第16話 彼女がネットを嫌う理由
「――ッ! 弾いたわね!?」
意識が強制的に学寮に戻される。途端、視界が回転し強烈な吐き気に襲われた。
「……うっ」
耳鳴り、吐き気、頭痛、目眩。自身の肉体に対する魂の拒絶反応。自己を見失った意識が悲鳴を上げ、視界がモノクロと極彩色を行き来する。
咄嗟に口元を抑えてトイレに駆け込んだ。ふらついて額を角にぶつけて切ってしまい視界に赤色が混じり出すが、ギリギリ部屋を汚すことはせずに目的地に辿り着く。
「ぎっづ……うぇ……」
朝から何も食べていない空っぽな胃から、胃酸が吐き出されて喉が焼ける。鼻が不快な酸の臭いで馬鹿になった。
簡易的な再現だったのに、代償はそこまで軽減されていない。入学試験の時は完全に意識が飛んだからそれよりはマシなんだろうけど、それでも自分が自分でないという、ただそれだけで魂に傷がついている。この苦しみはおそらく魂の悲鳴なんだ。
「ぁ……づ、ぁうあ……」
きつい。めちゃくちゃきつい。
「た、ただいま――ど、どうした!?」
玄関から茜の声。トイレのドアが開いたままだし、私がまずい状態だと察してくれたのだろう。慌てた声が聞こえてくる。
「おがえ――あ、むり」
帰宅した茜の声を聞いて糸が切れたのか、私の意識は真っ白く染まり、閉ざされていく。
――結局意識失うんじゃん。とりあえず、エリスは覚えておけよ。
《ククッ、了解したよ、我が主。せいぜい休むが良い》
そんなはずはないのに、エリスの声が聞こえた気がした。
§
目が覚めると、久しぶりの天井だった。保健室である。
「目が覚めましたか、ユウさん」
「はい、お手数をお掛けしました」
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。今はただの保健室の先生ですからね」
そんなのは無理。
目の前にいるシワ一つなく、パッと見では二十代にすら見えるであろう美人は、紛れもなく私をこの学園に入れてくれた学園長その人なのだから。
保健室の先生らしい安心感と、穏やかさ。そして相も変わらず美しい姿だ。街中を歩いていたら誰もが目で追ってしまうだろう。魔法大戦の英傑なのだから、少なく見積もってもかなりの年齢のはずなのに、その美しさに一切の翳りがない。
自分の年齢を止めているとか、若返る魔法を使っているとか、肉体を作り替えているとか……色々噂されているのは知っているけど、人間を辞めている気がするんだよね。
「学園にはもう慣れましたか?」
「おかげさまで、楽しく過ごせています」
まあ、嘘では無い……よね? 喧嘩してても親友はいる。変態でも友人はいる。声聞いたことない創作仲間もいるし、若干舎弟みたいな気分になるルームメイトもいる。他の人とはほとんど会話してないけど、うん。
「ふふふ。それなら良かった。お友達と一緒にVtuverって言うのをやるんですってね。調べてみたけど技術の進歩を感じてしまったわ。遠く離れた人たちと楽しい時間を共有できるなんて素敵ね」
「それは……え、えーと、Vtuverをやるのは私ではなくて友人でして。私はその姿を創っただけなのです」
「あら、そうなの? 申請書には貴方も配信者として活動すると書いてあったけれど」
「あー……」
そういえばアリスは元々私と一緒に配信するつもりだったんだっけ。申請書の変更届を出す必要があるかもしれない。面倒くさいんだけどなぁ。
「せっかくだから一緒にやってみたらいかがかしら。きっと楽しいと思いますよ」
「……いえ。私はネットでの活動は最低限にしたいのです」
「それはどうして?」
「……ネットが嫌いなので」
私のネットへの嫌悪感は消えない。多分どれだけネットの良いところを探し出せたとしても、受け入れられる日はこないとわかっている。
たとえそのせいで友人を失ったとしても、私はきっと変わらないだろう。
「当時の人々に関してはこちらで情報保護を行った段階で一般人の記憶から消えています。ユウさんのことがバレる心配はありません……それでも、怖いですか?」
学園長は私の嫌いという言葉から、私の心を読み取った。
そうだ、私はネットが怖い。忘れられているなんて言われたってそれが本当なのか私にはわからないから。自分がいつボロ出して燃やされるかなんてわからないから。ネットは人間の醜悪さが露呈する場所で、何もしていなくたって容赦なく――私の心を殺しに来るのだから。
怖い。
怖い。
怖い。
――思考にノイズが走る。
『今回のテロリスト集団のメンバー情報手に入れちったwwwwww』『嘘乙』『結社のメンバーとかよく見つけたな』『晒しといて間違いでしたとかなったら主タイーホじゃん』『死体画像キボンヌ』『今回のテロ首謀者たちの一覧ですか』『どちらにしろ主は殺されんだろ』『こいつらの住所マダー?』『は? 家庭持ちとかいるのかよ馬鹿じゃねぇの』『こいつ見たことあるわ』『三人兄弟か~』『マジで人殺しそうな顔してんじゃんなんでこんな奴ら放置してたんだよ』『こいつらの住所マダー?』『自爆テロなんだし割と死んでそう』『ありがとう! クソ野郎どもがお前らのおかげで死んでくれました!』『死体画像キボンヌ』『こいつらの住所マダー?』『今日の仕事吹っ飛んで笑えねぇんだけど』『無職オレ大勝利』『なにこれ』『テロリストの子供だろ、誰か殺して来いよ』『今日都心に居たやつら可哀想にな~』『魔法使いはクソ』『はい、爆発した死体』『グロくて草』『いいじゃん』『魔法使いじゃななくて元魔法使いな』『変態集まってきたわ』『魔法使い擁護派キタ』『にしてもこの子可愛いじゃん』『こいつらの住所マダー?』『住所うぜぇ、自分で調べろよ』『魔法使いがクソなのは今に始まったことじゃないだろ』『住所くれよヤッてくる』『おまわりさーん』『ちょっと才能もらったからって金もらえてエリート人生約束されてるやつらとか死んで当然』『お前も結社の才能あるよwww』『ヤるなら動画取ってきてよ』『魔法使いいなかったら日本おわんぞ』『これだから魔法使い過激派はさぁ……』『売り出そうぜテロリストの子供襲ってきたで』『捕まるんだよなぁ』『はい、住所』『お、キタコレ』『助かる』『逝ってくるわ』『馬鹿は逝ってヨシ!』『祭りじゃんいいね』
――笑い声が聞こえる。
『あーあ、このユウって子、犯罪者の子供だなんて人生終了だね』
ケラケラ。
『こーんにちわー! テロリストさんのお家ですか~!』
ケラケラ。
『ユウちゃーん、出ておいでよ~! ママの代わりに反省示さないとこの先、生きてけないよ~!』
ケラケラケラケラケラケラ。
『どっちにしろまともに生きるのは無理だろうけどね~!』
ケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラケラ――――。
「――ぁ……おぇ……」
「ユウさん! 《
学園長が力強く私を抱きしめながら魔法の言葉を私に沁み込ませていく。
他者の体温、鼓動、匂い。私ではない存在の感触。
温かく、安心する光が私の思考をクリアにして、笑い声をかき消してノイズが収めていく。
大丈夫。大丈夫。私は、大丈夫。あいつらはもういないんだ。私を襲う人たちはみんないなくなったんだから。大丈夫。私は、大丈夫。
「《落ち着きましたか?》」
「……はい。すみませんでした」
「いいえ、謝らないでください。貴方は何も悪くありませんよ」
「…………ありがとう、ございます」
泣き出した私を学園長は私を抱きしめたまま、撫でる。
そうして私が眠りつくまでずっとそばにいてくれた。
『私がデザインしたVtuberがデビューします。ゲーム実況をする現役女子高生の天才です! 私も一緒に配信するのでよろしければ見に来てくださいね! URL:~』
そして翌朝目が覚めると、大量の通知と記憶にない発言が私のSNSに書き込まれていたのだった。
※作者による読まなくてもいい設定語り
初期設定では、アリスの父親を殺したのが結社の人間であり、好きな人が自分の父親を殺した組織に属していた者の子供であることにアリスが非常に苦しむ予定であった。知人よりラブコメでそれはやりすぎ、と言われたために没となった。割とこの設定気に入っていたのだが……。
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