第三章 運河でスイスイ 2
「そういえば、我が君、木材の値段が下がりましたな」
執務室での仕事中、ふと思い出したようにキルケーが口を開いた。
一見、ただの雑談ではあるが、彼の人となりを知る俺には分かる。
……褒められた。
次世代の指導者としてティフォに期待しつつも、甘やかし過ぎてはいけないという教育方針のために、このような遠回しな言い方になるのだ。
「川の水からではなく、姫様の引いてきた温泉からスープを作るようになった分、燃料代が節約できるようになったとのことです」
俺の想定していた、洗濯や入浴、それに手洗いだけでなく、市民達はそのような使い方までしているらしい。
いつの時代、どこの世界でも庶民はたくましいものである。
「確かにそれならば、必要な薪の量を減らせますね」
ステンベルクで消費する木材の量が減る……ならば、と俺の中にある閃きが舞い降りた。
「でしたら、ステンベルクから木材をポートイルマまで輸出できるようになるのはないでしょうか?」
俺達が先日、陥落させた城塞都市の港街――ポートイルマ。そこならば規模の大きい町である上に輸出港として販売先として申し分ない。
「すでに我が国でも一部は木材を輸出はしていますが、難しいでしょうな」
「……? 何故です?」
「輸送費が得られる利益を上回るからです。常に高額な木材を買う奇特な商人がいれば別ですが」
「あ……」
俺は町で木材が高い理由を思い出す。
王都のジュレムでさえそうなのだから、山道を下って遠くまで売りにいくとなるといかほどのコストがかかるのか。
……いや、待て。別の輸送法を考えるんだ。
現代日本の知識で何か……と、俺は静岡県に模型メーカーが集中している理由を思い出す。
世界的模型メーカーTAMIYAを始めとして、ガンプラでおなじみのバンダイホビーなどの前身は、木の組み立て玩具の製造であった。
その材料である木材が、山間部から河によって運ばれていたために、その下流である静岡県にそれらの工場が出来たというわけだ。
……これだ。
「では、川で木材を輸送すれば良いのでは? ちょうど城の横にはそこそこ大きな川が流れていますし」
「それで、その川はどこへ通じているのですか? そして、その道中いくつかある瀑布や水深が浅い岩場をどう越えていくおつもりですか?」
このキルケーの俺への質問は言葉通りではない。既に検討済みですという意味だ。
冷血宰相の氷の視線が俺へと突き刺さる。
うう……。
しかし、諦めきれない俺は、最近は執務を行う上で参考にしている地図を広げる。ティフォの父が制作したあの地図だ。
なるほど。
キルケーの言った通りだった。
ステンベルク領内には水上輸送に使えそうな川が二つ通っている
一つはセーラ川――この城の隣を流れる川だ。
セーラ川が延びる先は帝国と悠の国との国境沿い――というかその川が一部では国境となっている。
今はその片方とは同盟を結んでいるとはいえ、緊張状態のところに資源を売りに行くのは危険が大きいだろう。
もう一つのラコン川。ステンベルクを覆う山脈から流れる川であり、その先にあるのはポートイルマ。
しかし、途中には二つの滝や水深が浅くなる岩場が地図に描き込まれている。
わざわざ描き込むということは、そこが難所であることは容易に想像できた。
「すると、それら難所の先にあるのが、その一部の輸出している地域ですか」
「左様でございますな」
頷くキルケー。
つまり、ラコン川の難所を越えたそこまで運ぶことができれば、木材の大量輸出は可能になるらしい。
「……困りましたね」
俺は地図と睨めっこする。
すると、難所を越えた先にセーラ川とラコン川が接近している場所を見つける。
そこは湖となっている。形を見る限り、三日月湖か。
「まずセーラ川を通り、この湖に木材を貯めて、そして、ラコン川に移すというのはできないでしょうか?」
「距離的には接近しているといっても、その地図ではわかないでしょうが、この湖とラコン川には標高差があるです。水を吸った木材はさぞ重いでしょうな」
その言葉には、それも検討済みですというニュアンスがあった。
ふふ、だが俺には追加の秘策があった。
「そこに閘門式運河を設けられないでしょうか?」
小学生の時に社会科見学で見た見沼通船堀の遺構。
俺はそこで閘門という施設を知り、パナマ運河にも使われていることを知った。
この高低差のある場所で門の中の水面を調節することによって、エレベーターのように船を昇降させる閘門があれば、その問題を解決できるはずだ。
「閘門式運河ですか。聞いたことはありますな」
……あ、ヤバい雰囲気。
「ただ、我が国にはそれを造れる技術を持つものがおりません。招聘しようにも技術を漏らした裏切り者となる覚悟を持つものが我が国に来てくれますかな」
やっぱり、ダメだったか……。
しかし、収穫はあった。
この異世界には閘門を造る技術はあるらしく、全くの無から生み出す0から1を創り出すような苦労はしなくてすむようだ。
後はどこからその技術を移すかである。
「う~ん」
俺は再び地図と睨めっこをする。
そしてもう一度、輸送ルートとしたいその二つの川を目でなぞる。
が、ステンベルク国内だけを描いたその地図ではその川はすぐに途切れた。
今はその先にある大きな船が行き交う港町ポートイルマもステンベルクの影響下だというのに。
と、俺の脳裏にある閃きがあった。
「そうです! 船のドックです! 閘門は船のドックにも使われています。それに港を造る際に培った技術があるハズです! ポートイルマの方々に協力してもらえないでしょうか!」
「…………」
キルケーが無言で驚いたように俺を見る。
初めて見る冷血宰相の素でビックリした表情。
あ……興奮のあまり、捲くし立ててしまったのは、よくなかったな……。
「し、失礼しました……」
俺は身体を縮こませて、自分の非礼を詫びる。
「ゴホン……」
それに対してキルケーは咳払いで応じると、
「良い考えですな。さっそく検討しましょう」
と言い、いつもの冷血宰相らしい表情となると、この話はここを目途として今日の仕事へと戻った。
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