第四章 帝国の暴風が吹き荒れそうなの 10
「親衛隊所属ベルン。無事、姫様の愛猫ステラを保護しましたのじゃ。」
王都ジュレムにある王城内。
執務室の机の上に黒猫を座らせると、指が欠けた手での敬礼と共にベルンはそう報告した。
「ベルン、ありがとうございます。ご苦労様でした」
姫は――ケイは労うように微笑む。
「……それで、ベルン。その……ジェイドは……?」
ケイが、猫とは目を合わせないようにしながら言う。
「はっ! そのジェイド殿とは途中まで一緒でしたが、遅れて登城するとのことですじゃ」
「……そうですか」
「では、これで失礼しますじゃ。仲間達から頼まれたことがありますので」
そう言うと、ベルンは足早に部屋を出て行く。
その一見、いつものように元気な姿が部屋から出て行くのを見計らってから、黒猫は――ティフォはケイに話しかける。
(……ケイ、一体、何をする気なの?)
「……な、な、な、何も。まだ何もしてないぞ」
念話ではなく、ケイは普通の声で言う。
(何で嘘を言うのよ? 町の様子を見ればすぐにわかるわよ)
城に来るまでに見た町の風景、そして、この城そのものの姿。
砦を造るためにその部品、資材として使ったとは聞いていたが、想像以上に様変わりしていた。
「……町のことか」
(で、改めて聞くけど、何をするつもりなのよ?)
ケイは真剣な表情となると、自分の策を語り出す。
(実は……――)
それを聞き終えたティフォは息を飲む。
(本当にそんなことをやるの?)
(……すまない)
その念話から本気の謝罪と罪悪感が伝わってくる。
(いいのよ。この街のことも……それに……親衛隊のことも)
あの彼らの皺くちゃ笑顔が、ティフォの脳裏に浮かぶ。
しかし、今はその優しい思い出に浸ることは、彼らの思いを裏切ることになる
(……ケイが白状してくれたから、あたしも白状する)
念話では感情の機微が伝わってしまうから、薄々と彼も気付いていただろう。
しかし、それを言葉にするのには――弱い自分をさらに曝け出すのには、彼らの思いの後押しがなければできなかった。
(……あたし、ずっと逃げていた。そして、ケイに押し付けようとしていた。ケイがあたしの身体を入れ替わったのをいいことに、あたしの役割を全部、ケイに押し付けようとしていた)
何も知らなかった頃は毎日が幸せだった。
みんなの出稼ぎ先が戦場なんて知らなかったから。
自分は見た目だけの人間で、その中身はあまりに無力で情けないなんて知らなかったから。
だから、何もできないとあきらめていた。
(でもね、それはダメなの。やっぱり、あたし自身がしなくちゃダメなの! もちろん、あたしはバカだから上手くいかないかもしれないけど、それでもね、みんな、あたしのために必死に頑張ってくれてるの!)
みんなのことが大好きなのに、守れない自分が今まで嫌いだった。
でも、そんな自分から卒業しなければならない。
(だからね、あたしが、あたし自身の身体でみんなの思いを受け止めなくちゃダメなの!)
大好きな人達が好きになってくれた自分のことを、自分も好きになれるように。彼らが誇りに思ってくれるように。
「で、でも……どうやって……?」
(あたしの部屋に悠の国の皇子からもらった薬があるでしょ? アレを使うの)
「でも、それは一時的なものだぞ?」
(それでもいい……今は絶対にあたしがしなくちゃダメなの)
黒猫が先導するようにして、姫の私室に向かう。
鏡台の上には二つの瓢箪。
その封を爪で引っかけて解くと、ティフォは前肢で器用に持つ。
(さあ、早くケイも!)
「……あ、ああ……」
気が急いているためか、ケイがやけにノロノロとしているように見える。
そして、今は美しい美少女の彼が薬を手にしたのを確認すると、
(いくわよ? せ~の)
という掛け声と共に、黒猫は一気に薬を飲み干した。
※
嚥下した喉元がカァッと熱くなると共に、それが体内の奥底へと下っていく。
それと共に、視界から色が消えて、白と黒の輪郭だけの世界となり、やがてそれさえも消滅していく。
「……んん……」
気が付くと床の上にティフォは倒れていた。
起き上がり、鏡を見ると見慣れた――でも、今は懐かしさを覚える自分の姿が。
「痛っ……!」
何の気なしに手を握ると、鋭い痛みが走った。
見ると掌に爪の食い込んだ痕が出来ていた。
紛れもない自分の痛み――本来は自分が感じなければいけない痛み。
間違いない。
自分はステンベルク王国王女、ティフォニア・イン・ステンベルクその人だ。
「……ケイ。あなたに教わったことを元に、あたし自身の力で頑張ってみる。でも、気になったことがあったら、遠慮なく言って」
ティフォは、未だに床の上で寝っ転がっている黒猫にそう言うと、足早に部屋を出て行く。
残された黒猫は、のそのそと面倒臭そうに起き上がると、大あくびをした後、トコトコとベッドの上に移動して丸くなり、まずは二度寝した。
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