第6話「人の形をした宇宙」

 夢吽ゆうは息を整え、インターフォンを押した。

 ドアホンから聞こえる返答の声に、夢吽はホッと息を整える。

 声は、姉の阿衣あいのものである。

 今日は三月一〇日。高校を卒業した阿衣が一人暮らしを始める日である。

 本当の所、実家は同じ区域な上、生活の基盤も変わらないためわざわざ一人暮らしをする意味は無い。

 ……無いのだが、これにはやや面倒な理由があった。

 そもそもの原因は、阿衣。

 親と将来を話し合った際に起きたけんかの末、一人暮らしを決行…… つまるところ家出である。

 だが、けんかといっても既に和解。この部屋を借りる時も親権者の許可をバッチリ貰い、その上このマンションの立地は実家から徒歩五分。

 ……と、やはり一人暮らしの意味は薄い。

 でも、阿衣のそういうまじめなのか抜けているのか曖昧な部分が、夢吽にはかわいく思えていた。


「ゆう~、ひさしぶり!」


 と、ドアが開き、勢いよく阿衣の登場である。

 久しぶりとは言うが、会ったのは昨日。二人で高校に通っていたときは毎日一緒だった反動からか、阿衣には会えない期間を大げさにカウントする癖が付いてしまったようだ。


「まあ入ってくれたまえ!」


 玄関に、おそろいのスニーカーが綺麗に並ぶ。

 まだ荷造りを終えていないキッチン周りを通りつつ、いざ、居間に。


「わぁ……!」


 ドアの先の光景に、夢吽は目を輝かせる。

 なにしろ、広い。

「広く見える」ではない。間違いなく広いのだ。

 明らかに本来のスペースよりも室内が一部屋分ほど広かった。


「これならゆうが来てもよゆうだよ」


 やはり荷造りを終えていない室内は、組み立て途中と思われる運動器具が存在感を放つ。 だが、それでも愛用のギターは綺麗に置かれていた。

 姉らしさがここにも垣間見れ、夢吽はクスリと小さく笑う。


 この部屋は、S4機能を利用して作られていた。

 最先端ともいえる技術を用いた部屋はさぞ高額…… かと思いきや、実際は、一般のマンションよりだいぶ格安。

 S4機能の社会的地位の向上や普及を目指す団体によるプロモーションの一環で、S4利用特別区はこうしたマンションが格安で提供されているのである。


「わたしも四月からここに住むね」

「そしたら毎日セッション、だよ!」


 大げさに抱きつき嬉しさをアピールする阿衣に、悪くない思いを抱く夢吽であった。


 その後は二人で部屋を整理し、早めの昼食をデリバリーで頼み、気がつけば昼の一時。

「あいちゃん、そろそろ行こっか」


 準備も万端、夢吽は意気込み、新品のソファーから立ち上がる。

 ここに来たのは、単に阿衣に会いに来ただけでも、荷造りの協力をしにきた訳でもない。

 自分の中にあるだろう思界力のチャックをして貰うためだ。

 移植してからもうすぐ三週間。

 阿衣との話し合いにより〝ヒーロー活動〟もとい、思界力による戦いは積極的にはしない事になった。しかし、悪意がある者が向かってくる場合も、あまり考えたくないがあるかもしれない。

 そういう時のためにも思界力を今より深く理解した方がいいだろう。

 そこで夢吽は、首藤すとうに「勉強」のお願いをした。

 思界力の基本、扱う上での心構え、そうした授業を阿衣と共に三週間ほどしていた。

 が、勉強といっても知識のみ。

 それを今から、実習という形で復習しに行く訳だ。


「まぁ、夢吽が言うなら仕方ない。さくっと行こっか」


 ソファーから立ち上がり、阿衣がいそいそと身支度を始める。

 テーブルの上の、食べかけのスナック菓子を横目に、夢吽も手短におしゃれを済ます。

 出かける準備は万端。


「いざ!」







「あ、そろそろ坂も終わりそうだよ」




 今、視界には緑の木々が一杯に広がっている。

 ずばりここは、観光地。

 阿衣の住む家から比較的近い、登山に使われる低山だ。


 思界力チェックの為にわざわざ来た訳だが、それにはもちろん理由がある。

 大きな理由は、思界力者は他の誰かが変界(思界力を引き出している状態)した場合、それを察知できる為である。

 もし夢吽が自宅で変界したら、街に潜んでいるまだ見ぬ思界力者に察知されてしまう危険があった。

 ここまで離れれば、ある程度は安心だろう、と阿衣の提案に乗る形でここに来たという訳だ。

 そしてもう一つ。単純に夢吽が来たい場所だったからである。

 この山の登山コースは複数ある。どれを選んでも楽しそうだったが、今は本格的な登山用品は無く、靴もスニーカー。

 阿衣の方も、運動は苦手では無い。が、なにぶん飽き性な所や注意力が散漫な部分もある。

 よって、今回選んだ場所は一番手軽な、舗装された定番コース。


「あいちゃん、ちょっと休憩しよっか」


 そして今、コースの中程まで進んだ所だ。

 休憩所を兼ねた茶屋で一息付き、匂いにつられ串焼き団子を買う。


「よーし、いこ。あいちゃん」


 散策気分で、観光名所を横目にずんずん進む。

 一人でも十分楽しいが、やはり誰かが、それも姉と一緒なら時間が経つのもなんだか早い。

 が、それでも心は完全に観光モード、とはいかない。

 自分に宿っているだろう思界力が、やはり気になって仕方ない。

 ここ数日、何度か話し合った結果、自分たちに宿った思界力は〝捨て去る〟ことになった。

 思界力があるおかげで不要な争いに巻き込まれるなら、無くした方が良い。という阿衣の提案だったが、夢吽の心中は複雑だった。


「でも、いいのかな。力があるわたしたちがなにもしないなんて」

「別に良いんだよ。首藤さんもいってたじゃん。今いるのはマーチって人たちだけだし、もし暴れ回っても、周りにはなにも影響はないって。結局、侵略とか防衛とかだって、それっぽい言葉で雰囲気だしてただけなんだよ」


 夢吽が口にしたわだかまりに、やや食い込み気味の阿衣の言。

 やっぱり、阿衣は敵とも言えるマーチとは距離を置きたいようだ。


「でもまあ、あれだね。戦わないにしても、強くならないとだからね。だって思界力を無くすには…… あ!」


 と、阿衣が手にした串焼き団子を落としてしまう。

 さすがにこれでは捨てるしか無い。

 夢吽は持ってきていたポリ袋に包み、リュックにしまう。


「ごめんよ~ 手が滑っちゃって」

「ほかにもお店があるし、また買えば良いよ」


 やがて、足は山頂へとたどり着く。

 見晴らす景色を堪能し、深呼吸。

 隣の阿衣は、ここまで歩いて体が火照ったのか、上着のファスナーを下げ、襟元をパタパタと仰ぎ出す。


「ふう…… んじゃ、そろそろしよっか」


 ややけだるそうに、阿衣が言う。

 手には、ポケットから取り出したモバホ。


「夢吽、一応確認しておくよ。わたしたちの目的は…… 誰かと戦うためじゃない。あくまでこの力を無くす事」

「うん、わかってる。でも、そのためにも、やっぱり自分の力は知っておかないと」


 阿衣の、あまり見せない真剣な表情に、夢吽は思わずどきっと胸をならす。

 同時、首藤から聞いた思界力の基本を思い出す。


 変界するには、引き金になる行動を取る必要がある。

 思界力によってその引き金は様々で、マシンナリー場合は……


(モバホで好きな人、大事だと思う人の声を聞く、だったかな)


 と、阿衣が耳にモバホをかざす。固唾を呑み、夢吽は阿衣の変化を待つ。


「っと、こんな感じ」


 変界完了。

 阿衣の体…… 正確には周辺が光を放つ。


 思界力は自身が「一つの独立した世界」になる力。

 世界とは、宇宙空間を含む全ての存在を内包した領域。世界は無限に近い数があり、世界の端、言い換えれば宇宙空間の端は〝ワールドライン〟という世界と世界が反発しあうエネルギー領域がある。

 思界力を引き起こした時に生じる光の膜は、そのワールドライン。自身が世界となったため周囲の世界と反発し、ワールドラインが生じるのである。

 この状態は、周囲とはかけ離れた存在、言い換えれば存在しない状態となる。

 認識出来る者は、思界力を持つ者のみである。


「じゃ、じゃあわたしも」


 夢吽は、阿衣をまねてモバホを耳に当てる。

 留守番電話を再生し、聞こえる声は、もちろん阿衣の声。


「わあ…… あいちゃん、出来たよ!」


 自分の周囲に、ワールドライン。その光景に、つい陽気な声が出てしまう。

 でも、自分が世界から孤立した感覚に少し怖くもなる。


「慣れない内はなんかやだよね……」


 阿衣の心を見透かしたような相づちに、夢吽の不安は軽くなる。

 よし、と夢吽は、このまま移動しようと試みる。

 が、それは阿衣に止められた。


「たしかにこうなってる間はいろいろ飛び回ったり出来るけど、それはまた、ここにきた時でいいんじゃない?」 


 あくまで今日は変界のみ、という方針らしい。

 でも、また一緒に来ようという約束にも思え、夢吽はなんだか嬉しくなる。



「うん、そうだね」

「お、そろそろ終わりだ」


 阿衣がそう言った直後、その身から光が消えた。

 ほどなくし、夢吽も元の状態に戻る。

 変界時間は五分から一〇分。この継続時間も、扱う思界力によって異なる。


「んじゃ、帰るとしますか」


 阿衣の一声で、ひとまず今日の予定は終わった――







 帰る足は、電車に移る。

 時間は夕方に差し掛かる。

 電車は快速。人は少なくゆったり快適。

 空いた席に阿衣と座り、ホッと一息落ち着いた。


 窓から見える看板広告をぼーっと眺める。

 電車が動いた。

 目で追っていた看板広告の文字が読めなくなっていく。


(ん……)


 疲れからか、読書をした後のような心地よい眠気がやって来る。

 

「夢吽。お互い強くならなきゃね。強くなったらその時は……」

 

 阿衣の意気込む声が聞こえた。

 が、夢吽は、耳にするのがやっとだった。

 心は既に、夢の入り口。やっとの思いで阿衣に応える。


「うん、わたしがあいちゃんを、あいちゃんがわたしを〝やっつける〟だよね」


 振動を心地よく感じ、夢吽はそのまま眠りについた――

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