第三章 運河でスイスイ 6

「う……疲れた……」

 引き止めようとしてくる男達をガラスの靴よりも輝く笑顔でかわし、宴から抜け出した頃にはもうすでに深夜をまわっていた。

 カーテンで深く閉ざされた馬車の中で、俺は足を大きく広げながら、椅子に深くもたれかかる。

 これも仕事の一環とはいえ、やはり人の集まるところは苦手である。

 しかし、消耗した時間と体力と気力に見合う――いや、それ以上の成果を出せた。

 ギルド全体を巻き込んで協力を取り付けることが出来たと思えば、充実感のある悪くない疲れ方だった。

 やがて馬車が、行政府の建物の前まで来る。

 そこはポートイルマを陥落させた時に俺が引き継ぎ、この地を訪問した際の宿舎ともなっている。

「姉さま、到着したのです」

 やがて馬車が停まり、御者を務めているリーラの声が響く。

 今回は協力の取り付けるための交渉が主な目的であり、危険は少ないからメイドの彼女が付いて行くことも許可したのだ。

「リーラ、ありがとう」

 俺はそう言いながら姿勢をただし、馬車から降りるとそのまま建物の中に入ろうとして――。

 ……その足を止めた。

 というのも、意外な人物と猫がその脇に立っていたからだ。

(テ、ティフォ!? 何でここに!?)

 馬車の灯の下で、その目をパッチリと光らせているのは相棒の黒い猫。

ジェイドと共に遅れ来るとは聞いていたが、まさかこんな時間に、ここで待ち構えられているとは思わなかった。

 思わず緊張して身体が固くなる。

 後ろめたいことがないわけではない。

(そ、その……聞いてもらいたいことがあって――)

「――姫様! ありがとうございますじゃ」

 そのティフォの念話を遮るようにして、その意外な人物が深夜だというのに大声で不慣れな感じの敬語で感謝を述べる。

 猫の傍にいるのはジェイドではなく――ステンベルク王国の古参兵。

 兵士達全員のことを記憶しているわけではないが、その古参兵には覚えがあった。

 俺がこの世界に来てすぐ悠の国に攻め込まれた時、その防衛に赴く際に指の欠けた手を取り激励した兵士だ。

 しかし、その顔に見覚えがあるとしっても、何に対してお礼を言っているのか分からず、俺はキョトンとしてしまう。

「……えっと、え……」

「こらこら、もう夜も遅いというのに大声を出すから、姫様がびっくりされてしまったではないか」

 馬車の護衛役として一緒にいたグレゴーリがゲラゲラと笑いながら言う。

 将軍本人にその気はないだろうが、ナイスフォローだ。

「……し、失礼しましたですじゃ」

 老兵は恥ずかしそうに禿げた頭をかく。

 時間が稼げたことで、元のこの美しい美少女の身体の持ち主であるティフォに俺は念話を送る。

(……どういうことなんだ、ティフォ?)

(ベルンの――あ、彼はベルンっていうんだけど、ステンベルクでベルンの孫の赤ちゃんが生まれたの。で、ジェイドに早馬になってもらったの。そのお礼をベルンは言いたくてこの時間まで待っていたの)

 なるほど。

 大体の話は分かった。

 いくらかの兵士をポートイルマの実効支配を高めるために、治安維持という名目で駐留させている。

 本国でその兵士の一人に孫が生まれた。しかし、早馬でそれを知らせるには安くはないお金がかかるから、代わりにジェイドがそれを知らせたというわけか。

(……だとすると、お礼を言う相手はジェイドでいいのでは?)

 しかも、わざわざこんな時間まで待って。

 確かに、俺は彼の上司にあたるわけだけれども。

(いいから、ちゃんと一緒に喜んであげなさい!)

(……はい)

 今まで元気のなかった様子から一転して凄まれて、俺は大人しく頷く。

「よ、よかったですね。お孫さんが無事生まれて」

 俺はそう言うと、その指の欠けた皺くちゃの手を取る。

「すでに洗礼も済ませたとのことですじゃ……これも姫様のお蔭ですじゃ……」

 またしても俺は戸惑う。

 その取った手が震え、暗闇でも分かるほど、ベルンのその目が潤んだからだ。

 生まれた子供に洗礼を受けさせることができて、こんなにも感動するなんて、よほど信仰心が強いんだろうなあ……。

 不純な動機で棄教しようとしたイケメン騎士に見せたい光景である。

「……それでは、明日にでもその任を解き、ステンベルクに帰れるように手配いたしますね」

 ベルンの顔が嬉しそうに綻ぶ。

 が――。

「いやいや、それは辞退しますじゃ」

 首を大きく左右に振る。

「そんなズルをしたら、孫に堂々と顔を合わせられないですじゃ」

「……では、次にステンベルクに帰った時の楽しみですね」

「はい。姫様」

 そう言うと、ベルンは誇らしげに敬礼をした。

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