第四章 帝国の暴風が吹き荒れそうなの 7

「さすがキルケー。仕事が正確ですね」

 俺は目の前に並ぶ、本国から届いた品々を見て、そう呟いた。

 ポートイルマからステンベルクに入り、二日ほど歩いた場所。

 そこは王都ジュレムへと続く街道と、河とが並走するように並ぶ地点だ。

 そこには現在、木で組み上げられた櫓や壁が建てられ、簡易ながら砦が出来上がり、食糧や武器が既に運び込まれていた。

「なるほど。姫様、考えましたな。冬支度を終えた者を使って上流で部品を流してもらい、それを完成したばかりの運河を使ってここまで運び、石工ギルドの者達に組み上げてもらう……確かにそれならば、短期間のうちに砦が完成しましょう」

 グレゴールが感心したように言う。

 そう、数日の工期で造られたこの砦は、そのようなプレハブ工法で造られたものだった。

「では、皆さん、ギルドの方達の指示に従って、砦を補強するための石垣を造ってください」

 俺は、親衛隊に号令を出す。

 彼らは背嚢を下ろすと、中から岩や石を取り出す。ポートイルマで急遽、買い込んだものだ。

 このためにわざわざ出発時間を遅らせたのだ。

(うん? この壁や櫓、見覚えがあるような気がするけど……)

 砦を見渡していたティフォが気づく。

(城や街の家々を解体して運ばせたんだ。ここ集めた資材も同じようにして調達した)

(へ!?)

 吃驚した声を上げるティフォ。

(……ティフォ、すまん……一から部品を造る時間も、人手もなかったんだ)

 俺は彼女に謝る。心の底からの思いを込めて。

(別にいいわよ。それが、ケイが一生懸命に考えてくれた策とやらなんでしょ?)

 彼女が許してくれたことに、俺は胸を――撫で下ろせなかった。

 それは、まだ重要なことを彼女に話していないからだ。

 この急造の砦を誰が守るのかを。

「……グレゴーリ。砦の補強が終わったら、親衛隊のみんなを集めてください」

 俺は将軍から顔を背けながら、そう言う。

「……! ……はい、姫様」

 それに対してグレゴーリは、いつになく静かな敬礼を返した。


 砦の補強工事が終わる頃にはすでに日は落ちていた。

 その急造の砦の中で、俺は篝火の灯に照らされながら、整列した親衛隊の顔を眺める。

 しかし、そんな原始的な照明では、その彼らの顔は薄暗くて良く見ることができない。

 それにホッとしている自分に気付いて、俺は自分のエゴを自覚せざるをえなかった。

 多分、一人一人の顔を正面から見てしまったら、言うことができなくなる。

 当初の俺が立てていた戦略は崩れてしまった。

 春になったら悠の国に帝国の国境を脅かしてもらい、その隙に帝国領へと侵攻するという計画。

 それは戦争が領土の取り合いという前提に基づいたものだった。

 しかし、その領土よりも価値があるものがあることを俺は忘れていた。

 そして現在、帝国の元帥が、その任務と領土を放棄する覚悟で迫っている。

 このステンベルクに咲く白き大輪の花を摘むために。

 それを防ぐためには、親衛隊にある命令を下さなければならない。

 思わず俺はギュッと手を握る。

 爪が食い込み、指先が血で濡れた感触があった。

 しかし、今はその痛みを感じる余裕もないほどに、俺は追い詰められていた。

 自身で立てたその戦略の失敗によって。

 そして、その失敗から立て直すための代償を、別の誰かに払わせることに。

 短い時間の中しかなかったものの、何度も考えた。

 が、別の選択肢は行き詰るだけだった。その結果、それが自分が考え得る限りの最良の策であることを再確認してしまった。

 そして、この砦を築いた。

 それとともに、何度もそれを言う練習を繰り返した。

 命令を遂行してもらうために。

 が、しかし――。

「…………」

 口を開くも全く声を発することができない。

 喉に奥にぽっかりと暗い穴が空いてしまったかのように息をすることさえも苦しい。

「……姫さま、この砦はわしらにお任せくださいなのじゃ」

 いつまで言葉が出てこない俺に対して、優しい口調で親衛隊の――あのベルンとかいう老兵が申し出る。

「そうじゃ! そうじゃ! 帝国軍なんぞ、若いもんの力なぞ借りなくとも、わしらだけで十分じゃ」

「ああ、そうじゃ。何せわしらは誇りある姫さまの親衛隊じゃからな」

 ……失敗してしまった。

 俺の隣にある篝火をもっと離しておくべきだった。

 緊張が解けて、顔の表情筋が弛緩してニヤけたような顔を皆に晒してしまう。

 美しい美少女の姿でも誤魔化しきれない俺自身の一番、醜い姿を。

「…………一週間です」

 何とか必死に声を絞り出しながら、俺は言葉を続ける。

「カニス元帥の軍をなんとか、一週間ほどここで足止めしてください」

俺がそう言い終わると、親衛隊は笑い出す。

「なんと、たった一週間でよいのですか?」

「いやはや、姫様が深刻な顔をなさるので、一年耐えることになるかと思っておりましたぞ」

 いくらここが河に囲まれた小高い丘にある要害の地にある砦といっても、親衛隊は二百人程の兵力だ。

 その数倍――いや十倍以上の兵力の帝国軍から、三日でも守りきるのは難しい。

 しかし、それでも俺は彼らその厚意にエゴを剥きだしにして甘えなければならない。

「では、わたくしは今から出発し、ギルドの皆さんを連れてステンベルクに戻ります。親衛隊の皆さんはここに残り、帝国軍の足止めをお願いします」

「はい。姫様」

 俺があらためて命令を下すと、親衛隊はその胸に咲くエーデルワイスの花を誇らしげ見せながら、力強く敬礼を返した。


 ※


 時間は一刻でも惜しかった。

 既に辺りは夕闇に包まれて寒暖差の激しい山の冷気に支配されている。

 それでも、俺達は砦から出ると夜道を進んでいく。

 街道といっても隅々まで整備されているわけではない。

 足を踏み外せばそのまま崖下まで落下していくような危険な箇所も多い。

 そんな中を松明の灯を頼りにゆっくりと慎重に進んでいく。

(……ケイ、みんなを見捨てるつもりでしょ)

 夜道のために皆、馬から下りている。俺もまた例外でなくトボトボと歩いている。

 そんな俺の頼りない背中の後ろで荷馬車の上に乗るティフォから念話が届いてくる。

(…………ああ)

 言い訳ならいくらでも並べることはできた。

 しかし、俺は頷く。

 やっぱり、篝火で顔を見せてしまったのは失敗だった。

 あの顔を見せてしまえば、本来の持ち主である彼女からすれば、念話でその感情の機微を読み取らずとも、俺が何を考えているのなんかお見通しなのだろう。

(そんなの……絶対に許さないんだから! あたし一人でも、みんなを連れ戻してくるんだから!)

 ティフォはそう言うと荷馬車から飛び降り、元来た道を走り出す。

「…………」

 俺は足を止めると振り返り、彼女が消えて行った暗闇を見つめる。

「姫様、どうしました?」

 急に立ち止まった俺にジェイドが優しく声をかける。

 まだ二人きりの時は少々気まずい空気が流れるが、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。

「…………。ティ――いえ、ステラが行ってしまって……多分、砦に戻ってしまったと思うので、ジェイド、連れてきてもらえます?」

 今は傍に彼がいて欲しかった。

 しかし、ティフォの大切なものを壊そうとしている罪悪感。

 それを少しでも軽くしたくて、ジェイドを送り出す。それに今のティフォを連れ戻せるのはきっと彼しかいないだろう。

「はっ! わかりました。すぐに見つけ次第合流いたします!」

 ジェイドはそう言うと、自分の馬を引きながら列から離れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る