千花は、学校を出た後、すぐさまバイト先へと向かう。
千花は平日ほぼ毎日バイトを入れている。
居酒屋なので基本的にバイト時間は夕方から夜である。そのため、学校終わりからしか参加できない千花にとっては好都合物件だった。
その代わり、家に帰るのはどうしても遅くなってしまうことが唯一のデメリット。
そんな時間に女の子が1人で外を歩いているなんてと心配される時間帯に帰宅する毎日だが、千花のことを心配してくれるのはこの世でたった1人、弟の壱成だけだろう。
『姉ちゃん、あんまり無理しないでね』
朝露のように透き通った瞳は、今日もきっと千花の帰りを待ち続けているのだろう。
「今帰るからね〜!」
うーんと背伸びをしながら、記憶の中の弟に呼びかける。
重かったはずの身体は、今だけ疲れを忘れたかのようにすいすいと足取りが軽くなる。
我が家までもう少しと迫った住宅路に差し掛かった時だった。
僅かに白い光を放つ電灯が見える範囲で2、3本しか立っていない薄暗い視界の向こうから5、6人程の集団が見えた。
蛍光灯の僅かな光のみでぼんやりとしか見えないが、どうやらこちらに近づいてきている。
居酒屋に向かうサラリーマンの集団だろうか。
そう思った矢先、千花はピタッと足を止める。
今にも消えかかりそうに点滅する青白い光に照らされたその集団は、四足歩行で黒い毛皮をまとっている。
頭からは毛だらけの三角耳が生え、再び暗闇の中に紛れたと思えば、12個の赤いまるまるとしたものがこちらを見ている。
千花の見たものは人ではなく獣―――狼だった。
じゅるりと
初めはゆっくりと歩いていた獣たちも千花を見つけるなりスピードを上げてこちらに駆けてくる。
「はぁ、またか……」
思わず腹の底からため息が出る。
駆け寄ってくる大きな犬のようなものたちに対し、千花はその場で腰を低く構える。
瞼を閉じ大きく深呼吸をすると、迫り来る獣たちを睨みける。
「来い!」
千花の掛け声とほぼ同時に、一体がものすごい勢いで飛びかかる。しかし、その黒い毛の生えた首に千花の渾身の蹴りが入る。
キャイインと犬のように鳴いたそれは見事に千花の視界の外へと飛んでいった。
「ほら次!来るなら来い!」
次から次へと飛びかかってくる狼らしきものを、千花は何の迷いもなく、飛び蹴り、膝蹴り、かかと落としとどんどん飛ばしていく。
何度も立ち上がる獣たちを同じ要領でばったばったと倒していけば、そのうちどれも動きを止めた。
「はぁ、今日はついてないなぁ」
動けなくなった五体を眺めながら千花は思った。
はぁと少し深いため息をついて、冷めてしまったろう夕食の元へと足を運ぼうとした時、千花は違和感を覚える。
今ここにいるのは五匹。
しかし、千花が初めに見た瞳の数から考えると……
「あれ、残りの一体は…」
その時、背後からうなり声が聞こえる。
振り返った時には既に牙をむき出しにして千花の頭に被り着く寸前。
(間に合わない…!)
目の前に鋭い牙が迫った時、ザシュッという音が千花の耳に響いた。
その音と同時に、赤く生温かい液体が千花の頬へと降りかかる。
「わっ」
驚いて尻もちを着くと、千花に飛びかからんとしていた狼の首がごとりと地面に落ちていた。
何が何だか分からずにただ濡れた頬に手を添える。
するとカチャンという金属音がなった。
音の方へ視線をよこせば、そこには腰に日本刀をさした青年が静かに立っていた。
スラリとした背丈に、少し癖のある髪は後ろでちょびっと結ばれている。
赤いラインが入っているパーカーもズボンも地は黒色で、返り血を浴びたかさえ分からない。
顔は白い正方形の布で隠されていてその表情は読み取れない。
「あの……!」
千花が声をかけようとした時、どこからともなく風が吹いてきて薄い布がひらりとなびき、その横顔が
隠されていた綺麗な顔立ちに、千花は見覚えがあった。
「え、沖田くん……?」
一瞬見えただけだったが、それは確かに同じクラスの人気者、茜だった。
そっくりさんだろうかと思ったが、あれほどの顔面はそう簡単に出会えない。
どうやら千花の独り言には気づかなかった茜は、再び白布に表情を隠した後、そのまま暗闇に姿を消した。
いつの間にか茜に切られた狼も千花の倒した狼たちも消え、確かに飛んできた血しぶきも跡形残らず無くなっていた。
「どういうこと……?」
蛍光灯の光だけが座る千花の頭を照らしていた。
***
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