第五章 5
「あのご老人は、帝国軍を見事に騙したね」
朽ち果て廃墟となった砦を眺めながら、その言葉とは裏腹に上機嫌でカニスは言った。
騙されたと気付いて帝国兵が怒りに駆られたのもあるが、あの老人の言葉によって以前と同じ砦とは思えないほど脆くなり、その堅牢だった守りを破ることができた。
老体に鞭を打ち、限界の彼らを支えていた志が叶ったということなのだろう。
そして、その完全燃焼した姿には、カニスは大きく好感を抱く。
が、今は彼らのその志を無にしなかればならない。進軍の足を止めるわけにはいかない。
「……まだ雪は降っては来てないからね」
砦の攻略に予想以上に時間を取られてしまったが、そのタイムリミットは来ていない。
まだ弁当を配ってはいないから正確な現有兵力は分からないが、現有兵力三千以上ならば、堅固な城でも攻略できる自信がカニスはある。その時間さえあれば。
「元帥閣下、陣払いは後、一時間ほどで完了します」
「ご苦労様。その作業が済みしだい出発しよう」
部下の報告にカニスは頷いた後、今度は別の部下に指示を出す。
「それに備えて、王都ジュレムまでの安全を確保しておきたい。何度か王都まで行ったことがあるというキミに偵察を頼むよ」
「……了解しました」
その言葉に、黒の騎士は大きく頷いた。
※
遠くに見えるのは、城壁に並ぶのは龍の旗。
「なるほど、ステンベルクが悠の国と同盟を結んだというのは本当のようだな」
黒の騎士の言葉に、偵察隊の他の三人の兵士達は、その見慣れた悠の国の旗を苦々しく見つめた。
しかも、その龍の爪は四本――つまり、皇族が指揮する部隊。
恐らくは精鋭部隊であり、この先の激しい戦いが予想された。
「早速、帰還して元帥閣下に報告しよう」
隊長の黒の騎士そう言い、馬を返し、戻ろうとする。
が――。
「いや、待て」
兵士の一人が呼び止める。
「何かおかしい」
そして、手でひさしを作りながら、城下町の様子を細かく眺める。
「あまりに人気がなさすぎなのではないか?」
「戦争前には避難させるのだから、城下町に人の気配がないのは当然だろう」
黒の騎士が常識的な見解を述べる。
「いや、それだけではない。よくよく見れば城の防備も疎かになっている。あの老兵の話とまるで違う。ステンベルクの姫君は我々を何か罠に嵌めようとしているのでないか?」
「……そうか、気付いてしまったか」
黒の騎士はそう言うや否や剣を抜き、一閃の元にその兵士を斬り捨てる。
「なっ!?」
目の前での突然の凶行に驚く兵士の顔に、その斬られた仲間から飛び散った血飛沫がかかる。
が、その血の熱さも感じぬうちに、返す剣で切り捨てられ、肉塊となった身体が馬からずるりと落下する。
「あ、あ、あ……」
最後に残った兵士は一瞬何が起きたのか――どうして、こんなことが起こっているのか理解できなかったものの、馬を返し本能的に逃げ出す。
「ふん、逃さんぞ」
黒の騎士は弓を取り出すと、小さくなっていくその背中に狙いを定め――発射する。
空を切り裂く音とともに放たれた矢は見事命中し、その身体は馬の上で二、三回、大きく跳ねた後、地面に落下した。
「さすがは元帥閣下の偵察隊だな」
弓を仕舞いながら黒の騎士は呟く。
そして、そのフルフェイスの黒い兜を旋回させながら眺める。
王都ジュレムを囲む山々。その現在の姿と、自分の記憶の中にある景色とを見比べる。
過去にその山々を隅々まで歩いたと言っていい。巧みに偽装されてはいるが、僅かな変化でも見逃すことない。
「ベルン……そなたの死は無駄にはせぬからな」
ポートイルマの先にある海から運ばれてきた厚い雲が、ステンベルクの屋根と称される山脈にかかり始めている。
ステンベルクに本格的な冬が来る前触れだ。
「……急がねばならぬな」
黒の騎士はそう言うと、そのフルフェイスの兜を脱いだ。
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