第五章

第五章 1

 ステンベルク王国では、例年よりも長い冬支度が行われていた。

「自分の家畜には炭ででっかく自分の名前を書いておけ。名前を書けない者は、屋号を書いておけ。それらを書き忘れた家畜が、盗まれた、いなくなってもそれは自分自身の責任だ。訴えてもお上は取り扱わんぞ」

 街の外ではグレゴーリが大きな声でそう呼びかけていた

 家畜は農民達の大切な財産だ。その中でも今の時期に残っている家畜は特に。

 というのも、冬の間は餌に限りがあるために飼育頭数を絞らねばならず、春を迎えられるのは選別された交配用の家畜だけだ。

 他は既にソーセージやベーコン、干し肉に姿を変えている。

 そして、その家畜達の誘導を兵士達が手伝っている。

 ……その中には、いなかった。

「地方に親類縁者がいるものはすでにそちらに疎開させているな? ではまず、一番地の区画の者から移動を始めさせろ。決して道を渋滞させないように」

 街の中ではキルケーが街頭に立ち、指示を送っていた。

 すでに事前に綿密に計算されていたのだろう。

 街を行き交う荷物を載せた馬車や牛車が淀みなく進んでいる。

 そして、彼の部下の文官達が交通整理を行っている。

 ……その中にも、いなかった。

 執務室の窓からそれらの光景を眺めて、思わずティフォは胸を抑えた。

 久しぶりの自分の身体――慣れ親しんだハズの身体。

なのに今は、胸が締め付けられるように息苦しい。

 と、その時――。

「姫様、失礼します」

 ドアがノックされる。

 それと共に聞こえてきた声に、強張っていた身体が少し弛んだのを彼女は感じた。

「……姫様、ジェイド。今、帰還しました。ステラは無事、ベルン殿から届けられたでしょうか?」

 敬礼と共に、ジェイドがそう言う。

「うん……」

「それだけを確認しに参りました。では」

 ジェイドは、二人だけでは少々、緊張した様子で事務的にそう言うと、背を向け部屋を出て行こうとする。

「……待って……」

 その大きな背中をティフォは抱き締める。

「……やっぱり、あたしはダメね。あんな威勢の良いことを言っていたのに、すぐにあなたのことを探していた」

 そして、その背中に顔を埋めながら震えた声で喋り始める。

 ジェイドは足を止め、それを静かに受け止める。

「あたし、なれるのかな? 今からでも間に合うのかな? みんなが誇りと思ってくれるような立派なお姫様に……あたし、なれるかな?」

 その自分を支えてくれる背中に、ティフォは胸を苦しくしているものを、吐き出していく。

「……これから沢山の人が死んじゃう。あたしの大好きな人達が。……ううん、それだけじゃない、帝国の人達も……それに、ポートイルマの人も死んじゃった」

 ポートイルマで猫の姿だった時に可愛がってくれた人も、もう既にいない。

「そんな風にみんなが死んだことに値するものを、あたし、作ることができるのかな? ステンベルクをそんな国にすることができるのかな?」

 自分を背中から抱く、少女の震える小さな手。

「姫様なら出来ますよ。ただし、それは姫様、一人の力で出来るものではありません」

その上に自分の手を重ねながら、ジェイドは言葉を続ける。

「確かにステンベルクの中心にいるのは姫様ですが、その周りには沢山の人達がいます。グレゴーリ将軍にキルケー宰相、メイドのリーラにフレア義姉様、姫様を慕う街の人々、それに姫様を守る親衛隊……そのみんなが力を合わせることによって、ステンベルクは夢を叶える場所へと変わっていくのです。姫様が夢見るみんなが幸福に暮らせる国へと」

 だんだんとその手の震えが収まっていく。

「……ジェイドは優しいわね。あなたが石を投げてくれたから、あたしは幸せが当たり前のものではないことを知ることができた」

 ティフォは彼の背中から顔を上げる。

「あなたに太陽みたいと言われて、とっても嬉しかった。あたしがこんなにも美少女に生まれたことに意味があるなら……それはきっとみんなに元気になってもらうことだから」

 彼女が少し冗談めかして言う。

 その調子を取り戻し始めた口調にジェイドは胸を撫で下ろす。

「ジェイド、忘れているわよ? あたしの周りにいる二人を。ケイ――ごほん、ステラに、そして、あなた――ジェイドを。もちろん手伝ってくれるわよね?」

 ティフォは背中から彼の前に歩み出ると、当然でしょという笑顔で彼を見つめる。

「自分は猫と同列なのですか?」

 もちろん、異議はないのだが、思わず照れ隠しでジェイドはそんなことを言ってしまう。

「そうよ。ステラもあたしの大事な相棒だもの」

 ティフォはそう言うと、ジェイドの手を引っ張って歩き始める。

「さあ、行くわよ!」

 今度は自分が小さな背中を見る番だった。

 手を引かれ、彼女のそんな姿を見ていると、今まで自分が気にしていた、後ろめたいことや隠し事が、とてもくだらないことに思えてくるから不思議だ。

 それと共に、奇妙な感覚をジェイドは覚える。

 ――よかった。まるで、以前の姫様に戻ったみたいだ……以前の姫様?

 彼女の感情や時と場所と場合による振れ幅だと思っていたものに、急に違和感を覚えはじめる。

 それはまるで、自分は今までもう一人の姫様と接していたようだった。

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