第10話 再来の敏腕記者
それから少し前の話。
女記者ヘイウッド・ペグが魔法使いに逃げられたと知ったのは、意外に早かった。列車がすぐに動き出すといっても、ここは終着駅でもある。荷物の点検やゴミの収集などきちんと行われている。客のいないコンパートメントは清掃が入るし、いつまでもドアの前で睨みをきかせたヘイウッドが怪訝に思われなかったはずはないのである。
開かないドアに、開けっぱなしの窓。
問題のある客がそのまま出て行ったのだくらいにしか思われなかった。実際のところはボオルマンを通して「客は捕まったから問題ない、ドアだけは開けられるように」と通達があった。かくしてヘイウッドがどれほど騒ごうと流されてしまった。
そうしてヘイウッドは怒りのままに、ドラゴニカ・エクスプレスの新聞社へとすっ飛んで帰ったのである。階段を駆け上がり、新聞社の入る階へと転がるように飛び込むと、勢いよくドアを開け、上司であり編集長であるトカゲ、ダイロン・ダダのデスクへ一直線に向かっていった。
「魔法使いが! いたんです!」
ヘイウッドの叫びはオフィスにこだまし、そして誰も気にも留めなかった。ダイロン編集長は、だるそうにライバル社の新聞に目を通していた。新聞をめくり、その目だけは鋭くライバル社の紙面に向けられている。
「ほおっ!」
とつぜん声をあげたダイロンの声に、ヘイウッドはぐっと身を乗り出す。
「最年少で文壇デビューしたキラカ・ペチカの新聞連載だと! 草原新聞社め、やりやがったな!」
ダイロンは顔をあげると、オフィスの右側に向かって叫んだ。
「おい、小説担当! ドックの野郎はどうした! うちの小説連載はどうなってる!? 大先生への依頼はどうした!」
立ち上がって新聞をたたき付け、檄を飛ばす。
その太い腕をヘイウッドは掴む。
「聞いてください、ダイロン編集長! 特ダネです! 事件なんですよほんとに~!」
「まったく……」
ダイロンはヘイウッドの事などまったく気にせず、落ち着きを取り戻す。再び椅子に座ると、めんどくさそうな目でヘイウッドを見た。
「……ああ、はいはい。なんだっけ?」
「魔法使いがいたんですよ!」
ヘイウッドはきらきらと目を輝かせながら言った。
「……はあ」
ますますめんどくさそうな目がヘイウッドを見返した。
信じていない目だった。
「信じていませんね? 本当なんですよ、魔法使いはまだ実在していたんです!」
ヘイウッドは明後日の方向を見ながら、芝居がかって片手を開く。
「そりゃあこの最年少作家先生の新連載の話か?」
ダイロンはいましがたたたき付けたライバル社の記事を見せた。「新進気鋭の注目作家キラカ氏、新連載の名前は『最後の魔法使いララウバ』!」と書かれている。
「違います!」
その新聞を払いのけて、ダイロンに迫るヘイウッド。
ダイロンはやれやれというように椅子に深く座り込むと、ヘイウッドから顔を離した。
「あのなあ、いいか? 魔法使いなんてのはもうとっくにいなくなって、こうして小説だの漫画だのでしかお見かけできないような連中なんだよ。幻の存在なんだ。学校でやらなかったのか。それを見たなんてなあ」
「私だけじゃありません!」
「はいはい」
「目撃者がいるんです!」
「そんで」
「ドラゴニカ・エクスプレスの列車の中で車掌も見てるんです! 魔法を!」
「なんでそいつを早く言わないんだ?」
ダイロンはころりと言い分を変えた。
「ようやく信じてくれたんですね、編集長ー!」
ヘイウッドが目を輝かせて、ダイロンに迫る。
ダイロンがまた顔を逸らすと、椅子がぎぎぃっといやな音を立てた。
「信じてるのはお前さんじゃなくて、ドラゴニカ・エクスプレスの車掌だ。奴らなら話が出てこなくても仕方ないからな。あいつらは特に口が堅いときてる。同じ系列会社のトカゲなのによう。で、なにがあったんだ」
「よく聞いてくれました! これはですね、私が取材で列車に乗ってレンベーグの停車駅まで行った時のこと……」
「要点だけ言え、自称敏腕記者」
「違います、必要なんですよ! その帰りの出来事なんですから!」
「じゃあ要らねぇじゃねぇか」
ダイロンの言葉を無視して、ヘイウッドは続ける。
「列車に乗っていると、突然轟音がしました。わかりますよね、盗賊団『無銘なる黙示団』の襲撃です。私は奴らを撮ろうと廊下に飛び出しました……そして夢中でカメラのシャッターを切った! そのときです。颯爽と扉を開いて外に飛び出していった人がいたんです。その人がムニャムニャと何かを言うと、何も無い空間にきらきらした巨大な……巨大な、あれはなんだったんでしょう? とにかく、クリスタルのような……氷のような、何かが現れたんです! 何もない空間からですよ! 信じられます?」
「ふんふん。それで?」
「そうしてその人がやったことといえば……指先を盗賊団に向けただけなんです! たったそれだけで、どこからともなく現れた氷のような何かは、ひゅーんっと飛んでいきました……。私はもう夢中でシャッターを切っていました! そうして盗賊団は列車から離れていったんです。あっという間の出来事でした。その場にいた乗客たちはすべてそれを目撃していますし、この時間の車掌をつとめていたボオルマン氏もこの光景を見ています!」
「よし!」
ダイロンは手を叩いた。
それが終わりの合図であり、はじまりの合図だった。
「よくやったぜ、ヘイウッド。お前を半人前から五分の四人前くらいにはしてやろう……。そしてさっさと写真を見せろ、愛用のペンをとるんだ。そうすれば一面トップはお前のもんだ!」
「やったあー! 一面トップ!」
ヘイウッドは両手をあげてぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「で、その写真は!」
期待をこめた目で言う。
「……そういえばカメラのフィルムを壊されました!」
「魔法でか!?」
「いえ、人力です!」
「……」
カメラの裏蓋からフィルムを抜き取られて、それでなにもかもおじゃんになった。
「そういうわけで、魔法使いはまだ生き残っていたんですよ!」
「魔法使いがいるのはわかった」
「ですよね!? だったら――」
「……だったらさっさとその魔法使いを見つけて来い、半人前がぁー!」
「きゃー!?」
机に拳をたたき付けて檄を飛ばすダイロンに、ヘイウッドは吹き飛ばされた。
「それで今度こそ、そいつにちゃんと取材するんだ! それとその記事をいますぐ……」
「やったあー! 私の嗅覚を舐めないでくださいよ編集長!」
捨て台詞を残し、ヘイウッドは新聞社のオフィスから飛び出した。
「おい待て、まだ話は終わってねぇっ! 記事はどうするつもりだ、この――」
ダイロンの声が虚しくオフィスに響き渡る。その声は、オフィスのドアが勢いよく閉まる音でかき消えた。
*
「……というわけで、この敏腕記者である私はあなたの取材を任されたのです!」
「……」
ウィルはひどく複雑な顔で、ヘイウッドを見つめていた。
「記事はどうするつもりなんだ」という気持ちと、「こいつがバカで良かった」という気持ちと、「俺が聞きたいのはそれじゃない」という気持ちが三つ巴になってせめぎ合っている。
あのあとヘイウッドを黙らせたウィルは、彼女を引きずって自分たちのテーブルまで連れてきたのだ。客が増えてきていて、ある意味助かった。酒も入り始めた時間なのも相まって、客たちの視線が逸れたからである。少なくともそう思いたい。
「は~。よくわかんねぇけど、姉ちゃんすごい奴だったんだな!?」
こいつはこいつで何聞いてたんだ、という顔でカナリアを見る。
「……あのな、ヘイウッド」
ふふんと調子に乗っているヘイウッドに、ウィルはなんとか自分を落ち着かせて言った。
「俺が聞きたかったのはどうやって俺達を見つけ出したかの話であって、お前が上司からケツを叩かれた話ではない」
「話聞いてた!? お尻なんか叩かれてないわよ、私は!」
「そういう意味じゃないんだが」
比喩の意味がぜんぜん伝わっていない。
「とにかく、ええと、俺が聞きたいのは、どうやって俺達を見つけだしたんだってことだ」
「そんなの簡単よ。私、記憶力がとってもいいんだから。それともあなたたちが目立つんでしょ。深い青色のマントを羽織った男の人と、赤い作業着を着た女の子の二人組を見なかったかって片っ端から聞いていったの」
「本当にそれだけか?」
「それだけよ!」
クラクラした。
まさかそんな簡単な手段でその日のうちに全力で見つけ出したというのか。とんでもない運の持ち主だ。いや、行動力の塊と言えばいいのか。そんなのは一人で十分だ。
とはいえ、確かにそれ以外に情報は無いはずだ。無いと思いたい。
「……で、どうしよう? ウィル」
「どうするって言ってもな……」
もう一人の行動力の権化は、一応こういう場面では理解しているのがありがたい。
ウィルは自信満々で鼻を高くするヘイウッドを見ながら、頭の中をフル回転させていた。それからゆっくりとポップに手を伸ばし、下の方でほとんど氷と混ざって味の薄くなったものを飲み干す。
「……まあ、一応、わかった」
ふう、とため息をついてから、ウィルは芝居がかって頭を振った。
「とにかくなんであれ――俺達を見つけ出したことは褒めてやる」
「それじゃあ!」
「その前に! ヘイウッド。お前は酒はイケる口かね?」
「ええ。もちろん大丈夫よ!」
「なるほど」
ウィルはパンパン、と手を叩いた。店員がやってくる。
「まずはホイルスをボトルで彼女に。グラスは二つ。俺には後で、先ほどと同じものを」
注文するウィルに、ヘイウッドが瞬きをした。
「ホイルスですって?」
「まずはここまでたどり着けたその根性と運を讃えてだ。ひとまず飲むといい。そして今度こそ、いい女に酒を奢らせてくれ」
「そんな言葉には二度と──」
ウィルは無言になり、黄金の瞳でヘイウッドをじっと見つめた。「何もしなければいい男」であるその双眸が射抜く。
今度こそ、ヘイウッドもその言葉を真に受けた。
「じゃあオレもホイルスで! あとポテト!」
「お前はブドウジュースでじゅうぶんだ」
それぞれが注文を終える頃には、最初にホイルスが運ばれてきた。店員がボトルを開け、空のグラスに注ぎ入れる。ホイルスは、普通の赤ワインよりも少し暗い赤色をしていた。色味としてはボルドーに似ている。
軽くグラスを掲げて乾杯すると、ヘイウッドは勝利の味を口の中で転がした。だがウィルにとってはここからが本当の勝負だ。まずウィルは自分の架空の生い立ちを話す事にした。架空の師匠とのなれそめを、すべて言わない程度にほんの少し匂わせただけで、ヘイウッドは食いついてきた。
「へえええ。それじゃあなた、お師匠とそれからずっと住んでたの!」
「そうだ。そしてそんな世間嫌いの師匠のせいで、この国の事もさっぱりわからないまま放り出されることになってしまったんだ。こいつと二人でな」
横で山盛りのイモのフライをつまむカナリアを示す。
「……まあ、俺の事はいいんだ」
話を逸らしかけるように、ヘイウッドのグラスにホイルスを注ぐ。
だがヘイウッドはそれを逃すまいと食いついてきた。
次第に調子に乗って飲み始め、テーブルには違う銘柄のワインボトルが二本増えた。ヘイウッドはすっかり上機嫌になっていて、景気よくワイングラスの中身を飲み干す。酔いが回り始めた頃に、ウィルはそれとなく尋ねた。
「そうそう。ところで、ホイルスはアンシー・ウーフェンの巨樹からとれたブドウでできていると聞いたが、どういう意味なんだ?」
「どういう意味もなにもお、その言葉のまんまでしょお?」
ヘイウッドはすっかりできあがりかけていた。
「どういうことだ?」
「あのアンシー・ウーフェンの巨樹はねえ……、この街の中心でえ……この街を支えているのよお。この国の食べ物はみんなあの樹から出てくるのよお。知らないのお?」
「不勉強でな」
「ふーん。ほんとに何も知らないんだ~」
「出てくるって、あの樹ってブドウの木なのか?」
いまいちぴんとこないカナリアが尋ねると、ヘイウッドは笑った。
「ブドウじゃなくて、アンシー・ウーフェンの巨樹よお!」
一瞬大丈夫かと思いかけたが、すぐにヘイウッドは話に戻った。
「巨樹はねえ、あたしたち、ドラゴニカ・エクスプレスが管理する、最高の……なんだっけ? エネルギー機関なのよお。それで列車は動くし……、こんなに豊富な食材が出てくるし……。わかるでしょ、大昔は天候で食糧が左右されてたなんて、信じられないわ……。腐れ谷の盗賊たちが狙うのも当然よ……、あの樹のおかげで、この国だけは無事なんだもの! まさに守護の樹なの。昔話に出てくる、守護竜の巨樹なのよ。この草原の、まさに竜の秘宝なの! あの巨樹が無いと、あたしたちは生活できないのよ……わかる?」
「……ふむ」
どうやらただの樹ではないらしい、というのは理解した。カナリアも理解したらしく、今度は耳ざとく聞いていた。
鉄道会社が管理する、樹の形をした巨大なエネルギー機関。
――しかし、あれが作り物とは到底思えないが。
だがその基本的な所さえわかっていればいい。
「それで――」
ウィルは更に続けた。
「そのアンシー・ウーフェンのエネルギー機関というのは、具体的にどんなものなんだ?」
「それはねえ……」
「……それは?」
「それは……。……知らなぁい!」
ヘイウッドは笑いながら叫ぶと、すっかり酒の力で気持ちよくなったのか、その目が閉じてしまった。テーブルにばたんと突っ伏する。ウィルは少しだけ呆気にとられたが、そうっと彼女の肩を軽く揺すった。ううん、と小さく心地良い声は返ってきたが、
「……酒の力は偉大だな」
ウィルはしみじみと頷いた。
「いいのかなあ、これ」
「奢りには間違いないんだ。納得してもらわねば困る」
ただちょっと酒の力を借りて、眠ってもらっただけだ。
「そっかー」
「そうそう」
「酒に強くなくて良かったな」
「それは本当にそうだ……」
もしザルだのワクだのだったらこの方法は使えなかった。
カナリアが最後のポテトを食べ終わり、ウィルも残ったポップを飲み干すと、同時に立ち上がった。
「じゃあヘイウッドのねーちゃん、風邪引くなよ!」
カナリアが軽く肩を叩いた。
ウィルは店員を捕まえ、少し色を付けて金額を渡すと、こううそぶいた。
「一緒に飲んでいた奴が眠ってしまってな。金は払っていくから、起きたら伝えてやってくれ」
「わかりました」
そうして二人は颯爽と酒場から出て行ったのである。
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