第11話 再び、駅長室
「……」
翌朝、ウィルは泥のような眠りから目覚めると、重たい体を引きずって顔を洗いに行った。眠る前にも水をガブ飲みし、冷たい水を全身でかぶった甲斐がある。着替えた頃にはなんとかコンディションは復活していた。
「……よし。なんとか、なった……」
死んでいた目がそこそこ生き返る。
「そういうとここそ魔法でなんとかなんないのかよー」
酒とは無縁のカナリアが腰に手を当てて聞く。
「二日酔いの魔法か……?」
「どっちかいうと、酒飲んでも酔わない魔法じゃないか?」
「……」
それができれば苦労はない、と心の底から言いたかった。
朝食の時間が始まっていたので、二人は宿のレストランに向かった。入る前に、フロントで売られている新聞紙を二紙手に取る。ドラゴニカ・エクスプレス新聞と、ラックの上の方でそれに匹敵する部数を誇る新聞だ。それぞれ手に持ってレストランに入った。
朝食はバイキング形式で、既に他の客が談笑しながら食事をしていた。
二人はひとまず適当に料理を持ってくる。ウィルは先にコップに入った水を飲み干した。バイキングといっても、サラダの他にオムレツやポテトといった洋食が並ぶだけだったが、それでも種類がありすぎるよりはマシだった。ウィルはパンを二つに割り、たっぷりのバターを塗って口の中へと放り込んだ。目の前では、カナリアがカリカリに揚がったベーコンを口に入れながら新聞に手を伸ばした。
食後のコーヒーでも欲しいと思っていたところで、カナリアが新聞の一点を見つめた。立ち上がって飲み物コーナーへと歩みを進めるウィルのマントを、カナリアが引っ張った。ぐえっと小さな声をあげる。
「……なんだよ!?」
「なんだよじゃないぞウィル。ここ見ろ!」
カナリアは新聞の片隅を見せようとしていた。
「俺のコーヒーは」
「いいから、その前にこれだけ見ろって!」
しぶしぶ視線を向けたウィルは、カナリアの横に一時的に座り、新聞を見た。そこに書かれていた文章を見て固まった。そしてカナリアから新聞をひったくると、その部分を読み進める。横からカナリアが顔を覗かせた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
最後の魔法使い、出現か?
文責/編集長ダイロン・ダダ
ドラゴニカ・エクスプレス発、十二月十六日。
魔法使いという存在はいまや幻になりつつある。
この世から魔法使いがひとり残らず立ち去ってしまってから幾星霜。いまやその名が残るばかりで過去の遺物と成り果て、小説や漫画の中でしかお目にかかることはできない。
本物の守護竜ならぬ守護樹となったアンシー・ウーフェンの巨樹を作り上げ、我々の礎となった魔法使い達はどこへ消えてしまったのだろうか。魔法使いがもはやいなくなってしまったことは周知の事実であり、もはやその姿を知るには物語という虚構に頼るしかない。だがその物語でさえ、作り手の創作の産物であり、その真の姿はいまだ闇のヴェールに包まれている。
だが昨日、他ならぬドラゴニカ・エクスプレスの列車内にてその存在が確認されたのである!
その日、ドラゴニカ・エクスプレスの列車はかの悪名高い盗賊団『無銘なる黙示団』からの襲撃を受けた。近年の護衛数の減少は我が社にとっても憂慮すべき事態だ。そんな隙を狙われたのだろう。だが幸か不幸か、そこに偶然乗り合わせたのが件の魔法使いだというのだ。
魔法使い氏は何も無い空間から未知の物質を取り出したかと思うと、果敢にも『無銘なる黙示団』へと挑んだ。丁々発止の大捕物を繰り広げ、見事に悪賊どもを返り討ちにしたというのである。いささか眉唾にも思える情報だが、これは乗客を含め当社の記者も実際に目撃した光景である。我々は当該時刻に車掌を務めていたというB氏に取材を申し込んだが、「かの事件についてはいまだ調査中であり、詳しいことはコメントできない」と追い払われてしまった。
我が社の事ながら実に素っ気ない態度ではあったが、いずれにせよこの事件はドラゴニカ・エクスプレス本社で起きた事である。懸命なる読者諸君は本社からの発表をいましばらく静かにお待ちいただきたい。よい知らせを期待していてほしい。そして我々ももちろん、この件について独自に取材を開始する事とする。
当新聞社は、この最後の魔法使いが、現在未曾有の危機に瀕しているアンシー・ウーフェンの巨樹を救ってくれることを期待している。この国を腐れ谷とその眷属たる盗賊どもの恐怖から解放してくれることを望んでいる。
どうやら、最後の魔法使いの名はララウバではないのかもしれない――。
追記:ドラゴニカ・エクスプレス社は随時、列車での護衛任務を募集中であある。我こそはと思うものは下記の電話番号まで連絡願いたい。報酬を用意して勇気ある者を待っている。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「クソッ……。あの女はともかく、上にいる奴は抜け目ねぇな……!」
ウィルはいまにも叫び出したいのをなんとか堪えた。
だが掴んだ新聞の端はぐしゃりと潰れた。
「なんか若干盛られてんな」
ウィルが出したのは未知の物質ではなく氷だし、やったのはあくまで追い払っただけだ。丁々発止の大捕物を繰り広げたわけではない。このあたりは新聞独自のアオリ文句というやつだろう。
「……ところで、このララウバってのは誰なんだ?」
ウィルは文章の最後を指さして言う。
「それ、多分これだと思うぜ。『注目の最年少新人文筆家による新作連載小説!』……って」
「……」
カナリアが見せたのは、ドラゴニカ・エクスプレス新聞に匹敵する部数を誇った、草原新聞と書かれたものだった。民間の新聞のようだがかなりの人気がうかがえる。そのうえ、話題沸騰中の作家が新聞で連載小説を載せるということもあり、かなり気合いが入っていた。そのタイトルが「最後の魔法使いララウバ」だった。記事も大々的に載っていて、当の最年少作家の長編インタビューまで載せてある。草原新聞社の意気込みが感じられる記事だった。
「つまり、ライバル社の目玉商品を潰すネタにされるってか」
「良かったな! 現実は小説よりリアル、だっけ?」
「どこをどうしたらそうなるんだよ。それを言うなら事実は小説より奇なりだろ……」
ウィルは今度こそ頭を抱えたくなった。
*
「……本当に、申し訳ありませんでしたな」
「いや……」
駅長室には微妙な空気が漂っていた。
あれから再び駅へと赴いた二人は、駅長室に入った瞬間に謝罪を受けた。こうしてソファに座った後も、駅長フリードマン・ドドは神妙な顔つきで申し訳なさそうにしていた。少なくともこの態度は本物のようだった。
カナリアもこの空気に辟易したようにそわそわしている。
フリードマンはしばらく次の言葉に窮していたが、やがてごほんと咳払いしてから顔をあげた。
「……我が社の新聞部は独立しておりましてな。子会社のようなものなのですが。まさかあなた様の許可を得ぬまま、こんな記事をあげてしまうとは露ほどにも思わず……
「……いいさ。ここにはひとまず、俺の容姿は載ってないからな……」
そこはウィルの容姿だけで追いかけてきた女記者しか知らぬ情報なのかもしれない。その点においては安心材料だった。今後、あのとき列車に乗っていた乗客たちが証言しないとも限らないが、そこは自分の運を信じるしかないだろう。だがウィルがひとこと言えば、ドラゴニカ・エクスプレス本社が総力をあげて探し出しそうな勢いだ。それはそれでどうかと思った。
「それで、昨日の話なんだが」
ウィルが自ら話を戻すと、フリードマンもどこかホッとしたような表情になった。
「とにかく、まずは話を聞かない事にはどうにも返答はできん」
「なんか助けてほしいって話だったよな?」
「ええ。記事にも書かれていたので、既にお二人には周知の事実かもしれませんな。……この国は、二つの脅威にさらされているのです」
フリードマンは真剣なまなざしで二人を見た。
「一つ目が、ご存じの通り。あなたがたの乗った列車を襲った『無銘なる黙示団』。これに関してはもはや説明は不要でしょう」
その大きな指を一本立てる。
「そして二つ目。これが、腐れ谷の浸食です」
指が二本になった。
「この腐れ谷は、『無銘なる黙示団』――我々は単に盗賊と言っておりますが、彼らは腐れ谷を根城とする部族でもあるのです。腐れ谷は年々、この草原を浸食しています」
「じゃあ、なんとかの巨樹っていうのは……」
「アンシー・ウーフェンの巨樹。それは我々が、魔法使い様とともに作り上げた最高のエネルギー機関――そして同時にこの草原を守るための最後の砦なのです」
フリードマンは立ち上がり、巨体を揺らしながら窓へと歩いた。
ブラインドに手をかけて、きぃきぃと音を立てながら開ける。その向こうに、巨大な樹がそびえ立っていた。
「やっぱこの樹がアンなんとかの樹だったのか! でけーな!」
「そうです。この樹は畑や漁を介さず豊富な食材を生み出す樹でもあります。俗な言い方をすれば、食べ物のなる樹です」
「……信じられないな」
「おや。ですが、この国で生産されたものはすべてこの樹で採れたものですが……」
「……肉でさえも?」
「ええ、その通り。野菜だろうが根っこだろうが、魚だろうが肉でさえも。食材であればどんなものでも!」
それでもやはり、いささか信じられない話だった。
だが窓から見える景色には、畑らしきものはひとつも無かった。代わりに、列車の通っているレールはあった。斜めに通っているものもある。樹の幹の部分では、中から取り出されたとおぼしき収穫物が箱に詰められて列車に乗せられるのが見てとれた。
「……?」
僅かにその景色に違和感を覚える。
何がそう感じたのかはわからない。だが、奇妙なものを感じた。
なんだろうと身を乗り出そうとしたが、それよりも先にフリードマンがブラインドを閉めてしまった。仕方なく、背中をソファに戻す。
「……そういえば、守護竜に例えた話もあったな」
「ああ。それは、古いおとぎ話ですね」
「へー。どんな?」
フリードマンは頷いた。
「かつてこの国の人々は、竜という名の巨大な生物と共に生活していたといいます。この世界は竜そのものであり、人々は竜を崇め、友とし、ともに食事をし、眠り……。その生活の傍らには常に竜がいたといいます。それが、草原竜とも呼ばれる守護竜でした」
「……」
ウィルは無言のまま話を促す。
「ところが、その竜がある時この世界を立ち去ってしまったのです。あるいは、あの忌まわしく恐ろしい腐れ谷が広がった途端に、でした」
「それで魔法使いが作ったのがあの樹、か?」
「その通りです。あの樹は竜に代わる、新たな
「……」
「おお、そうそう。竜はドラゴンともいいましてな。ドラゴニカ・エクスプレスの名前にもなっているのです」
「へー」
カナリアは納得したように頷いた。
「それで――その盗賊と腐れ谷から、樹を守って欲しいと?」
「その通りです」
「だが、一生守り続けるわけにはいかんのだ。俺は――、……俺にも、予定がある」
館に帰らないといけない、という言葉を寸前で飲み込み、ウィルは言い切った。
カナリアの視線がフリードマンを向く。
二人分の視線を受けたフリードマンは、理解を示すようにゆっくりと頷いた。
「……実はここだけの話、大規模な襲撃の可能性が示唆されているのです」
「襲撃?」
「はい。奴らの行動はこちらでもある程度把握しています。この街にスパイが入り込んでいるという話や、他の停車駅でそれらしい人物がいたという話もあるのです。おそらく、近いうちに……早ければすぐにでも、この街へ攻め込んでくるでしょう。現在は列車以外では鉄道警備隊が警備にあたっていますが、それでもすべてをまかなうことはできません。そうなれば……」
フリードマンはそこで言葉を止めた。目を伏せる。
だが次の瞬間には、二人へと視線を向けた。
「……奴らを返り討ちにしていただきたい。あなたの力があれば、奴らを一掃することもできるかもしれない」
「……」
「どうかお願いします。守護竜の樹を、ひいてはこの街を、そしてこの国を守っていただきたい!」
フリードマンは頭を下げた。
「お願いします!」
ウィルはなんとも言えない目でカナリアを見た。
カナリアは特にこれといった深刻さも無く、ぶらぶらと足を揺らしていた。肩を竦めるように言う。
「まあ、いいんじゃねぇのウィル? もう腹くくっちまえよお」
「なんでお前はそうはっきり言えるんだ……」
「いやいつまでもウジウジしてるから」
「違うが!?」
別にウジウジはしていない。
考えているだけだ。
「もー。いいじゃねぇか別に! 男は度胸っていうだろ!? それとも何か? 魔法使いを名乗ってるくせに、できないっていうのか?」
「あ~~! もう、わかったわかった!」
ウィルは手を前に出し、カナリアの言葉を制す。
「わかったよ、受ければいいんだろ! その依頼、俺が受ける!」
「ありがとうございます!」
フリードマンはあげた顔を再び下げた。
それから二人は何かあれば連絡を貰うという約束をとりつけ、駅長室を出た。
街の広場まで戻ってきてから、先に口を開いたのはウィルだった。
「……おい、なんであんな事言ったんだ」
「えー?」
カナリアはぽかんとした顔でウィルを見上げる。
「あの駅長。嘘は言ってないだろうが、……何か隠してやがる。事は言うほど簡単な話じゃなさそうだぞ」
「それはわかるけど」
「わかるなら余計になんでだよ!?」
「こういう時は余計な事は考えず、飛び込む! その方が簡単だろ?」
そのあまりに脳天気な返答に、ウィルは怒りとも呆れともつかない顔になった。
「お、お前……。お前、ほんっと……」
「ほらほら。とりあえず鞄買いに行こうぜ! 昨日買いそびれただろ!」
カナリアは固まるウィルの背中を叩き、商店街に向けさせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます