第25話 竜の行方

 ――ああ、よく生きて、よく働いた!

 ――とても、とても長かった。

 ――とても長い時間、よく働いた。

 ――わたしは、とても働きものだった。


 ――わたしを知る者たちが減ってしまったのは少し悲しいけれども、それでもわたしはよく働いた。

 ――みんなが魔法使いと一緒に、わたしを生かしてくれた事も知っているよ。

 ――わたしの死んでいる間はとても寒くて冷たくて、寂しい季節だからね。


 ――だが、少しだけ。

 ――少しの間だけ、眠りにつこうと思う。

 ――休みだって必要だ。眠る時間がね。

 ――ずいぶん働いた。

 ――この体にも、とうに限界がきている。

 ――これ以上ここに居れば、わたしはこの世界ごと壊れてしまう。


 ――なあに。わたしがいなくなっても、わたしが働いた時間からすればほんの少しの辛抱だ。

 ――寝坊はしないさ。わたしは、働きものだからね。


 ――でもひとつだけ、困った事に。この声は、もうみんなに聞こえないらしい。

 ――誰か、わたしの声を聞き届けてはくれまいか。

 ――わたしの、願いを。







 シラユキからの無線電話は、ザザーッという音とともに聞こえなくなった。


「あっ。切れちまった」


 まるで無線が切れたようにカナリアは言った。どうやら繋がったのは少しの時間だけだったらしい。だが向こうもこちらのいる世界を把握しただろうから、また繋げられる事は可能だろう。

 ウィルはひとまず安堵した。

 あとはこの場をどうにかするだけだ。


「これが、これが竜だって? だ、だけどこれは生きてるのか!?」


 トウカは信じられないといった顔で、目の前の骨を見る。


「これは一部分に過ぎない。ただこの世界が竜の生死と連動しているのなら、竜は立ち去ったわけでも死んだわけでもなく、生きているんだ……。この状況だと、生かされ続けている、の方が正しいな」


 竜が、解釈ではなく本当の意味でこの世界とともにあるというのなら。魔法陣の中心にあり、この世界の食物や資材を生産する核として機能しているという仮説も説明できる。

 もしかしたら農業や酪農で腐れ谷化が防がれているのも、ある程度関係があるのかもしれない。


「そんな……。そんなことが」


 トウカも困惑したように、目の前の光景を見つめている。


「んー」


 ゴーグルを通して、カナリアがまじまじと骨の周囲を見回す。

 ゴーグルの画面は分析モードになっていた。通された管を分析し、どこへ繋がっているかを推測する。中にはシリンダーに入った緑色の液体もあり、そこからも更に繋がっている。


「たぶんこの管を通して、生命維持をしてるんだと思うぞ。この場合だと生命維持って言い方も変だけど。この骨が列車を動かすってより、あるとすれば動力とかかな」

「じゃあ、目的としては魔法陣の補助ってところかな……」


 魔法陣を描く指先には、ちゃんと魔力が通っていたらしい。


「いずれにせよこの規模だと、どこかに必ず本体がある。で、一番それらしいのが……」

「あのバカでっかい樹かあ」


 カナリアは相変わらず名前を覚えていないらしかった。


「つまりそれって、竜を殺せって事なのか?」


 カナリアは困ったような顔をして言った。

 ウィルはすぐには答えなかった。その代わりに、いまだに腰を抜かしている運転手へと目を向ける。


「おい、運転手」

「ひっ。は、はい!」

「この列車は誰が作ったんだ。駅長か?」

「い、いえ、確か魔法使い達があのアンシー・ウーフェンと一緒に作り上げたという話で……」

「じゃあ、整備をしてるのは?」

「運転手や車掌が、オースグリフでちゃんとコンパートメントの確認を……」

「違う。列車自体のメンテナンスだ。整備士がいるだろう?」

「そう言われても、これは魔法使いが作ったものですから」


 運転手が困ったように眉間に皺を寄せた。


「まさか、作った当時からこのままなのか!?」

「昔は時折、魔法使いが手を入れていたなんて話もありますけど。当時から生きてるのなんて、トカゲたちのなかでも、もう駅長くらいしかいませんし……」

「……」


 ウィルは何か言いかけて、やめた。

 その途端に運転室のドアから、バァンと音がしそうな勢いで大声が入ってきた。


「敏腕記者ヘイウッド・ペグ、見参!」

「ヘイウッド!?」


 構えたカメラが光を放った。


「さあ! 特ダネはどこ!? なんであたしのことを置いていったのよ、魔法使い!」


 別においていったつもりはないんだが、演技ができそうになかったから――ウィルはそう言おうと思ったが、変に藪の蛇をつつく必要もないと自分を戒めた。危なかった。もう少しで喉の奥から出てくるところだったからだ。


「お前は元気だな……」


 かろうじてその言葉だけが出てきた。

 だがヘイウッドがこうしてやってきたということは、騎乗竜の別働隊が合流したということだ。


「ヘイウッドの姉ちゃん! 別働隊の奴らは?」

「外にいるわよ! だけどそんな状況じゃないのよカナリア! 特ダネは!?」

「特ダネならいまここの下に埋まってるぞ」

「本当!?」


 ヘイウッドがカメラを構えて竜の骨を写真におさめはじめた。こうなると記者は強い。運転手ですら呆然とした顔で記者を見ている。


「で、これなに!?」

「たぶん竜の骨。あと生きてる」

「竜の骨!? しかも生きてるですって! いますぐ編集長に電話しないと!」


「いいのか、これ……」


 だがこれ以上突っ込むのも面倒なのでウィルはしなかった。

 ひとまず別働隊の姿を確認すべく、ドアから覗き込む。開け放たれた外との出入り口の向こうに、騎乗竜に乗った腐れ谷の住人たちが見えた。キラカがやってきて一言、二言、言葉を交わしている。コンパートメントに乗っていた通常の乗客たちは、あらかじめ乗っていた住人たちが抑えているのだろう。

 ヘイウッドはあらかた写真を撮りおわると、まるでついでのように聞いた。


「あ、そうだ。ねえ魔法使いさん」

「なんだ」

「ここに来る間に妙な事があったんだけど。列車を止める以外に何かしたの?」

「何かって?」

「なんか、アンシー・ウーフェンの方向から変な音が響いてるのよ。知らない?」


 聞き返す前に、アンシー・ウーフェンから僅かに聞こえる鳴き声のようなものが耳に入り込んだ。







 窓から見えるアンシー・ウーフェンからは、奇妙な音が響いていた。

 警告音でもなければ警報でもない、何かの鳴き声のような低い音だった。アンシー・ウーフェンに停まっていたはずの列車は、作業員たちを乗せて勢いよく戻ってきていた。

 駅長フリードマンは虚ろな目でそれを見つめ、俯いた。ブラインドを閉める。覚悟を決めねばならなかった。

 どんどんと廊下を巨体が走る音が聞こえてくる。


「駅長、駅長!」


 巨体を揺らして扉を開けたのは、ボオルマンだった。


「大変です! 報告が次々にあがって……、電話も通じないのでこちらに!」

「わかっている」


 フリードマンは頷き、家具の間をすり抜けてボオルマンの肩を叩いた。


「駅に降りる。きみはきみの仕事に戻ってくれ」

「は、はい」


 フリードマンが歩くのを見送り、後ろからボオルマンが続く。


「ああ、魔法使い様も戻ってきてはいないのに、どうしてこんなことに……」


 ボオルマンの嘆きが後ろから突き刺さるような気がした。

 魔法使いはやられてしまったのだろうか。

 逃げてしまったのだろうか。

 彼に竜の秘宝を安定させてもらおうと思っていたことに、気付いたのか。

 それとも、この世界そのものの秘密に気がついたのだろうか。

 ありとあらゆる可能性が頭の中を去来する。

 まだ彼が駅長ではなかった頃、魔法使い達とともに竜に手を加えたあの日。あの日からすべて始まっていた。そして今後も続いてもらわねば困るのだ。


 駅にまで降りてくると、駅員たちが振り向いた。

 その向こうでは乗客たちが駅に殺到し、なにごとか喚いていた。


「駅長!」


 急いで駆け寄ってくる。


「これは一体どういう事なんでしょう」

「大丈夫、大丈夫だ。落ち着きたまえ」


 フリードマンは彼らを落ち着かせるように言った。


「腐れ谷がレールの内側に侵入して、あっという間に……!」

「アンシー・ウーフェンからも奇妙な音がしているんです!」

「不安に駆られた人々が駅に殺到して……」

「魔法使いが居れば、アンシー・ウーフェンも安定するのですよね? そうですよね?」


 自分たちも不安に駆られているのだろう。駅員たちがまくし立てる。


「駅長」

「駅長っ」

「駅長……」


 フリードマン・ドドはその声を聞きながら、返事をすることはなかった。


「……列車を出してくれ。私は、アンシー・ウーフェンに向かう」


 熱に浮かされたように、それだけ言うのが精一杯だった。


「大丈夫だ。大丈夫。きっとなんとかなる」


 それは自分自身に言い聞かせているようだった。

 巨体を揺らしながら、アンシー・ウーフェン行きの列車が停まる線路までを足早に進む。


「あなたが、あなたが居なくては我々はどうやって生き延びればいいのだ。あの悪夢のような季節をどうやって乗り越えればいいのだ。我々は……」


 その声は祈りに似ていた。

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