第四章 帝国の暴風が吹き荒れそうなの

第四章 帝国の暴風が吹き荒れそうなの 1

 さらに予定外に町での滞在が延びることになってしまった。

 それというものステンベルクの姫が町にいることを聞きつけた帝国の使者がお越しになられたからだ。

 その要求の内容は主に三つ。

 駐留させているステンベルク軍のポートイルマからの即時撤退。

 行方不明となっているザルツドレア帝国の姫騎士――シャルロットの安否確認。

 そして、彼女に対して反乱を起こした反逆者の引き渡し。

  どれも真っ当な要求だけに、ステンベルクとしては返答しづらいものである。

しかし――。

 それらの要求を告げに来た、似合わない髭を伸ばす若い外交官。

 彼が執務室に入るなり、出迎えた美しい美少女の姿に一瞬、見惚れたのを見て、俺は確信した。

 これから始まる交渉とは呼べないような時間の勝利を。

 秘書のように控えるリーラの淹れてくれたお茶に手を付けることなく、俺は使者が述べた要求に対して切実な様子を意識しながら返答する。

「では、わたくしを頼ってきたこのポートイルマの無辜の民達を帝国は反乱の首謀者とした差し出せと言うのですか?」

「そ、そういうわけでは……」

「そうではありませんか!」

「ポートイルマの民達はわたくし達に保護を求めて来ました。それを反乱というのならば、彼ら全員が反逆者となってしまいます」

「いえ、ですから、その扇動者を……」

「ほら、やっぱり、そうではありませんか。シャルロット姫への反乱、そして町の保護を求めたのは町の総意と聞いています。その中から、扇動者を選ぶというのなら、誰を選べばいいのでしょうか? わたくし達も保護を引き受けた以上、それを明確に、そして納得できる形にしていただけなければこの町を離れることはできません」

 重箱の隅を突っついて、それをさも大事なことのように言うことで、本質的な問題には踏み込ませないように誤魔化す。

 まるで時間の無駄でしかない不毛なレスバである。

 だが、それはこちらの戦略通りだ。

 帝国と正面から戦う力は今のステンベルクにはない

 現在の帝国との関係は、帝国の方から使者をよこしてきたように、今は何とか交渉の余地があると思われている段階だ。

 のらりくらりと受け答えして、時間を少しでも長引かせる。

 そして春を待ち、盟約通り悠の国が動き出したら一気に帝国領内へと侵攻する――それが俺達、ステンベルク王国の戦略である。

「そもそも今回、彼らの反乱を招いたのはシャルロット様の個人的な出兵によるものではありませんか」

 俺は被害者面をしながら言う。

 そういうと、いつもの俺の処世術のようだが実際、俺は――正確にはステンベルク王国の姫であるティフォの立場は被害者であり、この事態を招く原因となったのは、帝国側のシャルロットにある。

 王家同士の婚姻は時勢の国際関係、それに王位継承権が絡む問題のために、国家間が慎重に折衝しながら進めるのが慣例である。

 しかし、彼女はそれを無視して軍を動かし強引にティフォを連れ去ろうとした。

 だから、ステンベルクの反撃はそのための自衛であるし、そして、それに巻き込まれたこのポートイルマもまた被害者だと世間的には思われている。

「……確かにそれは認めねばなりません」

 それは使者にとっても少々、痛いところなのだろう。

帝国の外交官という立場を忘れたわけではないものの、使者は俺に同情的な目を向ける。

 ……今だ!

 俺はそこに隙を見出し、勝負を決めにかかる。

 必殺の武器を使わせてもらう。

 美しい美少女の涙というチート技を。

 俺はソシャゲ堕ちした上にそのサービスさえ終了してしまい、もう続編が絶望的になってしまった懐かしいゲーム達を思い浮べて、その悲しみで涙を流そうとする。

 が、やっぱり、無理だった。

 やっぱり――というのは、グレゴーリとキルケーの仲を改善するために似たような手を使った時も涙が出なかったからである。

 どうやら、この異世界にいる時間が長すぎて、向こうでの生活が遠くになり過ぎて、現実感がなくなってしまったようである。

 そして俺は、あの時と同じようにジェイドが自分ではない誰かの恋人になってしまったことを思い浮べる。

 これで涙が出てくるはずだ。

「……でしゅから……わたくしゅは……」

 ……あ、あれ? 

 予想以上に涙腺が弛んでしまい、ボタボタと涙が出てきてしまう。

 発しようとした声は、切ない感情に飲み込まれ、嗚咽に変わる。

 心臓はキュンと締め付けられ、その痛みで全身が震えてしまう。

 それは……あの夜に感じた痛みと同じもの。

 ……迂闊だった。

 元いた世界でそういった経験が皆無であっただけに、安易に自分のその感情に触れ てしまった。

 ジェイドの気持ちも、そして、この身体の元の持ち主の気持ちも良く知る俺にとって、それは現実感がありすぎた。

「わかりました。わかりましたから……ティフォ様の御心は十分に承知しました。ですから涙をお拭き下さい」

 目の前で急に号泣し始めた俺を見て、慌てて使者がそう言う。

「ティフォ様のポートイルマの民を思う心を本国に伝え、そして提案された保証の問題等を尋ねて参ります」

「……ふぁい……お願いしまふ」

 涙を手で拭いながら、俺は何とかそう言う。

 こうして俺は、自分でも思いがけない誤算があったものの、とりあえず戦略通りに穏便に帝国の使者をポートイルマから追い出すことに成功した。

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