第四章 帝国の暴風が吹き荒れそうなの 6
その文化圏に入ったとでもいうのだろうか。
街道の周囲の建物が、その地で産出される建材で作られた、気候に合わせた構造になっていく。
それを眺めるように馬上の黒い兜が大きく動いた。
「珍しいね。キミがそんな反応をするなんて」
その様子を見たカニスが馬を寄せて、その黒い兜の人物に話しかける。
「……この地には色々と因縁がありましてね」
本来の形が見えない声が響く。
というのも、黒い兜は、まるで仮面を被るようにフルフェイス型の顔まで覆うものだ。
そのため、狭い鉄の部屋に閉じ込められ声が反響し合い、くぐもった不協和音に変換されているのだ。
「そうだったね」
感情の読めない声。しかも、その黒い兜によって顔が見えないことも、それに拍車をかけている。
しかし、彼の過去を聞かされているカニスは、その心中を慮りそう頷いた。
姪のシャルロットの旗下だったというこの黒の騎士――ウィルと名乗る男。
ポートイルマで反乱に遭い、主人を失い、そして自身もその時の火に巻かれた顔に決して消えない火傷を負った。
そして、その黒い仮面はその時の傷跡を隠すためだという。
「先行して、偵察隊を率いてきてくれないか? 頼んだよ」
「……御意」
赴任地から王都に戻った時、復讐のために陣営に加えて欲しいと馳せ参じてきた。
我が軍に付いて来られるなら、とカニスは条件を出した。
行軍速度が遅れるくらいなら、脱落者は置いていく。
それがカニス率いる帝国第二師団の掟である。
そして、それは試験でもあった。
この男が、長年、カニス自身で手にかけて育ててきたこの精鋭部隊に相応しいかどうかの。
そして、このウィルという騎士は見事、合格し、今では地理に明るいこともあり、何かと重宝している。
早速、黒の騎士は軽騎兵を率いると本隊から離れ先行していく。
そろそろステンベルクの勢力下に入る。
ここからは敵領内への進軍となる。
軽騎兵の偵察隊を飛散させるように小まめに放つ。
こういった軽騎兵の運用こそがカニスの速さを支えるものだった。
ザルツドレア帝国は、馬を鉄で武装させて領土を広げたと呼ばれる。
その象徴である大鷲騎士団と呼ばれる重装騎兵は今も健在であり、帝国軍の主力である。
しかし、欠点もあった。
それは騎兵の機動力が生かせる平原ではその力を発揮するものの、森林や湿原や攻城戦ではその力を十分に生かせないことであった。
それはそのままザルツドレア帝国の勢力図となり、平原は制したものの辺境の森林地帯や山岳地帯、湿地帯、河川や海が領土拡張を阻み、それがそのまま現在の国境線となっている箇所が多い。
カニス元帥の組織した機動力を重視しつつも歩兵を中心とした部隊は、その帝国の勢力図の塗り残した部分を制圧するために組織だった。
元帥は重装騎兵から鉄を剥ぐと、軽騎兵を偵察、補給、部隊の再編制等のための部隊として運用し、主力である歩兵のサポートに回すことで、師団の機動力を高めている。
「……さて我が姫君は、いずこにおられるのやら」
誰にも聞かれないようにしながら、カニスはそう呟く。
ポートイルマか、それともステンベルクか。
虎と冷血に守護されている姫君は、彼らの意見を聞き入れ、恐らくはステンベルクに篭ると思うが、念のため偵察隊の報告を待つ。
無論、待つといっても、進軍しながらである。
今は少しでも時間が惜しい。
タイムリミットは雪が降り始めるまでだ。
本来は最重要任務であるその悠の国との国境の守りを薄くしてまで、六千の兵を連れてきた。
対して、未だ傭兵として各地に出稼ぎにいっている者も多いステンベルクが集められる兵は千といったところか。
これだけの戦力差だ。
雪が降るのをステンベルクは待つだろうが、同時に援軍も要請するだろう。
もう一人の婚約者である悠の国の皇子に。
そうなれば、その代償として姫君は皇子のものになってしまうだろう。もう二度と、彼女を手に入れられる機会はなくなってしまう。
「……世間から見れば、ボクは異常者なんだろうね。幼き日の君にずっと心を奪われたままなのだから」
国同士の事情が絡む政略結婚ならば、それこそ親子ほど歳が離れた結婚など珍しくない。
だから、すぐに兄に申し出れば、自分が婚約者になることができたかもしれない。
ただ、あの時は、今思えばくだらない世間体、兄の目を気にしなければならない処世術、そして、自分自身の手でその純粋な想いを濁らしてしまうことに不快感を覚える潔癖症に邪魔されて、言い訳しているうちに、姫君は姪の婚約者になってしまった。
その時から、自分の人生はそこから時間が止まってしまったかのような感覚をずっと抱えたまま歳だけを重ねてきた。
もう――その後悔はしたくはない。
「ボクが速さに拘る本当の理由はね……もうあの時みたいな思いをしたくはないからなんだよ」
カニスはその時間を取り戻そうとするかのように、さらに軍を加速させていく。
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