第五章 2
「みんなー! どんどん持っていってー!」
城の前の大通り。その街頭にティフォは立つと避難しようとする市民達を前に声を張り上げる。
「みんな、たくさん欲しいだろうが、一世帯それぞれ一枚までだ。しかし、先に避難した家の分まで持っていく場合は別だ。その場合は言ってもらいたい」
その彼女の隣でジェイドがさりげなく修正を加える。
沢山あると言っても、さすがにどんどん持っていかれれば街の住民達に行き渡らなくなる。
彼らの後ろにはティフォが幼少期からこれまで溜め込んだ洋服や布地、それに毛織物が積み上げられていた。
ちなみに洋服やティフォの私物、布地は城に蓄えられてたもの、毛織物は税として取り立てていたものである。
「……姉さま、本当にあげてしまっていいのですか?」
そして今なお、メイドのリーラが私室でなく倉庫の奥底に眠っていたものまで運んできては、次々と積み上げている。
ティフォの衣服にただならぬ思い入れがあるリーラとしては後ろ髪が引かれる思いのようである。
「いいのよ。みんなの役に立ったとなれば、きっと贈り主達も喜んでくれるもの」
これらは兵士達、それに各国の使者や婚約者など様々な人達から貰ったものだ。
長い間、こうやって沢山の洋服を貰えるのは普通のことだと思っていた。
しかし、今は分かる。それは自分が美しい容姿で生まれ、小国といえど王家の姫という身分のために、特別扱いされていたのだ。
「「「…………」」」
持っていって、と言われても自分達の国の姫の私物だったものだ。
すぐには反応できず、少し戸惑った表情でその光景を眺める。
しかし、布は貴重だ。
そのまま洋服としても価値があるし、冬に備えての防寒具の材料、それに包帯といった様々な使い道がある。
「だからみんな、遠慮なく受け取って」
笑顔で元気よくティフォは呼びかける。
「……あ、ありがとうございます」
「姫様、大事に使わせてもらいます」
背に腹は代えられない。
さらに他ならぬその姫様に促されたこともあって、街の人達は次々と積み上げられた洋服を持っていく。
しかし、そんな中でも頑なに受け取ろうとしない一家がいた。
その原因が分かっているティフォは歩み寄ると、母親に抱かれているその家の産まれたばかりの新しい命に自分のお気に入りだった真っ赤なワンピースを産着の上から被せる。
「ふふ、可愛いわね」
「……! 姫様、もったいないことです。汚してしまいます」
「いいのよ。おしめにでも、シーツにでも何でも使ってどんどん汚してちょうだい。この子が元気に育ってくれたら、それはあたしの自慢話にもなるんだから」
と、その時――。
「人だかりが出来ていると思えば……こ、これは姫様! どう、どうどう」
各家庭を回っていたベルンが到着すると、下馬し敬礼する。
「ベルン、お孫さんへのあたしからの贈り物よ。ちゃんと受け取ってね」
ティフォは、彼が遠慮するのを見越して、先にそう言う。
「そ、それはありがとうございますじゃ」
ベルンが感激した様子で、お礼の言葉を述べる。
「……よかったのう。姫様からこんな綺麗なおべべを頂いて、そなたは果報者なのじゃ」
そう言うと、まだ毛が生え揃わない小さな頭を撫でる。
「わしにも抱かせてくれぬか?」
ベルンはそう言うと、恐る恐る手を伸ばして孫を抱く。
祖父に抱かれてキャッキャッと赤子は笑って見せる。
「わしの指の足りない手で抱かれても、この子は笑っておる。この子は強い子に、きっと強い子に育つのじゃ」
その言葉を肯定するように、孫は祖父の顔をぺしぺしと叩く。
「はは、この子は立派な兵士になるぞ。親衛隊たるこのわしが戦場での心得を授けてやるからな」
ベルンは、その無垢な小さな手を、自分の指を失った手で包み込む。
「じゃが、残念じゃのう。そなたが、もう少し早く生まれていたら、戦場で荒稼ぎできたのにのう。そなたが大人になる頃には、きっと兵士達は見張りと訓練ばかりの毎日じゃ。兵士達は案山子だ、やれ税金泥棒だとみんなにバカにされておる。ふふ、困ったものだのう」
願うようにそう言うと、老兵は新しい命に頬ずりした。
※
「我が君、街の住人達の避難は計画通り終了しました。残るは我々のみです」
キルケーが手元の書類に再度、目を通し確認した後、そう報告する。
いつもは夕食のための炊煙が立ち昇り、仕事終わりの人々で溢れかえっている夕暮れの街。
しかし、今のステンベルク王国王都ジュレムはガランと人気なく静寂に包まれていた。
「ご苦労さま。偽装工作の方も……大丈夫みたいね」
ティフォはキルケーを労いつつ、城の窓から街の外を眺める。
そこに並んでいるのは大量の四つの爪を持つ龍の旗。
龍が描かれた旗は悠の国の紋章である。その爪の数で階級がわかり、最上位の五つの爪の龍は皇帝しか使うことができず、四つの場合は皇族を表す。
それは言葉通り偽装であり、悠の国からの援軍も、その皇族もいないが、敵を惑わすだけで十分である。
「城の荷物の方も既に馬車に積んでおります。後は出発を待つだけです。姫の私物の方はリーラとフレアに任せたので安心してください」
グレゴーリがそう報告する。年頃の娘がいるだけに、そういった配慮もばっちりだ。
「パパの部屋のもちゃんと積んでくれた? あれは最優先で運べと言われたから」
「どなたにでしょうか?」
キルケーが聞く。
「ケイに」
「……ケイ?」
保護者のような目でも彼女を見ているキルケーは首を傾げる。
そんな名前の人物が彼女の周囲にいたのは記憶にない。
「……あ……ス、ステラに言われたのよ。ステラはパパが拾ってきた猫だし」
彼との関係は色々と説明が難しく、そう言いティフォは誤魔化す。
「ははは、殊勝な猫ですな」
グレゴーリが豪快に笑う。
ともかく――。
ケイが早馬を飛ばして、前もって伝えていた策。
それは留守を預かるキルケーの的確な指揮、そしてグレゴーリの住民達への支援もあり、ここまでは順調なようだ。
あとは――。
「……砦を包囲している帝国軍をここまで引きつける。あたしを囮に使って」
敵の目的は、ステンベルクの姫――ティフォニア・イン・ステンベルク。
囮としては十分だろう。
最大の問題は、帝国の暴風と異名を取るその速さから逃げ切れるかどうかだ。
最悪の場合、逃げ切る方を優先して策を使わなければならない。
「……その役目、わしに任せてもらえないですかな?」
家族は避難するも、親衛隊としてここに残ったベルンがそう申し出る。
「帝国軍ごとき、このわしで十分なのですじゃ。それに、このままでは、じぃじは友達を見捨てていったと孫に言われてしまいますのじゃ。本当はわしが仲間外れにされたというのに」
さらにベルンは言葉を続ける。
「それに、姫様の御身を危険に晒しては親衛隊の面目が立たないのですじゃ。それでは砦の仲間達にわしが責められてしまいますじゃ」
その様子に、ティフォは嫌な予感に教われる。
「……ベルン、ステラから聞いたわ」
「はい? 姫様の猫から? 何をですじゃ?」
「ポートイルマであたしが選んだ犬の人形の玩具、ベルンが喜んでいなかったって。あなたも物好きね、昔、あたしが作った下手くそな犬の方が良かったなんて。あたしのでよかったら、また作ってあげる……その時に、あなたがいなかったら、誰が渡すのよ? あたしはそんな役目はイヤよ。ベルンのお孫さんに不器用なお姫様だと思われちゃうじゃない」
ティフォはそう言い、遠回しにベルンの申し出を断ろうとする。
が、しかし――。
「……姫様、覚えていてくれたのですか」
ベルンが皺くちゃな顔にさらに皺を増やして微笑む。
その大好きだった笑顔を見て、ティフォは自分の失敗に気づいた。
「姫様、お願いがありますじゃ。それは姫様から孫に渡してあげて欲しいのですじゃ。わしにはもうすでに姫様からもらった家宝がありますのじゃ」
ベルンはそう言うと、懐に手を入れて取り出して、嬉しそうに見せびらかす。
あの下手くそな犬の人形を。
――……ベルン、どうしても……行くのね。
なんで自分が何かすると皆、死に急いでしまうのだろうか。
しかし、それで懸念だった最大の問題が解決できるのも事実だった。
「……初めて知ったわ、ベルンって実は図々しかったのね。そんな役目はイヤよって、言ったばかりなのに」
無意識に手を握ると、傷跡に再び爪が食い込んで、掌の中に血が滲んだ。
「わかったわ、ベルン。あたしがお孫さんに渡してあげる。その代わりお願いするわね」
その痛みを隠しながらティフォは、最後に彼が見る自分の姿が、誇らしいものであるように精一杯、背伸びして、一生懸命に胸を張りながら、あらためて口を開く。
「……親衛隊所属ベルン。ステンベルク王国王女ティフォニア・イン・ステンベルクが命じます。見事、帝国軍をこの地まで誘導してちょうだい」
「はっ!」
その言葉に、ベルンは力強い敬礼で応えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます