第14話 アンシー・ウーフェン:下層
アンシー・ウーフェン行きの列車は専用のレールが通っている。
草原を常に周遊する環状線の通常ルートとは違って、アンシー・ウーフェンとこの駅だけを行き来する列車だ。荷物用の車両の他には作業員達が乗る車両が一つだけあり、全員がそこに乗り込んだ。通常の列車と違ってコンパートメントは無く、両側に対面式のソファが並んでいるだけだった。ソファは濃い紫色で、通常列車と違って少し堅かったが、座り心地は悪くなかった。
ここは基本的には荷物のやりとりと作業員たちの移動に使われるだけなのだ。それでも時間が決められている。決められた時間までに荷物の搬入と搬出を済ませるのが作業員とバイトたちの仕事だ。
十時半の汽笛が鳴り、列車はすっかり真っ暗になった草原の中を走り出した。
夜の草原の中は、遠くに灯りが見えるだけだった。それどころか明るい駅舎からどんどんと離れていく。ワトアはそわそわした。他のバイトや作業員たちは全員何も言わなかったし、車両の中はレールの規則的な音だけが響いている。居心地が悪い。
「うおー! めちゃくちゃ近い!」
その静寂をぶち破って、カナリアが外を見ながら言った。
「し、静かにしないと駄目だよ」
ワトアはびっくりしながらも思わず言った。
カナリアは窓から見えるアンシー・ウーフェンにはしゃいでいた。だんだんと近づいてくる姿は駅から見ているよりも巨大で、威圧感があった。
普段見慣れているはずのアンシー・ウーフェンは、ワトアにとっては不気味に見えた。足下の洞では作業中の灯りがあるのだが、それが下から照らし出しているからだ。昼間に見るよりもずっと陰鬱で、これが本当にあのアンシー・ウーフェンなのかと震えた。夜に見る守護竜の樹がこんなに恐ろしいものに見えるとは思いもしなかった。朝起きられないという理由で夜のバイトにしたことをますます後悔しはじめる。
だが他のバイトや作業員は気にしていない様子だった。見慣れた光景なのだろう。
それどころか、カナリアを見て笑いながら話しかけてくる。
「なんだチビ助、アンシー・ウーフェンに行くのは初めてか?」
「はじめてだ! おっちゃんは?」
「はっはは、俺たちなんざ見慣れちまってもんよ! いつも通りにしか見えねぇなあ」
「あの樹から食べ物が出てくるんだろ? どうやって出てくるんだ? 木の実みたいになるのか?」
「おっ、なんだなんだ。そんなことも知らねぇのか」
「ええ? 学校とかで聞いてると思うけどなあ……」
ワトアが怪訝そうな、少しだけ呆れた目でカナリアを見た。
「えっとぉ……」
カナリアはウィルに教えられた『過去』を思い出す。
常識を知らないと言われたときは、神妙な顔をしてこう言っておけ、と教えられたのだ。
「ソダテテクレタヤツが、死んじまってな。兄と一緒に出てきた!」
微妙にカタコトの説明口調で、ぜんぜん会話になっていないことを言う。
ワトアはびっくりして目を丸くした。
「け、結構苦労してるんだね……」
「多分そう」
神妙に頷いておく。ぜんぜん神妙に見えない。
「あ、いや、そうじゃなくて、急になんでそんな話?」
「あー。えっとー。ソダテテクレタヤツは、えーっと、そういうのに疎くて、教えてくれなかったんだ。ずっと引きこもってた!」
「ああ、そういうことかあ」
ようやくワトアは納得する。
「世の中、いろんなやつがいるからな」
バイト仲間の方は慣れたものだ。
「そうなんだ……、どのあたりに住んでたの?」
「わかんねぇ! たぶん草原のどっかだ」
そういうことにしておく。
ワトアはやっぱりそんなことがあるのか疑っていたが、ここまで断言されると納得するしかない。
「環状線の内側って会社がみんな管理してると思ってたけど……そんなことあるんだ」
「え? そうなのか?」
カナリアはぱちくりと目を瞬かせる。
「そうなのって……知らないの?」
「教えてくれなかったからな!」
「無責任だなあ」
「環状線の外じゃないか? それなら会社が把握してなくてもおかしくねぇ。外はほとんど無法地帯だからな」
「じゃあ、多分そうだな。環状線の外だと思うぞ」
カナリアは頷く。
「まさかとは思うが、お前を育てたヤツっていうのは、盗賊団に殺されたわけじゃないよな?」
一瞬、車内がピリッとした空気に包まれた。その緊張感は、敵意というよりも不安に近かった。カナリアは一瞬でその様子を脳裏に焼き付けて把握する。
「……んや、ふつーに年で逝っちまった」
あっけらかんと答えると、ようやく緊張の糸がほぐれた。
「まったく、鉄道警備隊にはもっと頑張ってもらいたいね」
酸いも甘いも噛み分けてきただろう中年男のバイト員たちまでもが、不安に駆られるくらいなのだ。カナリアは直感的に理解した。
「そういや、盗賊団といえばさ――」
ワトアが何か言いかけたところで、列車の中にアナウンスが流れた。
『作業員の皆様、当列車はアンシー・ウーフェンに到着致します。忘れ物のないように――』
「おっ、そろそろ着くぞ。ひよっこども、準備をしておけ」
カナリアは外の様子を眺めた。アンシー・ウーフェンの巨樹はもはや見上げるにも苦労しそうなほどそびえ立っていた。
列車を降りると、そこは巨大な市場のようになっていた。終着駅であるオースグリフから続いているレールだけでなく、他にも二カ所、列車の泊まっている場所があった。既にそこでも忙しく人々が働いている。中から運び出されてきた荷物が外で積まれ、そこから更に木箱に入れられている。あっちの車両に三十、こっちには四十、と数を数えて空の木箱が用意される。
その間を六人のアルバイトたちが進む。
カナリアはちらりとアンシー・ウーフェンを見上げた。その表面は縦に筋が入り、ところどころごつごつと竜の鱗のようにひび割れている。その巨大さを別とすれば、どこから見てもただの樹だ。
だが案内されて洞の中に入ると、景色は一変した。
外から見ると、少なくとも樹には違いなかった。だがその内部は、アルミ製の階段がぐるりと上まで続いていた。上にも足場が幾つも組まれていて、人が行き交っている。内側の壁には支えとおぼしき骨組みが複雑に組まれていて、樹を内側から支えていた。その間を縫うように、何本もの管が束になって通っている。管の中には発光しているものもあり、緑色の光の点が上から下へと規則的に移動を繰り返している。その光は壁の途中に設置された緑色の液体の入ったシリンダーへと繋がっていた。中でぼこぼこと空気が音を出している。列車の外側にあったのと同じものだ。
「まるで塔の中みてーだな……」
外はあれほど雄大なのに、中は人の手が何度も加えられた形跡がある。ただ食糧を採取したり、エネルギーを採取するのに、ここまで大がかりにする必要があるのだろうか。
立ち止まったカナリアの赤い瞳が、吸い込まれるように上を見た。中央部は吹き抜けになっていたが、途中で足場が塞いでいる。壁という壁を這う管はまだその足場の上に続いているようだった。あの上に、秘宝とやらがあるのだろうか。じいっとその目が見つめる。
後ろを振り返ったワトアが、カナリアがついてきていない事に気付いて、声をあげた。
「リーヤ君、みんな行っちゃうよ」
「ん? おう、わりーな」
カナリアは上を気にしながらも、足早に追いついた。
それから軽く説明を受けると、アルバイトたちはそれぞれ散っていった。新人であるワトアとカナリアはペアを組まされ、まずは空の木箱を必要な個数だけ運ぶ役割を命じられた。
二人は空の木箱を互いに持ち、木箱置き場からオースグリフの駅に向かう列車の前へと運んでいく。空とはいえ一つ運ぶので精一杯で、何度も往復するはめになった。ようやく二十個ほど運び終えたところで、ワトアが息を吐いた。
「ふう、ふう……。空だから、ちょっと楽かなと思ったけど……、こ、これは大変だね」
「でもお前、結構でけーのも運べるじゃん」
「リーヤ君こそその小さい体で凄いね……」
少し休憩とばかりに、二人で喋りながら再び木箱置き場へと向かう。
「そういえば、ワトアさあ。列車の中で何か言いかけてたろ。あれ、なんだったんだ?」
「え? ああ……、ほら、昨日かおとといあたりだったかな。新聞見た? 魔法使いが現れたんだって!」
「……。……あー」
カナリアはちょっと顔が固まってから、生返事をした。
完全にやぶ蛇だったのを理解し、意識的に口を閉ざす。
ワトアはその真意に気がつかないまま興奮したのかしゃべり続ける。
「凄くない? 僕、草原新聞の新連載が楽しみだったんだけどさ。楽しみが増えたよ。だって本物の魔法使いだよ?」
「ウン。ソウダナー」
カナリアは動揺しすぎてカタコトになっている。
「いったいどんな人なんだろうね! 盗賊団も追い払ったっていうし、きっとかなり強い人なんだろうなあ」
「アー。ウン」
「もしかして、腐れ谷をなんとかするために出てきてくれたのかなぁ。最近は環状線の近くまで迫ってきてるっていうし、怖いよね」
ワトアは同意を求めたつもりだったのだろうが、カナリアはそうはいかない。
「そういえば、腐れ谷ってなんだ?」
口をついて出た疑問に、ワトアはびっくりして目を丸くする。
「えっ、まさかそれも知らない……?」
「知らねぇ」
二人は木箱置き場にたどり着くと、また空の木箱に手をかけた。
「腐れ谷っていうのは、この草原を囲ってる不毛の地のことだよ。そこにあるものはなんでも、腐ったり朽ちたりしてしまうんだって」
「ふうん?」
「ふうん、じゃないよ! 盗賊団はそこに住んでる部族で、腐れ谷を拡大させようとしてるっていうんだ。そのために、草原を守っている竜の秘宝も狙ってるっていうし……。最近、ずっとそんな話ばっかりでさ。嫌になっちゃうよねえ……」
木箱を膝で抱えて持ち直し、ワトアは続ける。
「魔法使いがいなくなったのも、腐れ谷の拡大が原因じゃないかっていうんだ。汚染されすぎて、魔法が使えなくなったんじゃないかって」
木箱の重さもなんのそので、ワトアはしゃべり続ける。
――だいたい駅長が言ってた事と同じだな。
なら、やはりそれで合っているのか。
駅長フリードマンは正しいことを伝えていたのか。
だがこの国そのものがドラゴニカ・エクスプレス社が実効支配しているなら、国民もそう思っていてもおかしくない。
――うーん。なんっか、ピンとこねぇんだよなー。
アンテナがどうもうまく動かない。
例えるなら――果たしてそれが、この世界に閉じ込められるほどの願いなのかというところだ。
足は既に列車のホームへとたどり着いたが、カナリアが黙ったままだった。ワトアがハッとしたように言う。
「あっ……、ぼ、僕ひとりで喋っててもつまんないよね、ごめんね!?」
焦ったように言うワトアに、今度はカナリアが気付いた。
木箱を置くと、振り返ってニカッと笑う。
「いやぜんぜん! それよりたくさん知っててすげーな!」
「そ、そんなことないよ。い、一応、ここに来るまえにちょっと勉強しただけで……。使うところもないし……」
「いま使っただろ! お前は自信もっていいと思うぞ? あとはもっとシャキッとしろよ、シャキッと!」
カナリアは勢いよくワトアの背中を叩いた。
「あいたっ!?」
「ほらほら、お前らおしゃべりはそのへんにしろ」
ウランが声をかけてきた。
列車の方から二人へと近づいてくる。
「あっ、す、すいません……」
ワトアが相変わらずびくびくとしながら答える。
「はーい」
「ふん」
ちらりと木箱を見て、
「そろそろ時間だ。こいつが片付いたら、休憩に――」
ウランが言いかけたところで、ビーッ、ビーッ、と突然警報音が鳴り響いた。
耳をつんざくような規則的な音だった。
あまりに突然のことで、全員の視線が巨樹へと集中する。カナリアは思わず耳を塞いだ。
「な、なんだあ!?」
その場の作業員たちが慌てて周囲を見たり、巨樹の中からもんどりうって出てきた。ばらばらと巨樹から出てくる人々は、そのまま列車の方へと逃げてくる。
『みなさん、速やかに退避してください。繰り返します。みなさん、退避してください……』
アナウンスが響き渡る。
その間も、カナリアはじっと巨樹を見ていた。
「おい新人! 早く列車の中に入れ!」
「ひ、は、はいっ」
ワトアが列車の中に逃げ込もうとして、まだじっとしているカナリアに気付いた。
「り、リーヤ君。はやく!」
「……ああ、うん」
カナリアは悠長にそう答えてから、踵を返して列車の中へと走った。
列車の中にはアルバイトだけでなく、先に働いていた作業員達も乗り込んできていた。このまま全員が乗るのを待って、駅に引き返すとアナウンスが入った。
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