第四章 帝国の暴風が吹き荒れそうなの 9

「なんで、わしなんじゃ!」

 猫と、そして伝令用の馬と共に強制的に門の外へと追い出されたベルンは今一度、忌々しげに固く閉じられた門を見上げた。

「重要な任務じゃ。猫一匹、姫様にお返しすることもできずに何が親衛隊じゃ」

 老兵の門番がニヤニヤとしながら言う。

「だから、何でその任務がわしなんじゃ!」

「猫畜生と言ったら、怒鳴り返したのは、お主ではないか」

 白い髭を蓄えた兵士が髭を梳く。そして、ニヤつきながら続けて言う。

「これから赤子が生まれるというのに、戦友の遺族にせっかく稼いできた金を渡すバカがどこにおる? そんなんじゃから、赤子が流れてしまうんじゃ。指だけでなく、頭も足りんお前なんぞ、いても邪魔なんじゃ!」

「孫が生まれたと聞かされてからずっとニヤニヤしっぱなしだったではないか。しかも何度その惚気話を聞かされたことか。そんなお前なぞ、いても足を引っ張るだけじゃ! 早く行ってしまえ!」

「……! お前達、わしをハメたな!」

 ベルンは悟る。そして、猫を入れた背嚢を揺らしながら悪態をつく。

「ふ、ふん! お前らなんか、ここでくたばってしまえばいいんじゃ! 無駄に長生きしたジジイどもが!」

 しかし、塀の上の老兵達は笑うだけだった。

「ははは、ステンベルクの地で死ねるんなら、それは本望じゃ」

「姫様のお膝元で死ねるのなら、わしらでも天国に行けるかもしれんな」

 ベルンは震えながら顔を真っ赤にして怒鳴りつける。

「そなたらは厚かましく天国でも姫様に恥をかかせるつもりか! ……付き合いきれん。もうわしは行く。姫様に猫を届けるという大事な任務があるでな」

 そして、親衛隊の仲間達に背を向けると歩き出す。

 老兵の門番は近くの茂みを一瞥した後、その震える背中に呼びかける。

「ベルン、もう一つ頼まれてくれぬか? 姫様に用意してもらったお土産をそなたが家族に届けてくれぬか? ジェイド殿に頼んでいたが、我らはあの小僧には恨みがあるからのう」

「そうじゃ。何でもあの小僧が告げ口したせいで姫様は出稼ぎから帰ってきた我らを出迎えてくれなくなったらしいからのう。それなのにあの小僧がお土産を配れば、お優しい姫様はそれを見てますます好意を抱くじゃろ。それは癪じゃ」

 それ対して、

「…………」

 ベルンは何も言わず指の足りない手だけを上げて応え、猫を背負い、馬を引きながら、一歩、また一歩、砦から離れていく。

 やがて、だんだんと砦が小さくなり――やがて暗闇の中に沈んで見えなくなる。

 そして、完全に見えなくなった時、突然、グラリと崩れるように揺れたのを猫は背嚢の中で感じた。

 猫が顔を伸ばして見ると、ベルンが地面にペタンと座り込んでいた。

 そして、背中を丸めながら、自分の懐から何かを取り出していた。

 暗闇でもはっきりと見える猫の目で見ると、ベルンの手にはあの不出来な犬の人形があった。

「……死んだ孫のために姫様は泣いてくださったんじゃ……その時から、わしは姫様のために死のうと決めていたんじゃ……それはあいつらも知っておるはずなのに」

 その思い出に気付いてあげられなかった形となったことに、そして、それなのに未だに変わらぬ思いでいることに、猫は胸が締め付けられる。

「それなのに……それなのに……わしを仲間外れにしおって!」

 大きな背中が震える。

そして、犬の人形の上にボタボタと大粒の涙が落ちはじめる。

「……ありがとな……ありがとな……皆、ありがとな……この恩は決して決して忘れぬからな」

 その背中の上で、猫もまた身体を震わせて、鳴く。

 しかし、その小さな身体では、ベルンのその涙の雨を止めることはできなくて、ただじっと見つめることしかできなかった。

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