第20話 腐れ谷での目覚め
目を覚ますと、明るい日差しが上から差し込んでいた。
円形のテントの上部が天窓になっていて、そこから光が差し込んでいるのだ。見た事の無い景色だった。ウィルは思わず飛び起きる。
それでもやっぱり見た事のない景色だった。そこは円形のテントの片隅で、体には布団がかぶせてあった。少なくともベッドの上にはいたようだ。ベッドは硬い木の上に薄い敷き布団が敷いてあるだけだったが、案外寝心地は悪くない。
中央には火の跡があり、小さな炉になっていた。炉を囲むように、テントの円形に沿ってチェストや調理台が置かれている。雰囲気としては遊牧民の移動式住居に近いものがある。テントの上部を支えている木の枠組みからは、乾燥させた薬草や根菜がぶら下げられていた。
目線をやると、横に置いてあるテーブルの上にマントが畳んであるのが見えた。髪を結び直してから立ち上がる。服を直すとマントを手に取り、ばさりと音を立てて羽織った。
テントの入り口を開ける。似たようなテントが幾つもあり、裾の長い服を着た人々が忙しく朝の準備をしていた。一歩踏み出すと、じゃり、と砂のような土のような感触があった。
――ああ、そういえば。
記憶がだんだんと戻ってくる。
あの広大な草原を抜けて、腐れ谷にやってきたのだ。
騎乗竜に乗って走り続け、とうとう環状線のレールを飛び越えてしばらくすると、草原の景色は一変した。青々とした草は唐突に消え、その向こうには岩と砂だけの大地が広がっていた。カナリアは次第にスピードを落とし、目の前に広がる風景を見た。
腐れ谷という名前の割には、むしろ荒野に近かった。
「草原の向こうに、こんなとこがあったんだな」
騎乗竜をとまらせると、肩に覆い被さっているウィルの腕を引っ張る。
「なあウィル、見てみろ。なんだこれ? これが腐れ谷か?」
返事は無い。それどころかぐったりしている。
「ウィル?」
当のウィルは完全にグロッキーになっていた。後ろからカナリアに覆い被さったまま、一言も発することができないでいた。
それと、なんだか妙に停滞感があった。
「あー、駄目だこりゃ。結構揺れたしなぁ」
カナリアはウィルの腕をがっしりと持つと、そのまま騎乗竜から降りた。ずるずるとついでのようにウィルの体も引っ張って下ろす。ウィルは完全に為されるがままになっていた。
それから、追ってきた竜の騎手たちに向かって何事も無かったように言い放つ。
「なー、おっちゃんたちさあ。こいつ、乗りすぎてグロッキーになってんだ。どっか寝れるとこ無い?」
騎手たちはあまりの事に呆気にとられたが、すぐに後を追ってきた首領が手をあげて言った。
「それなら、空いているテントがある」
そしてここに寝かされたというわけだ。
ひとまずテントを出ると、ウィルの姿に気がついた人々が目を丸くした。ざわつきが伝搬し、多くの視線が集まった。驚きや胡散臭さなどその目に込められた感情は様々だったが、いずれにせよ物珍しさが先にあった。
「魔法使いだ!」
子供の一人が叫んだ。
「おれ、知ってんだ! 昨日、魔法使いが来たって!」
「首領! 首領! 魔法使いが起きたよ!」
「兄ちゃん本当に魔法使いか?」
「変な格好!」
次々に喋り倒す子供たちに圧倒されながら、ウィルはひとまずしゃがみこんだ。
「そうだな。魔法使いだ」
その言葉が合図になった。
それから急いで首領がやってくると、ウィルは恨みがましい視線を向けた。
「よう、首領。早くこいつらをなんとかしてくれ」
上から覆い被さられたり、魔法を見せろと両側からねだられたり、結んだ髪の毛を引っ張られたり、マントの中に入られようとしたりと、完全に玩具にされているウィルが言った。
首領が爆笑しながら子供たちを追い払うと、ようやく立ち上がる事ができた。
「あっははは……、意外に大人しいんだな、魔法使い」
「大人しいんじゃない。なんだ、あいつらに氷柱でも落として欲しかったのか」
「それはどこまでが冗談だ? いくら魔法使いでも射貫くぞ」
「はいはい」
この話はここで終わりだと言わんばかりに手を振る。
首領もそれで良しとしたようだ。気を取り直すように咳払いをひとつした。
「では、改めて。ようこそ、魔法使い。腐れ谷へ。俺はトウカ。この無銘なる黙示団の首領をやっている」
「ウィルだ」
互いに名乗ってから、ウィルは目線を宙へと向ける。
「腐れ谷というにはずいぶんと乾いたところだな。それと……」
グロッキーになりながら感じた停滞感は、まだそこら中からしていた。それこそ、この大地一帯から感じる。首領がその目に気付いたが、すぐに制した。
「ともかく後で説明しよう。先に食事でもどうだい。もうひとりの彼女ももう起きてきてる」
首領に案内されて広場の方へと赴くと、カナリアが火にくべられたスープをかき混ぜているところだった。隣でひときわ年をとった老婆がいて、カナリアの混ぜ方に何か言っているようだった。老婆の指示に従い、砕かれた岩塩をぱらぱらと入れている。周りには他の住人たちもいて、既に溶け込んでいた。
その姿に近づくと、カナリアは顔をあげた。
「あ! 起きたかウィル。おはよう!」
「おはよう……、お前はなんでそんなに元気なんだ」
「ウィルは運動とかしたほうがいいんじゃないか」
そんなことを言い合いながら、ウィルは近くに座り込んだ。
「さあ、みんな。手を止めろ! 朝の食事にするぞ!」
首領であるトウカの拍手と声が響き渡った。
そうして、朝の食事が始まった。
住人たちは奇妙な客人を見て興味を引かれたようだったが、トウカもいたせいか言葉は控えめだった。
その代わりに出されたのは小麦粉を練って作られた簡素なパンと、木の椀に入れられた野菜のスープだった。木のスプーンで、中を少しだけかき混ぜる。湯気が立った。スープの中には根菜類と思われるものと、キャベツのような葉が入っている。どうやら何かの肉も入っているらしく、スープには黄色い油が浮かんでいる。
「いただきまーす!」
カナリアが隣で声をあげた。
朝からしつこいんじゃないかと思ったが、すすってみると意外に塩味だった。温かな汁が空きっ腹に染み渡り、体を芯から温めてくれるようだった。パンの方は意外に堅く、他の住人たちもスープに漬けてふやかして食べていた。ここではそうするのが一般的らしかった。
「お口にあいますか?」
ウィルの隣で、聞き覚えのある声が尋ねた。
「悪くはない。よくここに塩があったな」
「岩塩がありますからね」
そう言って隣に座り込む。
「よう、キラカ」
隣を見ながら言ってやった。
キラカは帽子も眼鏡もしていなかった。代わりに、この腐れ谷の住人たちと同じような服装をしていた。民族衣装のようなものなのだろう。
「……驚かないんですね」
「お前の目つきが兄貴そっくりだったからな」
今度はキラカが目を見開いた。
「それにお前、俺に会った時にこう言っただろう」
――『単純な話です。僕の兄があの場に――列車襲撃の現場にいたんですよ。かなり興奮していましたよ。そして、僕だけにこの事実を教えてくれたんです』
「列車に乗っていた、じゃなくて、襲撃の現場にいたという言い方をしたからな」
ちらりと金色の目がスープの根菜を食べるトウカを見る。
「お前だけに教えたかはともかく、お前の兄は乗客ではなく襲撃側じゃないかと思った」
「……なるほど。それで」
キラカは頷いた。
「連載小説はいいのか?」
「先に一週間分を納品してありますからね。大丈夫ですよ」
「一週間で足りるのか」
「さあ、わかりませんね」
あはは、と笑う。妙に気楽だった。そうしてスープを冷ましながら少しだけ飲んだ。
「うん、やっぱり味付けがこれくらいの方がいいですね。ほら、オースグリフの食べ物ってみんな味が濃いでしょう」
「そうだったな。濃いのは苦手か」
「ここで育ってますからね」
朝の、どこかまったりとした空気が過ぎようとしていた。
カナリアがスープを平らげて、鍋の方へと歩み寄る。
「これ美味いな! オレお代わりしていい!?」
「そうだろ嬢ちゃん、もっと食え」
鍋の番をしていた住人が手を差し出す。カナリアは椀を渡し、スープを入れてもらっていた。トウカがそれを見てにやりと笑っていた。
ここが腐れ谷で、盗賊達のアジトであるということなどついぞ忘れてしまいそうなほどだった。夜が明けるまでは、敵対していたとは思えない。ここは盗賊のアジトである以前に、腐れ谷に住む住人たちの集落でもあるのだ。わいわいと、朝の仕事を終えた住人たちがまだ戻ってくる。ウィルとカナリアの姿は住人達の姿に紛れ、あっという間に溶け込んでしまっていた。
「ああーッ!?」
そこへ突然、耳をつんざくような声がした。
これも聞き覚えのある声だった。
「ま、ま、魔法使い!」
「あ、なんだ。お前もいたのかヘイウッド」
予想は出来ていたが、思わず言ってしまった。
じゃがいものような根菜を噛みながら、わなわなと震えるヘイウッドを見る。
「一応、お約束だったので……」
キラカが横で付け加えた。
もんどりうつように、ヘイウッドはウィルに迫った。
「なんでのんきにご飯なんか食べてるのよ! ここ、盗賊のアジトでしょうッ!?」
「そうだな。朝っぱらからうるさいぞ。とりあえず飯の後にしろ」
「そんな悠長な……」
ヘイウッドは完全に困惑していた。
彼女からすればこの状況は特ダネだろう。だがそれすらも忘れていたらしい。そもそも彼女はキラカと魔法使いが何を話すかという取材だったはずだ。それが突然盗賊のアジトに連れてこられ、当の本人たちは優雅に朝飯ときているのだから、困惑しないはずがない。
「ほらほら、飯はあったかいうちに食うのが一番だぞ!」
「ひゃあっ!?」
ぬっと後ろから飛び出してきたのはカナリアだった。いつの間にかヘイウッドの背後に回り込んでいたのだ。
「座って座って!」
「ちょ、ちょっと……」
カナリアは構わずその背中を押した。無理矢理そのへんに座らせると、ヘイウッドにスープの入った椀を渡した。ヘイウッドはまだ何か言いたげだったが、少なくともその匂いが鼻を刺激したらしい。何度かスープの匂いを嗅ぎ、少しだけ飲んだあと、それで大人しくなった。
どうやらこれで本当に落ち着いたようだった。
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