第二章 湯煙殺人未遂事件
第二章 湯煙殺人未遂事件 1
その日の朝は、大きな自己嫌悪から始まった。
うう……安眠できなかった……。
ステンベルク王国の姫、ティフォの身体を借り受けている俺こと七門景は、睡眠不足の重い頭を枕に付けたまま、目を覚ました。
その自己嫌悪の原因は分かっている。
『人を見た目で判断するなんて最低よ!』
そう言って、リーラを怒鳴ってしまったことだ。
傍目では婚約者に対しての使用人の無礼な発言であり、それを抜きにしても品の良い言葉ではなく、王女がである立場の俺が叱っていい場面だ。
では何故、不眠になるほど後悔しているのかと言えば、思わず怒鳴ってしまったのは、叱るというよりも、俺の八つ当たりだったからだ。
自分が美しい美少女(重複させて強調)になって、ティフォと念話で話すようになって気付いてしまったのだ。
俺が生前、容姿で差別されていたのは事実だろう。しかし同時に俺もまた、他人を外面でしか見ていなかったのだ。
転生する時の自分自身のことを俺は思い出す。
何カップでもいい! とにかくおっぱいを揉みたかった!
プリプリのお尻を撫でてみたかった!
柔らかい唇を味わいたかった!
いい香りのする髪をクンクンスーハーしてみたかった!
自分の名前をキャンディボイスで呼ばれたかった!
スカートの中を覗きたかった!
ブラジャーを外したかった!
死に間際の余裕が一ミクロンもない状態の心の叫びとはいえ、女の子の外面ばかりに注目した言葉が並び、その内面まで慮る言葉はなかった。
姫騎士にセクハラを受けて、さらに中身が変わっていることに気付いていないリーラに言われて、やっとされる側も気持ちがわかった。
ははは……。ティフォみたいに、ちょっと乱暴だけど、皆を思いやる気持ちは本物の優しい女の子もいるのにな……。
俺が嫌悪感を抱いてものが、実は自分自身に潜んでいたという発見は、ブーメランとなって突き刺さって強烈な自己嫌悪となった。
そして、それをいつもお世話をしてくれる小さな女の子にぶつけてしまった。
……今日はお詫びも兼ねて、リーラに優しくしてあげようかな……。
そんなことを考えながら、俺はベッドから重い身体を起こす。
(ティフォ、おはよう)
そして念話で、同じベッドで寝ている今は黒猫の身体の彼女に挨拶する。
(ん……おはよう。今日は早いのね)
(なんか良く眠れなくて……)
(奇遇ね、あたしもよ……ごめん、あたしはもうちょっとベッドで横になってから起きるわ)
念話から、彼女も安眠できなかった様子が伝わってくる。
ティファもまた、調子が万全というわけではないようだ。
※
朝食後、いつもは出仕していきたキルケーと共に政務を執る――主に陳情に対して、過去の似た事例や、法律を元にキルケーが導き出した解決策に対して承認のサインをする仕事をしているのだが、今日は断りを入れて休ませてもらった。
「まあ、姫様も戦場帰りでお疲れになったでしょうからな」
キルケーから小言を言われるかと思ったら、予想外に優しかった。
一緒に出仕してきたフレアを通してお願いしたのがよかったのかもしれない。
よーし、今日一日はリーラのために使おう。
今からでもお茶に誘ったら、リーラ喜ぶかな。
今日は休みにしたと言ったら、リーラびっくりするかな。
あ、でもリーラが休みであるわけじゃないから、まずは二人でリーラのお仕事を片付けなきゃ。もし結婚できなくても一人で生きていけるように家庭科を真面目にやっていてよかった。
昨日のお詫びとしてサプライズを用意してあげることに、俺のテンションも上がり始め、わくわくと心を弾ませるとともに、俺は城壁に沿って坂道を下っていく。
リーラはこの時間は城の裏手にある川で洗濯をしているはずだ。
案の定、川の洗濯場にリーラは籠を脇に置いて腰をおろしていた。
それを見つけると、まずは俺は城壁に隠れる。
そして、念のため過度な愛情表現に対する心構えをし始める。
まるで詰将棋を行うように四、五手先までの会話をシミュレートする。
特にリーラの場合、逆にこちらが詰まれて、今日一日ではなく一生が犠牲になりそうな勢いがあるので、適度な距離感を保つための伝達の仕方は重要である。
「うう~冷たいのです」
しかし、その俺のシュミレートはその震えた声によって中断される。
「水が冷たくてリーラは洗濯が苦手なのです。でも、リーラは姉さまのために頑張るのです」
ステンベルクを覆ういくつもの山脈。そこから流れ出る雪解け水は夏でも冷たい。
まして今の季節は秋。
その水の冷たさが、この少女の指先を凍えさせていることは想像に難くなかった。
「ふう……姉さまったら、こんなに洗濯物を溜めてしまって……でも、時間を惜しんで姉さまが頑張った証なのです。そんな姉さまをリーラはこうして支えていくのです」
リーラの言う通り、洗濯籠の中には俺が戦場で溜めた洗濯物もあった。
時間もそうだが、水は飲み水としての用途が優先のために自由に使える水が限られ、洗濯を疎かにしてしまっていた。
ゴメン……。リーラ、今まで俺はキミを誤解していた……。
彼女が頑張ってくれているとは思っていたが、ここまで一生懸命にしてくれているとは知らなかった……。
リーラが洗濯板で丁寧に洗っている姿に、俺は心を痛める。
布は貴重品なのだ。
合成繊維などなく、大規模な綿花のプランテーションなどもない。ステンベルクでは羊毛が特産品ではあるものの、俺のいた世界ほどの牧畜技術もないから原材料がまず高い。
その上、それを糸にするため、織るための産業革命後の紡績工場もないから、一枚の布が俺のいた世界では考えられないほどの価格となっている。
だから、何度も洗って使用しなければならないのだ。
「うう~指が冷えてしまったのです……」
一旦、リーラは川から洗濯物と手を引き上げる。
その指は、血の気がなく真っ白だ。
せめて、その手でも温めてあげよう――そう思って、城壁から飛び出そうとしたのだが、俺の足が止まった。
というのも、美少女になって自分の身を守るために備わり始めたレーダーに何か反応があったからだ。
もともと共依存性が強く、ちょっと変わったところのある彼女が、さらにおかしな雰囲気を放っていた。
「ふう……ちょっと休憩なのです」
リーラはそう言うと、洗濯籠の中に頭を突っ込む。
そして、しばらくそのまま、動かない。
「ハア、ハア、ハア……姉さま……姉さまの匂いに包まれてリーラはとっても幸せ者なのです」
しばらく着っぱなしで、洗うことのなかった衣類の山。
リーラはそこに顔を埋め、まるでフレーメン反応でも起こしたかのように口をあんぐりと開けながら、荒い息を吐く。
「ヨシ! これでリーラは元気になったのです」
エンドルフィンがドバドバ出ている状態なのか、リーラは元気を取り戻すと、冷たさも気にならない様子で洗濯を再開し出す。その動きはいつになく元気だ。
「あのにっくき姫騎士はいなくなりました、時は来ました。これからはリーラの天下なのです」
うん。良く分からないけど、そんな三日で終わりそうな天下よりも、洗濯日和の今日一日の方を俺は大切にしたかったかな。
俺は足音を立てない様に気をつけながらその場を去る。
そして、別の方法でリーラを手助けすることを考えながら私室へと戻る。
匂い問題と洗濯問題。この二つの問題を解決できる方法はないのか。
ベッドの上では未だに元気なく黒猫が寝転んでいた。
しかし、それに気遣う余裕もなく、俺は捲くし立てるように言った。
「ティフォ、衛生のための施設を造ろう」
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