第7話「ビルの中」
高校の始業式をまもなく控えた四月七日、日曜日。
春休み最後の日となる今日、
今回の買い物の主役は、社会人になった阿衣。
現時刻は昼一二時。回った店舗は三件目。過ぎた時間は約二時間。
(ふうっ)
阿衣は今、試着室。待つ間、夢吽は腰を下ろして一息付いた。
店内メロディを鼻歌交じりで聞きつつぼーっとする。
このなんでも無い時間、ふと考える。
初めて登山に行ってから、もうすぐ一ヶ月。
その後も、変界をしに何度か登山に行った。
阿衣が一回目以降積極的になった事もあり、思界力について理解がだいぶ進んでいた。
自分の思界力であるマシンナリーで、なにができるかも大体把握できた。
(でもわたしが〝あんなもの〟作れるなんて思わなかったな。でもあれがあれば、あいちゃんを……)
阿衣との約束を振り返る。
お互いを〝やっつける〟。この目的のため、何が出来るか……
夢吽はポケットから手帳を取り出し、
思界力者から思界力を消し去るには、その思界力者を倒す必要がある。が、それは簡単な事では無い。
思界力者が変界した時に生じるワールドライン。それは、物体を動かしたり、変形を加えるようなエネルギーの九九パーセントを無効化する性質がある。
仮に爆弾をワールドラインに向かって投げつけても、運動エネルギー、化学エネルギー、熱エネルギー等すべてが九九パーセント消失。結果、爆発から来る衝撃はほぼ無くなる。変界状態の者を倒すのが難しいというのはこのためだ。
しかし、倒せない訳では無い。
ワールドラインが何らかのエネルギーを消した時、そこからワールドリーノという素粒子が現れる。
このワールドリーノは、変界した思界力者に溜まっていく。これが一定量に達すると、変界が強制的に終わり(強制収束)、脳に宿る思界力も消える。
これは宇宙の終焉、ビッグクランチと同様の現象によるものと思われる。
(ん-とつまり、変界中の相手にとにかく攻撃して、ワールドラインからワールドリーノをたくさん出せば相手を倒せる、ということだよね)
思界力者の倒し方は解った。
が、もう一つ、別の問題がある。
変界の強制収束を受けた者は、肉体的なダメージは一切無いが、稀に記憶障害や記憶喪失を起こすことがある、という点である。
若い者にのみ確認される症状だというが、それはまさしく阿衣と夢吽に当てはまる。
しかし、思界力者同士の相性次第ではこのリスクは無くなる。
相性の良い悪いは、同じ性質の思界力を持った者、または、肉親。
(わたしたちはどっちも当てはまる。だから、わたしがあいちゃんを、あいちゃんがわたしを同時に倒せれば、リスクも無く思界をなくせる……)
後は倒す手段。
夢吽達が宿す思界力マシンナリーは、自身の一部に機械の性質を与えるもの。この力は、使いこなすにつれバージョンアップしていく。
夢吽と阿衣で互いに〝修行〟しあえば、誰かと戦うような事をしなくても強くなれる。
(あいちゃんはこのやり方で強くなるんだって言ってたけど、ホントに大丈夫なのかな? わたしのならいけそうだけど、あいちゃんのじゃ……)
「おまたせー。どう? 似合う?」
と、ここで悩みを消し去るような元気な声が。
ながらく試着室に居た阿衣の登場である。
藍色のデニムジャケットとカーキ色のプリーツ(ひだ)が付いたロングスカートを身に纏った阿衣は、ずいぶんと得意げな顔だ。
「わあ、かわいいー!」
夢吽は、これまで考えていた事も忘れ、思わず明るい声を出す。
「おー いい反応。じゃ、これにしちゃおっかな!」
阿衣の得意げもさらに増したか、高い買い物を惜しげも無くポンとする。
とりあえず服の買い物は終わり。
気付けばちょうど食事時。ほどよい疲れもあったため、どこかで食事をしようという事になり、このビルの六階にあるパスタ店に腰を下ろす。
「ここはね〜、カルボナーラがイチオシらしいよ」
パスタの注文をしたから一〇分弱。
キノコとワサビの和風パスタと、少し遅れてカルボナーラが先に届く。
「でも付き合わせちゃって悪いね。ゆう、なんかする事あったんじゃない?」
「ん…… わたしはあいちゃんとの買い物が一番したいことだったよ」
なぜか、言葉が詰まってしまう夢吽。
つい、照れが出てしまったか。夢吽はバツの悪さを感じ、会話を作ることにした。
「次は靴屋さんだね。あいちゃん、気になるのあるんだよね?」
「そうだね~ そこにあるかわかんないけど、いってみよー」
パスタを食べ終え、一呼吸。二人分の支払いを済ませ、そのまま三階にある靴屋に向かう。
阿衣の歩みは心なしか軽快だった。
以前から靴にはこだわりを見せていたため、これからの買い物がおそらくメインなのだろう。夢吽は察し、クスッと笑う。
陽気に揃った足取りは、エレベータの前に着く。
待ち時間も無く、エレベーターに乗る事が出来た。小さな事だが嬉しくなる。
「やっぱり靴にはこだわりたいですな~。いままではライブに合ったやつを選んでたから、今日はそれをやめちゃいます!」
「わたしもなにかいいのがあったら買おっかな…… ん――!」
何気ない会話の最中、夢吽は頭の奥に妙な違和感を覚え、口を閉じた。
それは、下にフッと降りるエレベータの感覚でも、窓から指す午後一時の日差しの刺激でも無い。体験した事の無い違和感だった。
「つ、ついたね夢吽。そ、それじゃ行こう」
阿衣の態度も変だった。目を泳がせて先を急ぐ様は、明らかになにか隠している風だった。
「もしかして、あいちゃんも」
「な、なにかした? エレベーターってふわってするからいやだよね!」
阿衣の返事で確信する。
これはきっと、他の思界力者の変界を感知した感覚なのだと。
それとなく聞いてみる。すると……
「う、そうだよ。わたしも初めてだけど、聞いてた通りの感覚だったし」
阿衣はすんなりと認めた。
思界力者の気配があるのは、同じ三階。なんとなくだが、レストルーム(化粧室)が怪しく思える。
間が悪いことに、そのレストルームは、これから向かう靴屋の近くにある。どうしても意識してしまう位置だ。
「ま、こっちが変界しない限りは向こうも気付かないだろうし、気にしなくていっか」
阿衣はこのまま知らんぷりをするという。
現状、街にいるのは悪名高いマーチという集団のみ。
ということは、ここで出くわすだろう相手はマーチの誰かだろう。そんな危険な相手とは関わらない方が、確かに賢明と言えた。
「それに思界力って〝周りに被害は出せない〟からね。てことは、無視しても平気だよ」
阿衣の自問とも思えるささやき声に、夢吽は頷く。
館内アナウンスや、周りの客達の雑踏。それらに紛れ、例の気配が強くなっていく。
と、件のレストルーム前。
……居た。缶ジュースを片手に壁に寄りかかる若い男だ。身体の周囲が光って見える。ワールドラインだ。変界している証拠でもある。
この状態は、周囲からは存在していないと同じ。なら、こっちは向こうの事を「見えない、聞こえない」でやり過ごさなければならない。
(あの人…… こっちを見てるような)
やっぱり気になり、つい男の姿をちらちら覗く。
「そこの君、ちょっとちょっと」
それがいけなかったか。なんと、男が声を掛けてきた。
いや、過剰反応か。ただ独り言で言っているだけかも知れないし、道行く人に意味がないのに話しかけているだけかも知れない。夢吽は冷静になり、そのまま無視を決め込む。
「は、はい! なんでしょうか!?」
なんと、阿衣がまさかの反応を。
……いや、そうでも無かった。
普段は冷静に動けるが、いざという時は結構取り乱す事があることを、夢吽は一番知っていた。
再度落ち着き、夢吽は、ただ、流れにしたがう事にした――
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