第二章 湯煙殺人未遂事件 5
『せっかくだから』
『ここまできたのだから』
という悪魔の囁きと、そもそも準備不足。
それは山での死亡フラグである。
そんなわけで、俺は手に入れた地図と睨めっこしながら、この日に備えて計画を練り、入念に下準備をしていた。
その甲斐もあり、山に入る上での現状での最高の装備を整えている。
つばが広めの帽子に、生地が厚めの長袖と長ズボン。選別された品々が入ったリュックを背負い、蒸れないことよりも足元を守ることを重視したブーツを履いている。
手には杖を持ち、悪い意味でのもふもふを避けるために歩く度に獣よけの鈴がカランカランと鳴るようにリュックにぶら下げる。
山ガールというには重武装の恰好である。
何しろ山ガールにとって登山はレジャーだが、こちらはデンジャーなのだ。
登山道などという贅沢品がない手つかずの山に分け入り、方位磁石と地図とを睨めっこして現在地を推測しながら、進んでいく。
幸い、隣に流れる川に沿って登っているから、それが目印になり、未知の場所を進む不安感を少しは軽減してくれる。
「姫様、何もご自身で行かれなくとも、自分に任せてくださればよろしいのに」
探検隊の先頭を務めるのは、ジェイド。
その言葉は嘘ではないのだろうが、今回の探索の護衛に任命されたウキウキ感が全くないわけではない。
先の戦の時に警護してもらった実績があるし、それに何よりティフォに彼への好感度を稼ぐように依頼されている結果の選出である。
「いえ、皆さん、冬支度で忙しいでしょうから」
俺は彼に労うように笑顔を向けながら、そう言う。
ステンベルクは高地にあり、豪雪地帯である。
だから秋になったら、収穫祭もそこそこに冬支度をしなければ文字通り地獄を見ることになる。
そのため、国民にとっては今は一番、忙しい季節なのだ。
「でも、今年の冬は温かい冬になりそうです。……なにしろ、姫様のお蔭で家族みんなで過ごせるのですから」
ステンベルクにとって冬は、出稼ぎの季節だった。
冬支度を終えて出発すると、春まで――その中でも貧しい家のものは数年先まで帰ってこない。
……いや、帰ってこれるだけ、幸せなのだ。
ともかく、西龍城とポートイルマを手に入れられたことによりステンベルク王国の領土は広がった。
そのため、今現在、出稼ぎから帰って来ている兵士達を家族と共に冬を越せるくらいの余裕をステンベルク王国は持つことができた。
それを全ての国民にまで広げることが当面の俺達の目標である。
「……そう言ってもらえると、嬉しいです」
そして、もう一つ、自分自身で行かなければならない理由がある。
それは手元の地図だ。
これは重要な国家機密であり、できれば他人には見せたくない。
ステンベルクのシーボルト事件になってしまう。
何故、こんな便利なものがあったのに、国王陛下が私室にいわば封印していたのかは察することができた。
国王陛下もまた、これが他人の手に渡ることを危惧していたのだろう。
「そうです。みんな、兄さまみたいに暇人ではないのです。冬支度で忙しいのです」
二人で話しているのが面白くないのか、リーラが会話に割って入る。
この少女は頼んではいないだが、勝手についてきた。
先の戦の時にお城にお留守番してもらっていたのだが、それを根に持っていたらしく、その意志は固かった。
そんな風にジェイド、俺、リーラの三人。それがこの探索隊のメンバーであり、左から先頭で今の隊列の順番でもある。
ちなみに、そのティフォを今回も誘ってみたものの、
(……いいわ。この身体だと山道は疲れるから)
と言われ、またもや断られた。
確かに、猫の足では山道は何倍もの距離に感じそうではあるけど……。
ジェイドも一緒だというのに断るなんて、ティフォはどうしてしまったのだろうか。
念話でメリンコリーは伝わってくるのだけど、さすがにその原因まではわからない。
しかし――。
「……姫様、ここは苔が多いので気をつけてください」
先頭を歩くジェイドの背中が、やけに大きく見える。
ティフォがいないことで、今は彼を独占できているような、妙なドキドキを俺は感じてしまう。
と、その時。
「姉さま、白い煙が見えてきたのです」
目ざといリーラが遠方に何かを発見した。
思わず足を止め、俺も必死に目を凝らした後、手元の地図で再確認する。
間違いない。ここだ。
さらに上流の、岸辺の一画。そこだけが禿げあがり、岩石がむき出しになっている。
そして、その中央からはもくもくと湯煙があがっていた。
疲れも忘れて思わず早足となる。
が――。
「姫様、手で口元を塞いでください、瘴気に当てられる可能性があります」
先頭のジェイドに制される。
「瘴気?」
病気を引き起こす悪い空気みたいなことを意味する言葉である。
「はい、煙が湧き出ている場所では、瘴気に気をつけなければなりません。自分が近づいてみて気分を害することはないか確かめて来ますから、姫様はここで待機していてください」
ああ、火山性ガスのことか、と俺は思い当たる。
温泉地で良く臭う硫化水素とかが有名で、俗にいう温泉の匂い――腐った卵の匂いの原因はこれで、確かに高濃度の場所では死の危険がある。
瘴気というのは迷信やオカルトに近い考え方ではあるが、俺の世界の科学的な見地からしても全くの的外れなものとはいえない。
むしろ病気や火山性ガスが原因の事故を、瘴気――つまり悪い空気が原因と推測していることに驚きを覚える。
異世界で暮らしていると、迷信やオカルトな話を聞かされるのだが、そんな風に何かしら科学的な根拠を感じる話は多い。
一番の非科学的な存在の現在の俺がそんなことを言っても説得力は皆無だけど。
「……兄さま……」
俺と同じく足を止めたリーラがその小さくなっていく背中を見つめる。
なんだかんだ言って、彼女も心の底では心配しているようで嬉しくなる。
「多分、大丈夫よ。卵の腐ったような臭いがしてこないから。あ、卵を近くの温泉に沈めてもみましょう」
国王陛下の部屋で地図で調べた硫黄の採取地とはまた違う源泉だから硫黄泉ではないとは思うが、調べておきたい。
「腐った卵の臭いがする成分を含むお湯で卵を茹でると、卵の殻が黒く変色することがあるの。でもね、殻が変色するだけで食べられるのよ。美味しいわよ」
「……ね、姉さま……?」
卵が腐った臭いのするところで変色した卵を食すことを語る姉さまに対して、リーラは珍しくちょっと引いた様子をみせた。
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