第五章 4

 今まで四六時中、休みなく蟻のように次々と湧いては群がっていた帝国の兵士達の攻撃が突如として止み、奇妙な静寂が砦に訪れる。

 それに首を傾げていた親衛隊の面々は、自分達の篭る砦の前に現れた見慣れた皺くちゃの顔を見て、驚きの声を上げた。

「……な、なんじゃ、あれはベルンではないか」

 彼の隣にいる不気味なフルフェイスの黒い兜を被った騎士の手には白い旗が掲げられている。一時休戦の合図。

 とはいっても彼一人を入れるために砦の門を開く危険を冒すことはできず、親衛隊の面々は砦の上から戦友の姿を静かに見つめる。

 やがて門の前まで来ると、ベルンはかつての仲間達を見上げた。

 雲一つない青空のような満面の笑顔で。

 そして、大きく息を吸い込むとかつて国王陛下に褒められた大きな声で朗々と仲間達に向かって叫びだす。

「ジュレムで孫に会って来たぞ。元気な男の子じゃ。これでステンベルク王国一――いや、大陸一の姫様への忠義の家の我が一族もこれで安泰じゃ!」

 それは当然、背後の包囲する帝国軍にも聞こえ、彼らの中にさざ波が起きる。

「そなた達、良く今まで帝国軍の足止めをしてくれた! その間に王都ジュレムの防備は整い、食糧もたっぷりと蓄えられておる。悠の国との同盟も無事に成功し、あとは雪解けを待って、帝国領へと侵攻するだけじゃ! その遠征軍を率いるのはもちろん、我らが姫様じゃ!」

 ベルンはそう叫ぶと誇らしげに胸を張る。

 そこには彼に良く似合う親衛隊の証が咲いている。

「ガロア! そなたが言った通り、幼き日の姫様は確かに何も知らん女の子じゃった」

 ベルンは自分を見つめる仲間達の中から、白い髭を蓄えた戦友の姿を見つけると、嘘つきと不器用な者の二人で微笑み合う。

「じゃが、いつまでもそんな我らが姫様ではないぞ!」

 そして、脳裏に焼き付けた最後に見た姫様の姿を思い出しながら、声を、全身を震わせながら、さらに叫ぶ。

「現在の我らが姫様はそれはもう美しく、聡明で、勇敢で、そしてそのお姿以上にそのお心がとてもお美しいお人じゃ! きっと、我らが子や孫のためにステンベルクを幸せな国にしてくださる!」

 いくつもの歓声が上がり、沸き立つ砦の親衛隊。

 しかし、まだ終わりではない。ベルンは再び声を張り上げる。

 砦の仲間達のために。

「ガロア! 嫁はそなたにそっくりじゃな。珍しくそなたが土産に洋服を買ってやったというのに、趣味じゃないわねと一言で切り捨てられてしまったぞ」

 それでも彼ら夫婦にしかわかないものがあるのか、ガロアは蓄えた白い髭を満足そうな表情で撫でた。

「パストレ! 孫がそなたや父のマネをして門番ごっこをしておったぞ。土産のペンと紙を渡したら、ガッカリされてしまったわ。そなたは孫を文官にしたいようじゃが、まあ、そなたの家の者が門番ならば皆が安心して暮らせるからよいではないか!」

「つまらん仕事を長年、真面目にし過ぎたか」

 そう言うと、老年の門番は苦笑しながら敬礼を返した。

「ゴンサロ! そなたが珍しくお酒ではなく、陶磁器なんて買うからバレていたぞ。夫は帰ってこないのね、と泣かれてしまったではないか。まあ……わしは酒代が浮く嬉し涙だと思うがなあ」

「……違うわい!」

 ケラケラと笑いながら、ゴンサロは酒やけした声で言い返す。

「リオン! 抜け目のないそなたにしては珍しく抜かったのう。なんと、また来年の夏にもう一人、孫が生まれるそうじゃ。もう一人分、玩具を買っておくべきじゃったのう」

「ははは、よかったのう! よかったのう!」

 そう言うと、仲間の兵士が遺品の鉄兜をカンカンと叩く。

 一日ほど遅かった。

「セルヒ! 頼まれていた通り、そなたの息子にお土産を渡そうとしたんじゃが、すまんな、既に避難した後じゃった。逃げ足の速さは親父譲りじゃのう」

「……戦略的撤退といえ! 勝てぬ戦をダラダラしてもしょうがないじゃろうが!」

 そう説得力のない言葉でセルヒは怒鳴りながらも、すでに王都にいないことにホッと胸を撫で下ろす。

「ロメロ! 末娘の――グホッ!」

 と、その時――。

 ベルンの胸を一本の矢が貫いた。

 そして、それが合図だったかのように、彼の身体に背後から次々と矢が突き刺さっていく。

 その衝撃でドンと地面に倒れ、孔の開いた身体からは血が漏れ出し、彼の身体を濡らして地面を赤黒く滲ませる。

「ハア、ハア、ハア……」

 荒く擦れた息を吐きながらベルンは胸元に手を当てる。そこは常に姫様から頂いた家宝の犬の人形の指定席だった。

「……テオ、リンダ……お前達に弟が生まれたんじゃ。会いたいじゃろうが、連れて行くのは……しばらく待つんじゃぞ。代わりにじいじが姫様から頂いたお土産を持って……そっちに……行くからな……」

「今、楽にしてやる」

 その様子を兜の下からジッと見つめていた黒の騎士は、剣を抜くと、その刃を振り下ろした。


 ※


「ははは、あやつ見事に帝国軍をペテンにかけたようじゃのう。敵さん、いきり立って襲ってくるわ」

 親衛隊は城壁の上から激しい波のように寄せてくる帝国の精鋭部隊を眺める。

「……ああいう男だから砦から追い出したのにのう。なのに、ああいう男だから戻って来てしまったか」

 白い髭を撫でながら、黒い兜の騎士に抱えて運ばれていく彼の亡骸に敬礼をする。

「ワルエル、いつまで食っておるんじゃ」

「ふん。最後の食事ぐらい、たらふく食わせろ」

「もう我らの食糧は尽きるというのに帝国軍はせっかちじゃのう」

 それはベルンの帝国軍にもたらした情報通りだった。

 砦の食糧はもって後三日ほどしかない。だが、それで彼らは十分だった。

「ベルンの話を聞くと、姫様との約束は果たせたみたいじゃな。これで親衛隊の名誉を回復することができた」

 胸に咲くエーデルワイスの花を皺だらけの手を置く。

「……姫様との約束は果たせたとはいえ、わしらは少々、悪いことをし過ぎた。天国の扉を叩くの無理じゃろうなあ」

「なんだ、まだ、そんなものに拘っていたのか」

 門番の兵士がゲラゲラと笑う。

「すでに天国はあったではないか。出稼ぎから帰って来た我らを笑顔で迎えてくれた姫様の周囲は、我らにとっていつも天国であった」

 やがて帝国軍の激しい波の中に砦は飲み込まれていった。

 こうしてステンベルク王国親衛隊は全滅した。

 その胸に咲いていたエーデルワイスの花が、一つ残らず真っ赤に染まった。

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