第二章 湯煙殺人未遂事件 4
「……失礼しまーす」
小さな声でそう言うと、俺はドアを開ける。
現在、この城の城主を務めている俺でも今まで訪れたことのなかった部屋に、おずおずと足を踏み入れた。
この部屋の主は現ステンベルク国王。この身体の本来の持ち主であるティフォの父親である。
ただし、今はこの城にはおらず高地にて療養中であり、娘に全権を委ねている。
といっても、実質、政務を執り行っているのはキルケーであり、軍務を統括しているのはグレゴーリだけれども。
少し話がそれたが、この国の最高権力者の部屋であり、入ることに腰が引けていたのと、そして、ティファの身体に居候している身としてはその父親の部屋に入るのは、他人の思い出に土足で足を踏み入れるような気がして遠慮していたのだ。
そして――。
「ひぃ!?」
部屋に入るなり思わず俺の心臓が止まりそうになった。
というのも、誰もいないハズの部屋に人影が見えたからだ。
思わず、自分で開けたドアの影に隠れた後、ゆっくりと中を窺う。
俺は胸を撫で下ろす。
「なんだ、絵じゃん」
そう、人影の正体は、壁に飾られた絵だった。
大きな肖像画に描かれている金髪の活発そうな少女。
彼女が、はにかんだ表情でこちらを見ていた。見ているこちら側まで温かい気持ちになるような笑顔で。
彼女が誰なのかは、すぐに想像がついた。
今の俺と良くに似ているも、ちょっと違う容貌。
さらに絵の右下の余白部分にタイトルと作者のサインを見つけて、俺はそれを確信する。
「『我が愛しの妻』フリーチェか。へえ~宮廷画家とかじゃなく、お父さん自身が描いたのか」
フリーチェは愛称であり、正式名はフリーチェリッヒ・レア・ステンベルク――ティフォのお父さんである。
そして、その国王陛下の嫁ということは、即ちこの絵画に描かれている少女は今は亡きお妃様であり、ティフォのお母さん、シンレイ・イン・アレント(旧姓)さんということだ。
この国の人にしては珍しくスカートが短く、そこからスラリとした足が伸びている。
「……あれがティフォのお父さんを蹴った足なのか」
国王陛下を蹴るなんて、よほど無礼なことでもされたのだろうか。
「……でも、あんな表情を浮かべているなんて、彼女も国王陛下のことが好きだったんだろうなあ」
彼女が見つめているのは、もちろん、現在の俺ではなく、制作時に筆を取っていた国王陛下である。
嫁をモデルにしてウキウキと筆を走らせる夫と、照れながらもそんな夫を見つめる嫁。
この絵を見ているとそんな光景が思い浮かぶ。
しかし、この部屋に来た目的は絵画を鑑賞することではない。
……シンレイさん、娘さんにはお世話になっています。
この身体に流れる血の半分は彼女からであり、他人とは思えず、俺は心の中でお妃様に挨拶する。
そして、父親だけでなく二人の思い出に土足で足を踏み入れるようなやましさを感じながら、あらためて部屋に足を踏み入れた。
※
キルケーの言葉から国王陛下の部屋にあるのは山歩きに使う登山道具のようなものが置いてあると勝手に想像していた。
が、実際に部屋を漁らせてもらって俺は驚いた。
「……山歩きは単なる趣味じゃなかったのか……」
俺の世界で言えば、昔の博物館の標本室。それが国王陛下の私室だった。
今の博物館は体験型の展示に重きを置くようになったからあまり見なくなったが、昔の博物館の標本室というのは、洋服タンスのようなものが並び、その引き出しを開けると中に整理された標本達が収められていた。
この部屋もまた、そういった標本が収められたタンスが並び、部屋を狭くしている。
そのタンスに収められているのは、数々の石だ。
何のためにそんなものを収集していたのかは、簡単に想像がついた。
「……山に地下資源がないか探し歩いていたのか……」
無論、それらはただの石ではなく、鉱石の試金石といったものだろう。
これほど鑑定スキルが欲しいと思ったことはなかった。
専門家でもない俺には、それらは珍しい石にしかみえない。
そして、その石達には番号が振ってある。
その番号が何を示しているのかも、すぐにわかった。
同じく棚から出てきた羊皮紙に描かれた地図によって。
「……国王陛下は地図製作までしていたのか……これはポルトラノ海図を応用したものか」
ポルトラノ海図。海図と付く通り、本来は洋上で使われる地図である
ざっくりいうと、羅針盤を使えば目的地への方角は合っているからセーフ理論の地図。
そして、この地図が画期的なのは、そうやって羅針盤を使うことによって測量技術の未熟さを補うことができるところだ。
ステンベルク王国は山間にある国である。だから高低差が激しく、正確な距離を測ることが難しい。
しかし、この図法を使えば目的地までの進路を取ることができる地図が描けるのだ。
少し話はそれてしまったが、その地図のところどころに、石達と同じ番号が振ってある。そのサンプルの石の採集地ということだろう。
そこまで理解できれば、後は簡単だった。
俺の目的――温泉探索に沿って、標本から探せばいい。
「……あった。これは湯の花だな」
鑑定スキルのない俺でもそれくらいはわかる。
湯の花があったとならば、そこに源泉がある可能性が高い。
サンプルに振られている番号と地図上の番号を照らし合わせる。
「ん? ということは、多分、これが温泉の地図記号なのか」
湯煙の絵。偶然にも、それは日本地図の温泉の地図記号と良く似ている。
よくよく見ると、それは地図のところどころに点在している。
とりあえず、一番城から近い場所を探すと――あった。
城の隣を流れる川の上流の岸辺。
そこがまずは最初の探索地だ。
想像以上の確かな手がかりを得られたことに俺は胸を撫で下ろす。
……それにしても――。
俺はあらためて、国王陛下の部屋の中を見渡す。
学校で勉強することによって役に立ったことは何か?
と聞かれたら、俺はこう答えるだろう。
知識を体系化することと。
体系化された知識は、個人技ではなく集団知となって、その体系化するルールを理解すれば、誰でもアクセスできるデータベースとなる。
自覚的、あるいは無自覚に俺達は学校でそれを学んでいる。
しかし、ステンベルク国王――フリーチェは、そんな経験がないはずなのに、独自にステンベルク王国領内に関するデータベースを作り上げていた。
妻になる女性に蹴られて改心したという彼への印象がガラリと変わる。
これまではボロが出るんじゃないかとヒヤヒヤだったから、ティフォの親族に会うのは避けていた。
ちょうど、療養中とのことで会わないですむ理由があったし。
しかし今、この部屋を見てから、俺は国王陛下がどんな人物なのか興味を持った。
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