第21話 腐れ谷の生活と深部

「……さて。それじゃそろそろ、聞かせてもらおうか。お前たちの言い分とやらを」


 食事が終わって住人たちが仕事に戻る頃、ウィルがトウカに目を向けた。

 ヘイウッドは周囲を見回し、盗賊たちの普段の様子に興味津々だった。だが結局はそのまま広場に残ることにしたらしい。メモとペンを取り出して準備を整える。


「駅長の言い分としては、腐れ谷に住む盗賊たちが、領地を広げようとしている。そのために竜の秘宝を奪い去ろうとしている……というものだった」


 誰も何も言わなかったが、ややピリッとした空気が流れた。

 だがそれを振り払うように、トウカが軽く目線を向けた。すぐに不穏な空気は流れ去る。


「僕たちの主張はぜんぜん真逆ですね」


 キラカが横から言うと、ヘイウッドが片手をあげた。


「待って。その前にひとつだけいい?」

「何でしょう?」

「どうしてキラカさんはこの人たちと同じ格好をしてるの?」


 いまさらな事をヘイウッドが聞いてきたので、カナリアでさえ呆気にとられた。


「いや、どうしてってお前……、キラカはそこのトウカと兄弟だぞ」

「えっ!? そんな特ダネどうして黙ってたの!?」

「質問の時間は後でちゃんととりますよ」


 キラカはしれっと答えた。

 その様子が、退路を自分から絶っているように思えた。時間が無いというのは本当なのだろう。だが、何の時間が無いというのか。昨日までは、兄がアンシー・ウーフェンを襲撃するまで、という風に思っていたが、どうも違うように思える。

 やりとりを見ていたトウカが咳払いをした。


「俺達の主張としてはこうだ」

 その言葉に、ウィルは視線を戻す。

「そもそも俺達だって、腐れ谷の拡大を食い止めたい。だが腐れ谷が拡大する原因は、他ならぬあのアンシー・ウーフェン。竜の秘宝なんだ」

「ほう!」

 ウィルは正反対の主張に思わず手を打った。面白そうに目元を歪ませる。

「駅長の言ってた事と正反対だ!」

 カナリアは驚いて目を瞬かせた。

「え、ええっ? どういうこと? 嘘ついてんじゃないわよ!?」

 ヘイウッドは慌てていた。

「だから俺達は、アンシー・ウーフェンを砕かないといけない。これ以上、腐れ谷が拡大する前に!」


 トウカは断言する。

 誰もが黙っていた。

 静寂を最初に破ったのはヘイウッドだった。半笑いになりながら、トウカを指さす。


「わ、わかったわ。あんたたち、本当の事を知らないのね。いい? よく聞きなさいよ。アンシー・ウーフェンはあたしたちの生活を支えてるのよ。エネルギー源であり、魚や肉でさえ実りとして採取できるのよ。野菜からレンガから本の材料に至るまで、みんなお世話になってるの。わかる? 夜や暗いところでも灯りがつけられたり、列車が動くことができるのだってそう。学校でもいちばん最初に教えてもらうことだわ。あたしたちの今の生活があるのは、アンシー・ウーフェンのおかげなの」


 だがトウカは冷たい目でヘイウッドを見返すだけだ。


「だいたい、さっき食べたものだってアンシー・ウーフェンで採れたものでしょう? それなのにアンシー・ウーフェンが原因だなんて! ちゃんちゃらおかしいわ」


 そこまで言い切ってから、ふうふうと息を吐いた。


「じゃあ、実際に見てもらおうか」


 トウカが立ち上がった。


「ウィル、お前たちにも見せたい。ついてきてくれ」


 踵を返して歩き出すと、キラカも立ち上がって後を追った。

 ウィルとカナリアも立ち上がって歩き出したので、ヘイウッドはますますうろたえる。


「ちょ、ちょっとお……」

「早く来ないと置いてくぞー?」


 カナリアが振り返っておいでおいでをする。

 仕方なく、ヘイウッドはそれに続いた。

 三人は兄弟に連れられ、テントの建てられた集落を歩いた。テントは乱雑に建てられているように見えて、きちんと通るべき道が作られていた。

 視界に飛び込んでくる住人たちはみな忙しく働いている。台の上でひたすら根菜を刻んでいる男たち、それを次々とザルに乗せて天日干しにしている女たち。小麦粉を練ったようなものをひたすらこねくり回している男もいれば、それらを二度焼きするために火を見ている女もいる。

 おしゃべりをしながら羊毛を毛糸に加工している少女。巨大な鍋で毛糸を煮詰めて染め上げている、中年の男。その横では老婆たちがロッキングチェアに座り、独特の文様を描きながら分厚い靴下を編んでいる。

 その先では、騎乗竜に餌をやっている子供がいた。「まだ。まだだよ」と教え込みながら、タイミングをはかっている。その隣で座り込み、黙々と騎乗竜の鞍をメンテナンスしている男。少し離れたところでは、弓矢の練習をしている少年たちが見えた。

 盗賊というよりはまるで普通の人間たちだった。

 とうとう最後にたどり着いたのは、集落の外れ。柵が幾つも設けられ、四角く覆われた場所だった。その柵のひとつから、めええ、めぇぇぇ、と羊の声がする。どうやら羊を育てているスペースらしい。後ろにはちゃんと羊舎らしきものも建っている。


「よおし、よし。どうしたあ?」


 集落の男が羊の前にしゃがみこみ、一頭の羊の頭を撫でた。男は近づいてくる一団に気がつくと、はっとして立ち上がった。


「首領! どうされました」

「なに、単に集落の案内さ。いまは大丈夫そうか?」

「例の魔法使いですかい。好きに見ていってくださいよ、踏まれるのは困りますがね。……そうだ首領、この間子羊が生まれたって言ったでしょう、今度また見にきてくださいよ」

「わかった、この仕事が終わったらな」


 トウカの顔は穏やかだが、年齢にそぐわずしっかりと勤めを果たす者の顔をしていた。

 男はその隣に立つもう一人の少年にも気付いて声をあげる。


「キラカ様も。いつお戻りに?」

「昨日の夜、一緒にね」

「へえ! お二人がご一緒なんてこりゃますます縁起がいいや」


 男はにこにことしながら頭を下げ、仕事に戻った。

 それからトウカの案内で別の柵の前まで行くと、地面からずらりとまっすぐに並んだ緑色の植物が目に入る。支柱が立てられていて、それに沿って生育しているようだ。そこへ集落の女たちが土の様子を確認したり、少し穴を掘って何かを埋めたりしている。他の畝では

 だが、ヘイウッドはずっとぽかんとした顔をしている。


「……この人たち、何してるの?」

「なにって、畑を作ってるんだろ」

「えっ!?」


 カナリアの一言にヘイウッドは驚いた。


「本当ならいまの時期は、畑を休ませておくのが良いと言われている。次の一年に向けて、計画を立てるそうだ。だけどここ数年は、それでは追いつかない。だから交代で畑を休ませつつ、こうして豆類を植えてるんだ。こっちでは肥料の追加、向こうでやっているのは選定だ。生育の悪いものは排除して土に返していく」

 トウカがそれぞれを指で示しながら言う。

「ほー。よく研究してるんだな」

「ウィルさんは、畑を作った事は?」

「さすがにこの規模では無いな。薬草を育てる事はあるが、プランターレベルだ」

「へえ。その薬草とやらも気になるな」

「あ~~……」


 さすがにここと違う世界で育てているとは言えない。

 その様子を見ながら、カナリアは振り返る。


「ヘイウッドの姉ちゃんはなんでそんなぼうっとしてんだ?」

「だって、いまどきこんな方法で作るのなんて、相当物好きよ。一年に一度しか収穫できないのよ。趣味でやってるのしか見た事ないし……」


 ヘイウッドは困惑しきっていた。

 アンシー・ウーフェンの実りを享受している者からすれば、わざわざ自分たちの可能性を縮めてまでこうして畑や動物を育てる意味がわからないのだ。


「これだけ作っても、俺達の腹を満たすには十分じゃない」

「じゃあ、どうして」

「だけど、こうすることで多少は回復するみたいだからな」

「回復?」

 ウィルが聞き返す。

「ああ。腐れ谷の拡大が抑えられるんだ。どういうわけかな。……けれども、それも限度がある。ここ十年程度は特に酷い」


 トウカはウィルに視線を戻す。


「来てくれ。俺達がお前に本当に見てもらいたいのはここからだ」


 再び案内された先は、畑の更に奥に設置された厳重な扉だった。番人が立っていて、トウカとキラカの二人の姿を見ると頭を下げた。扉の向こうは丘に続いていた。それほど長い距離ではなかったが、それでもその異様さに薄々気がつき始めた。何かがおかしい。


「ここから見えるのが、腐れ谷の深部だ」

「こいつは……」


 眼前に広がったのは、腐り果てた大地だった。

 だが腐っているという表現もやはり適切ではない。

 そこにあったものが、そこにあるがまま、死んでいる。

 山も川も大地の砂粒ひとつに至るまで、それこそ森も草も、植物の一つとして黒く染まっていないものは無い。黒でなければ暗褐色に沈んでいて、色が混ざり合ったままそこにある。岩までもが染まり、停滞しきっていた。川でさえもがそこに留まり、暗褐色をしていた。

 これが腐れ谷の所以だった。

 だがここでもまだいい方だ。奥の方へ目を向けると、その形すらも崩れ果ててしまっていた。それこそろうそくが溶けたように、だらりと垂れ下がっているものもある。そうして形さえも崩れたその先には、荒野というにも恐ろしい、黒と暗褐色に満ちた死の世界があった。


「……なんだ、これは?」


 ウィルは眉間に皺を寄せた。いままでに見た事も無い光景だった。

 世界が違えば、その崩れ方も千差万別だ。それでもこんなものは見た事が無い。


「間違っても入ってくれるなよ、魔法使い。この深部に捕まってしまったが最後、人間やトカゲの体までこうなってしまう」


 ぞっとするような言葉に、カナリアとヘイウッドが青ざめた。


「凄いな。腐ってるどころか、ここに存在するものすべて淀みきってる。空気から大地から……、停滞しきって、ぜんぜん循環してねぇ」

「おいウィル、全然わかんねぇぞ。どういう意味だ?」

「そうよ、わかるように説明しなさい」


 青ざめている二人をちらっと見てから、ウィルはわかりやすい言葉を選ぶ。


「ひとことで言うと、まったく循環機能が働いてねぇんだよ。要は体に血液が行き渡ってないみたいなもんだ。血管が詰まった先が壊疽したり、壊死するようなもんかな」

「急に怖い例え出してくるのやめないか?」

「そうよ。突然なんなの?」

「お前らが説明しろって言ったんだろうが!?」


 この突然の裏切りは予想していなかった。

 ウィルは少しだけ咳払いしてから続ける。


「要は何らかの理由で、大地の循環が阻害されてんだよ。この地域全体でそれが起きてる。こりゃ、人間ができることじゃないぞ。世界そのものが死にかけてると言ってもいい」

「俺達はそれが、アンシー・ウーフェンのせいだと踏んでる」


 断言するように言った。


「それが、この集落の首領が代々受け継いできた『約束』なんだ。例え盗賊に落ちぶれようとも、この世界の崩壊を止める。そのためにアンシー・ウーフェンを破壊する! そこにお前が現れたんだ、魔法使い!」


 トウカは縋るように続ける。

 カナリアは目を瞬かせ、その姿を見る。


「だから、俺達にはお前が必要なんだ、魔法使い。魔法使いウィル! お前なら、あのアンシー・ウーフェンを破壊できるんじゃないのか。あの街の秘密を解けるんじゃないのか!」


 ウィルは渋い顔をしたまま、首領トウカを見返す。


「頼む、俺達を信じると言ってくれ。破壊出来ると言ってくれ……。お前なら……」


 その声は次第に絶望に沈んだように、小さくなっていった。

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