第四章 帝国の暴風が吹き荒れそうなの 4

 見慣れた文化とでもいえばいいだろうか。

 建物の構造や材質、看板の文字やその配色、街を往く人々の容姿……その他の外の世界を見なければ気づかなかったような細部の違い。

 ザルツドレア帝国の帝都ガリまで三日ほどの距離となると街道沿いの風景は親しんだものとなる。

「……もうすぐ帝都だな」

 そんな見慣れた風景を見て、使者は自然と心が休まるのを感じた。

 しかし、気が重い帰還でもあった。

 自分の失敗を報告し、上役の失望する顔を見に行くという。

 と、その時――。

 街道の向こうから蛇のように伸びる土埃が見えた。

「……? 王都より軍が出たのか?」

 目を凝らせば、鱗のように並んだ軍服が見えた。

 乱世の時代である。

 行軍風景など珍しくない。

 が、使者を驚かせたのは、その速さだ。

 獲物に飛びかからんとする大蛇のように進んでいく。

「ま、まさか!?」

 しかも、その行軍速度を確保しながらも、兵達は一糸乱れぬ統率の取れた動きをし、その顔には疲労ではなく逞しい表情が浮かんでいる。

 機動力だけの強行軍を率いるだけなら多くの将ができるだろう。

 しかし、その速度を維持しつつ隊列を乱さずに統率し、兵士達の脱落を最小限にしながら師団を運用できる将は、帝国広しといえど――いや、世界広しといえど、一人しかいない。

 案の定、誇らしげに掲げられている軍旗を見れば、黒の下地の布に赤色の糸で大鷲が描かれている。

 大鷲の旗は王族の証。そして、色合いは個人毎に決まっており、黒地に赤のその色は皇帝の双子の弟である――カニス・ザブ・ザルツドレア元帥のものだ。

「相変わらず、見事なものだ」

 帝国軍の行軍を邪魔する者は、その場で斬り捨てることも許されている。

 それは役人といえども例外ではなく、使者は従者と共に街道の脇に寄り、見物に映る。

 やがて、遠くで小さく見えていたものが、すぐに目の前に来ると、土埃を舞い上げながら街道を駆け抜けていく。

 使者は帝国の臣民の一人として、それを頼もしく――そして、一抹の不安を抱えながら眺める。

 と、その時。

「ああ、外交官殿ではないですか」

 その隊列の中から、一人の馬に乗った帝国紳士といった風情の初老の男が使者の前に表れる。

 そして、背後に向かって手を上げ、そのまま行軍を続けるように指示しながら、馬を降りる。

「か、閣下……お久しゅうございます」

 まさか自分に向かって下馬するとは思わなかった使者は恐縮といった風で頭を下げる。

「お役目、ご苦労様です」

 初老の男もまた使者に向かって頭を下げる。

 その様子からは想像がつかないが、閣下と呼ばれている通り、この初老の男は使者よりも遥かに上の身分だ。

 帝国軍第二師団長カニス元帥。

 師団の番号は若い方が階級が上である。

 彼より上は、第一師団――皇帝陛下直属の近衛師団のみ。

 つまり、元帥の肩書通り、彼はザルツドレア帝国の軍事上の第二位の地位にいる人なのだ。

「悠の国との国境を固めていたとお聞きしましたが、もうここまで軍を移動させられるとは……まさに風のような速さです。驚嘆しました」

「嬉しい事を言ってくれるね。速さにはこだわりがあるんだ……何故だかわかるかい?」

「……? わかりませんが……」

 カニス元帥は、年齢的には初老なのだが、軍帽からはみ出る白髪に軍服の上からでもわかる痩せ細った体躯はそれ以上の加齢を感じさせる。

 それは長年、元帥として最前線で支えてきたためとも、双子の兄である皇帝陛下に粛清されないように心を砕いてきたためとも言われる。

 もっとも――。

「ボクは兄より速く生まれなかったために、皇帝の座を逃したからね」

 という風に、本人はそれを冗談にしているのだが。

「は、は、は……」

 その際どい冗談に使者は乾いた笑いを浮かべるしかない。

 これもまた、名将と名高いカニス元帥の深慮遠謀の処世術の一つなのだろうか。

「ところで閣下、どうして我が軍はこの街道を南下しているのでしょうか……?」

「ボクが陛下に上奏したんだ。今回の件でステンベルク王国の我が帝国の叛意は明確。遠征軍を組織し、早々に討伐するべきと」

「それで……陛下は何と……?」

 恐る恐る使者は聞く。

 いや、暴風の大鷲の異名の元となった驚異的な軍の運用速度だけでなく、万事の対応策が速い彼が、すでにここにいるということはどういうことなのかわかっている。

「認めてくれたよ」

 使者は、一抹の不安が現実となっていることを知った。

 そして、思わず聞いてしまった。

「それで姫は……ステンベルク王国のティフォ姫の処遇はどうなるのでしょうか?」

 カニス元帥が粛清されないように心を砕いていると噂されているのには、一つのある理由があった。

 それは、彼が高位にいるのにも関わらず、この年齢になるまで妻子を持とうとしなかったことだ。

 一代限りで終わる王朝をつくるために反乱を起こす者はいない――そう皇帝陛下に暗算させることで、その生命を長引かせていると。

「ああ、もしうまく事が運んだら、ボクの妻にしていいというお許しも陛下から頂いたんだ」

 しかし、目の前の閣下の言葉を聞くと、それは単なる宮中の噂話だったのだろう。

 が、今の使者にしてみれば、騙されたような――もっと言えば、恋人を奪われたような、暗澹たる気持ちになってしまう。

「……それはそれは手が早いようで」

 思わず嫌味な言葉を使者は言ってしまう。

「では、ボクはこれで。お時間を取らせてしまって、すまなかったね」

 下っ端の外交官の言葉の毒でも効くものがあったのか、元帥はそう話を切り上げると、再び馬に跨り隊列の中に戻る。

「……全く、どうしたというのだ。今まで――あの歳まで独り身だったというのに」

 その後ろ姿を眺めながら、使者は独り言を呟く。

急に何故、元帥閣下は結婚する気になったのか。それも奪うような真似をしてまで。

 それはまるで、ずっと――。

「――いや、まさかな。元帥閣下に限ってそんなことはありえん」

 そして、自分の頭に浮かんだおかしな元帥閣下の姿を嘲笑う。そうやって悪意のある想像をすることで気を紛らわす。

 街道の上を再び民衆達が歩き始める。

 もうすでに、あの暴風のような軍は通り過ぎていた。

「これで……ティフォ姫も、ステンベルク王国もお終いか……」

 暴風の大鷲の異名を持つカニス元帥率いる第二師団の猛攻をステンベルク王国が凌げるとは思えない。

 仮に万が一、凌げたとしても、それは悠の国の助力があってのことだろう。

 だから、どちらにせよ終わりなのだ。

 その借りは大きな重しとなって、天秤を大きく傾かせることになる。それはもう元には戻らないだろう。

「……元々、手の届かぬお方だったではないか」

 自分には自分の幸せを求めなければならない。

 使者は自分にそう言い聞かせると、再び帝都に向かって馬首を向けた。

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