第三章 運河でスイスイ 4
(――というわけで、俺はちょっとポートイルマに行ってくるから)
その念話に対して、ティフォは尻尾を振って応えた。
ベッドで丸くなっているものの、聞いているわよ、という返事。
ポートイルマで大規模な工事を一手に引き受けているのは石工ギルド――メイトリンだ。
メイトリンは、看板こそ成立時のままで石工と名乗っているが、町の歴史と共にその規模を拡大し続け、今では施工から、造船、貿易まで多岐に渡る事業を手掛けている。
それは地方の貴族など凌ぐ一大勢力であり、帝国軍に占領させるまでこの城塞都市で独立性を守る基盤となっていた。
そのギルドと交渉しに行くということで、ケイは念話でそう伝えた後、足早に部屋を出て行く。
そして、彼の足音が聞こえなくなったところで、ティフォは気だるげに身体を起こす。
――……ケイ、何かあたしに隠している……。
念話から感情を読み取らなくとも分かった。
妙にせかせかしているし、何より今回は自分を誘わなかった。
いや、誘われたとしても、行くかどうかは微妙だったが。
―――……ケイ、すっかりこの世界に馴染んじゃった。もう、あたしが必要ないくらいに……。
ティフォから見ての異世界から来た当初こそ、サポートが必要だったが今では一人で元気に動き回っている。
しかも――。
窓から城下町を眺めれば、広場に人が集まっている。
ケイが設置した源泉から運ばれていくお湯を桶に汲んで持っていくためだ。
そして、そこは主婦達の新たな社交場となり、今日も井戸端会議で忙しそうだ。
そんな風に、ケイが来てから随分と町の様子が明るくなった、笑顔が増えた。
――……元はといえば、あたしが頼んだことじゃない。身体を貸す代わりに……。
なのになんで、こんなに胸がぽっかりと空いたような気持ちになるのだろうか。
と、その時、町の外から慌てて走ってくる人影が見えた。
――あれは……。
その人物にティフォは見覚えがあった。
そして、その人影は一目散に教会を目指している。
――も、もしかして……。
ベッドの上でグダグダしている場合ではない。
違う窓から覗くと、馬車に乗り込もうとするケイの姿が。
このままでは間に合わない。
もし、ティフォの予想通りならば、ポートイルマに行く彼に伝言を頼まなければならない。
ティフォは今の彼女の姿である猫の身体でベッドから飛び降りると、部屋を飛び出す。
そして、ケイの元へと向かおうとした途中――。
「では、父上。姉上、行ってまいります」
廊下で留守役のキルケーと、そして兄の嫁であるフレアに敬礼するジェイドに遭遇した。
「うむ。我が君の護衛役をしっかりと務めるように。今回は冬支度があるために、連れて行く人数は少ない。尚更、励むように」
「姫様はもちろんのこと、同行する父のこともよろしくお願いしますね」
「はい。こちらこそ……ん?」
足の違和感にジェイドは気が付く。
「ステラ、どうしたんだい?」
姫様の愛猫――ステラが、前足を絡みつかせるようにして、自分の足に引っ付いていた。
「ニ、ニャア!!」
そして、ジェイドの視線に気づくと彼の足を解放し、自由になった手でパタパタと虚空を掻きながら何かを訴える。
「あらあら、私も一緒に連れていって、と言っているのかしら」
じゃれている様子にも見えるその光景に、フレアが微笑みながら言う。
「……いえ、違うようです」
「……? あ、そうなの?」
ジェイドの言葉に、フレアが不思議そうな顔を浮かべる。
それはそうだろう。
彼自身も何故、そう思ったのかよくわからない。
しかし、それは間違いではないのか、うんうんと猫が頷く。
随分と人間臭い猫である――さらに言えば、
「……やっぱり、お前は姫様にそっくりだなあ」
どこなく雰囲気とか仕草が似ている。
だから、何となくその猫の言わんとしていることが分かるのだろうか。
猫は軍服のズボンの裾に爪を引っかけると、ジェイドをどこかへ誘導しようする。
しかし――。
「……ごめんな。今から姫様の護衛に行かなければならないんだ」
ジェイドは足元の毛むくじゃらの頭を撫でて、断ろうとする。
が――。
「あらあら、普段はステラちゃんを散々利用しているというのに、ステラちゃんのお願いは無視なのですか?」
そのフレアの言葉に、ジェイドは思わず身体を固くする。
兄嫁は父――実父の方から色々と聞いているらしかった。
「今回の護衛は大人数であるし、姫様には将軍が同行するから大丈夫だろう。我が君にはお前が遅れることを伝えておこう。ステラが原因ならば、我が君も許してくれるだろう」
キルケーはそう言うと、スタスタと一人歩いていく。
その父の姿を、ジェイドは驚きをもって見つめる。
また、その足元にいる猫も目をまん丸くして見ていた。
「……姉上が来てから、父上は変わられましたね」
「あら? 義父様は元から優しかったですよ」
兄嫁は微笑む。
城で父にすれ違ったとしても動ぜず、さらにはそんなことを言ってのけるその姿に、グレゴーリ将軍より受け継ぎし胆力みたいなものをジェイドは感じた。
実際、それがなければ、犬猿の中であったブラウ家の嫡男と付き合うなんて思い切ったことはしなかっただろう。
「では、ジェイド、ステラちゃんをよろしくお願いしますね」
フレアはそう言うと、黒猫を抱え上げ、それをジェイドの腕の中に収めた。
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