第四章 帝国の暴風が吹き荒れそうなの 5

「今日は、こんなにも集まっていただき、ありがとうございます。わたくしは山育ちの不調法者ものであり、この町を訪れる時には皆様に歓迎してもらえるかと不安でしたが、突然の出立にも関わらず、こんなにも集まってくださったのを見ると、わたくしの心配は杞憂に――いえ、それどころか、こんなにも愛されたことを実感いたします」

 行政府の中庭。

 そこには撤退準備を終えたステンベルク軍が待機し、俺の命令を待っている。

 そして、その撤退路となる大通りの脇にはお見送りに来た街の人々が集まっていた。

 そんなポートイルマの人々の前に俺は歩み出ると、今までの感謝の礼を述べた。

 俺の言葉に町の人々は胸を打たれたような表情となり、やがて割れんばかりの拍手が起こる。

 俺はそれに一礼して応える。

 やがて、その拍手が少し落ち着いたところで、群衆の中からあの商家のボンボンが出てくる。その手に白菊の花束を持って。

「……姫様、どうぞ。本当は姫様に相応しいエーデルワイスの花が良かったのですが、これしか見つかりませんでした」

「そんなことを言っては花々に失礼というものですよ。花々の美しさに順位を付けているのは人間であり、花々自身はただ懸命に咲き誇っているだけです」

 俺はそう言うと、慈しむようにその白菊の花束を抱きかかえる。

 そして――

「……わたくしはこの白菊の花に誓います。もう一度、ポートイルマに戻ってくると。その時はどうか、再びわたくしをこのように温かく迎えてくださるようにお願いします」

 そう宣言すると、花々の中に顔を埋めて、その無垢な花弁にキスをする。

 俺のファーストキスだが、相手は植物だからノーカウント。

「姫様ー! お待ちしております!」

「ポートイルマは姫様の港です!」

「帝国軍に占領されようと、ポートイルマの民の心は姫様と共にあります」

「帝国軍から、解放してくださったそのご恩をポートイルマの民は忘れません」

 再び沸き立つポートイルマの群衆達。

 ……よかった。占領政策は上手くいっているみたいだ。

 俺は花束でその顔を隠しながら、ホッと胸を撫で下ろす。

 いわば俺をアイドルとして好感度を上げていたのは、一種の文化侵略のためだった。

 古代より人間は神の偶像を作り、その信仰を広めることによって、その文化に取り込み支配を広げていった。

 冷静に考えれば、侵略者は俺達の方で、不法占拠をしているのもまた俺達である。

 しかし、文化侵略に成功した今、その事実は書き換わり、俺達は解放者であり、正当な統治者であるかのように自然と市民達は受け入れている。

 元々帝国から独立性の高い町だっただけに、その政策は有効だったようだ。

 これならば、今放棄したとしても、もう一度また簡単にポートイルマを手に入れられそうだ。

 そう、俺達ステンベルク軍は、ポートイルマから撤退するつもりだった。

 当初、立てていた帝国の使者からの追及をのらりくらりとかわし時間を稼ぐという戦略は、帝国軍が動き始めたことにより崩れてしまった。

 正面から帝国軍とぶつかる力は俺達にはなく、一旦、本国に撤退して時間を稼ぐのだ。

 それは冬支度のため本国に残してきた兵士達と合流する意味もあったが、地の利を考えれば当然のことだった。

 ステンベルクなら冬まで待てば雪で国が閉ざされてしまうから、そこで帝国軍は攻撃をあきらめざるを得ない。

 しかし、このままポートイルマにいれば、海路と陸路を繋ぐ交通の要所であるこの地は、時間が経てば経つほど、その二つの路から敵の援軍が集まってしまい、包囲網は厚くなってしまう。

「皆様のその数々の温かいお言葉……わたくしもまた決して忘れません」

 俺はそう言うと、馬に跨り、手を上げて号令を出す。

 それを合図、兵士達は行軍を始める。

「姫様! おたっしゃで!」

 兵士達に――そしてその中心にいる俺に向かって手を振る町の人々。

 俺はそれに手を振り返しながら、一先ず町からの撤収作業を無事、終えたことに胸を撫で下ろす。

 しかし、町からの撤退はとりあえず定石を踏んだだけであり、迫る危機が去ってくれたわけではなく、俺は馬に揺られながら次なる手を考える。

 ……そもそも何故、いきなり帝国軍が攻めて来たんだ? 使者への対応も完璧だったのに。

 しかも、強行軍ともいえる速さで。何かに焦っているようにさえ見える。

 さらに、やって来るのは悠の国との国境を守っていたカニス元帥が指揮する帝国第二師団なのだ。

 つまり、悠の国との同盟がバレているわけでもないようだ。もしバレていたとすれば、危険な場所から名将と精鋭部隊を移動させるわけがない。

 帝国軍の動きから一番に考えられる、俺達がポートイルマにいるうちに、本国の兵士達と合流する前に叩く――という線もおかしくなる。だったら、わざわざ遠くの国境の軍を動かしてくる必要はない。

 これは一体、どういうことなのか? 

 帝国軍の戦略目標がわからない。

 例えば、まず、帝国軍の目的が、ポートイルマの奪還だった場合だ。

 それならば、雪が降るまで待てばいい。

 ステンベルクが雪に閉ざされ、孤立したポートイルマの占領は容易だろう。

 次に、帝国軍の目的がステンベルク軍の殲滅だった場合だ。

 その帝国軍が想定する殲滅する場所は主に二つ考えられる。

 それがポートイルマだった場合、奪還が目的の時と同様に、雪が降るまで待って、本国から孤立したところを叩けばいい。

 それがステンベルクだった場合、先に触れたとおり、雪が降れば撤退せざるを得なくなる。

 ……つまり、そのどちらにせよ、帝国軍が急ぐ理由はないのだ。

 それとも何か短期間で落とせる秘策でもあるのだろうか?

 それとも何か短期間で落とさなければならない理由でもあるのだろうか?

 でなければ、かつてステンベルクに攻め込んだ姫騎士シャルロットのように時季を変えて進軍するべきだ。

 ……うん?

 俺の市民達へ大きく振っていた手が止まる。

 彼女もまた、不合理な行動が多かった。

 そんな彼女の暴走の根底にあったもの。

今の俺も彼の前で経験し、理解したあの感情だ。

(ティフォ! ティフォ! ティフォ!)

(何よ……そんな大声を出さなくても聞こえているわよ……)

 俺が念話で呼びかけると、荷馬車の上で丸くなっている彼女から不機嫌な声が返ってくる。

(昔、帝国に訪問した時や、帝国の使者が訪問した時……皇帝陛下の双子の弟だからティフォのお父さんと同じくらいか? そんな年齢の男と何かなかったか?)

(き、急にそんなことを言われても……いちいち顔なんて覚えてないし……)

(なんでもいい。そうだな……公式の場では儀礼服を着ていたと思う)

(そんな人もいっぱいいたわよ)

(その中でも偉そうな人だ)

(偉そうな人? う~ん……そういえば昔、帝国の舞踏会に招待されて、その会場の外でつまらなそうにしていた儀礼服を着たおじさんとそこで踊ったことがあったわね。その時、あたしの顔にじゃらじゃらとぶら下げていた勲章が当たったのを覚えている)

(その時、何か言われなかった?)

(踊った後、変なことを言われたわね。『君は帝国の女王にはなりたくないかい?』って)

(……それで、ティフォは何て返したんだ?)

(『イヤよ。女王様になんかになったら忙しくて、ステンベルクのみんなと会えなくなるし、それにおじさんともこうして踊れなくなるわよ』って)

(……多分、それだ)

(え? 何が?)

 本人は気付いていないかったらしい。

 それは、帝国を捧げることさえ構わない意志を持ったカニス元帥からの求愛だったことを。

 そしてそれに対して、純真無垢な心で返答をしてさらに虜にしてしまったことを。

 ティフォにしてみれば、自分が美しい美少女なのはずっと当たり前のことだった。

 それ故、他人から好かれるのも自然なことで、自分がモテモテなことも自覚が薄い。

 ……それに……ティフォは、ずっと彼しか目に入ってないからな……。

 ともかく、彼女にしてみれば、カニス元帥への対応も、そんな日常風景の一つに過ぎなかったのだろう。

 ともかく、俺の当初の戦略の破綻の理由がわかった。

 しかし、それで疑問が氷解したカタルシスはなかった。

 むしろ、氷の柱を背中に押し付けられたような恐怖を感じていた。

 俺は、自分が大きな見落としをしていたことに気が付いた。

 ステンベルクは帝国と悠の国とにそれぞれに婚約者を設けることで八方美人外交を展開していた。

 しかし、帝国側の婚約者だったシャルロットは行方不明となり、その婚約者の座がポッカリと空いた。

 そして、その均衡が崩れた時、その座を奪い取るために、彼女以上の大物がこの地に駆けつけてくる可能性があることなど、考えてもみなかった。

「待って!! 止まって!!」

 動いていた大勢の人の流れを俺は止める。

 空気の読めない子となった俺を、兵士達が、町の人々が静まり返って見る。

 俺に集まるいくつもの怪訝な視線。

 しかし、ミスに気付いた時にすぐさまそれをカバーしなければ、傷口が広がり致命傷となってしまう。

「どうしましたかな? 姫様?」

 そんな俺にグレゴーリが馬を寄せる。

「この町で買い忘れたものがあります。それと、本国のキルケーと連絡を取りたいので早馬をお願いします」

 幸いバザーで稼いだ資金はある。

 それを福祉に使うと結果的に嘘を吐いたことに心を痛めながらも、俺は矢継ぎ早に指示を出し始めた。

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