第三章 運河でスイスイ 7

 俺はポートイルマでの目的を果たしたらすぐに帰国するつもりであった。

 閘門式運河の完成を速めるためにも、本国で冬支度の終わった者達をその手伝いに回せるようにキルケーと話をしたかったし。

 が、そうはいかなくなった。

 それというのも、俺が来たと知った町の人々からいくつも陳情が届いたからだ。

 その大半は、まあ、お役所仕事に対する不満をトップである俺にぶつけるようなものであり、陳情というより苦情といった類のものである。

 それらは部下の役人達に丸投げして『姫様はその陳情の内容に大変、心を痛めました』と一言添えれば、解決するようなものだ。

 が、中にはそうもいかないような話もあった。

「……駐留させている兵士達が暴れて、市民達が困っている?」

 執務室で雑事を片付けている俺に届けられた手紙には、そう書かれていた。

 あの夜、俺を待っていたベルンを始めとする、このポートイルマに駐留させている兵士達。

 その彼らがこの地で市民達に迷惑をかけてしまっているらしい。

「……被害者の方々にとっては、仕方のないこと……では、すまないんだろうな」

軍隊とその駐留地での犯罪は切っても切り離せない問題である。

 まして、ここは俺のいた世界よりも倫理観が希薄な世界だ。思わず目を背けたくなるような問題が起きてしまってもおかしくはない。

「……? 姉さま」

 頭を抱え、思わず素の口調に戻ってしまった俺を、秘書のように横で控えているリーラが不思議そうに見る。

「ごほん……リーラ、お茶を貰えるかしら?」

 俺はそれを咳払いと仕事を与えることで誤魔化す。

「はいなのです」

「それと……この手紙の送り主と直接、お会いしたいのだけど、グレゴーリにその旨を伝えてちょうだい」

 その待つ間、何もしないでいると返って落ち着かず、俺はキルケーにギルドの協力を取り付けたこと、そしてその着工する工事を本国からも全力で支援するように早馬を出す。

 そういった雑事をこなし、さらに淹れてもらったお茶を飲み干した頃、その手紙の送り主がこの部屋にやってきた。

 手紙の主は恰幅のよい酒場の女将だった。ただし、今は強面のグレゴーリに連行されるような形になっているためか、そのふくよかな身体を縮こませている。

「姫様、お連れしました」

 グレゴーリが敬礼をする。

「ありがとう、グレゴーリ。……あ、グレゴーリも同席をお願いします」

 そのまま立ち去ろうとした彼を俺は呼び止める。

 兵達の話ならば、グレゴーリにも知恵を借りたかった。

 しかし、その事情が分からない酒場の女将は、俺がグレゴーリに何をさせるのかとますますその身体を小さくする。

 まずは、俺は老若男女を魅了する笑顔を作り、彼女の緊張を和らげると本題に入る。

「そんなに畏まらないでください。今回、ここにお招きしたのはこのお手紙について詳細を伺いたかったからです。……リーラ、お二人にお茶を」

 俺は彼女に執務室の脇にある来賓用のスペースに着席を促すと、その対面に自分自身も座る。

「まずはお詫びさせてください。わたくしの臣下の者達がご迷惑をかけたことを」

 俺はそう言うと、サラサラとした金髪を揺らしながら頭を下げる。

「そ、そんな滅相もございません!」

 酒場の女将が、恐れ多いという風に左右の手を胸の前でバタバタと振る。

 とりあえずは許してもらえそうな雰囲気に、俺はホッと胸を撫で下ろす。

 次は再発防止のために、話を詳しく聞かなければならない。

「それで……手紙にあった、臣下の者達が暴れているというのは……」

「は、はい。兵隊さん達がうちの常連になってくれてから、店は大繁盛で大儲けさせてもらいました。ただ、問題がありまして……」

 俺もまた真剣な顔となり聞き入る。

「酔ってみんなで大声で歌い始める、寝始めるなど大変なんです。そりゃあ、客商売をしていますから、多少のそういうことは覚悟しています。でも、店の外でも毎日のようにそんなことをされたら、店が街から追い出されてしまいます」

「……へ?」

 最悪、俺がいた世界でのジュネーブ諸条約に違反しているような行為を想定して身構えていたから、俺は思わず変な声を出してしまった。

 当の本人からしたら切実な問題なのだろうが、肩透かしを食らったような気分である。

「ほ、他に何か……」

「あと、店の周りで立ち小便をする兵隊さん達もいて困っています」

「…………」

 俺のいた世界での軽犯罪法には違反しているようである。

 大問題でなく安心したような、あきれたような気持ちとなり、俺は思わず言葉を失う。

 部屋の隅では、グレゴーリが頭を抱えるように――その実、俯いて笑いを必死に堪えている。

 兵達のことを良く知るグレゴーリには、そんな彼らの様子が容易に想像できるのだろう。

「……ごほん」

 俺はそんな将軍に対して咳払いでちょっと窘めた後、あらためて酒場の女将に向き直ると、腰を浮かしながらその手を取る。

「今日はお越しいただきありがとうございました。貴女が心を痛めているその問題に対して、わたくしは誠実に対処することを約束します」

「ひ、姫様……もったいないお言葉です」

 涙ぐむ酒場の女将。

 これでポートイルマの市民達の兵達への悪感情は和らぎそうである。

「グレゴーリ、ご婦人を送って――」

「――いいえ! 結構です。その御心遣いだけで十分です」

 俺の言葉を遮って、酒場の女将が言う。

 グレゴーリの見た目からくる誤解は今回は解けなかったようである。

 足早に酒場の女将は部屋から去った後、俺は椅子に腰掛けたまま思案する。

 考えることは無論、この問題のこと――どうやって兵達のマナーを向上させるのかである。

「姫様、規則を付け加えますか? 街中で歌う、寝るは禁止。トイレの場所は考えるようにと」

 グレゴーリがそう提案する。

「確かにそれが正攻法ではありますが……」

 規則を細かくして縛るようなマネはあまりしたくはない。

 何かこう……彼らに自発的に自覚を持ってもらうようなやり方はないものだろうか。

 理想を押し付けるのではなく、彼ら自身が目指す姿を描いてくれるような……。

「……! そうですわ!」

 思わず淑女の言葉遣いになる。

「リーラ、今度また一緒に針仕事をしますわ! 用意をして頂戴!」

「は、はいですわ! 用意するのですわ!」

 まさか俺から針仕事を誘われるとは思ってもいなかったのだろう。

 突然の俺の提案にメイドの少女は驚き、口調がうつっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る