第一章 本当の自分の姿が見られてしまったの 6
犬や猫は飼い主に似るというのは良く言われることだが、ステンベルク王国の姫の愛猫、ステラほど、彼女にそっくりな猫はいない――と密かにジェイドは思っている。
ガクンと頭を垂らしながらトボトボと歩くその後ろ姿。
それは落ち込んだ姫様にそっくりである。
「……何か嫌なことでもあったのかい?」
優しく声をかけながら猫を抱き上げる。
ビクッと黒い毛並に包まれた身体が一瞬、強張るも、大人しく自分の腕の中に納まってくれた。
少しは心許してくれるようになった、という感慨が湧く。
以前のステラは、人間になかなか懐かぬ猫で、姫様以外の人間が抱きかかえようとすれば、容赦なくその爪が飛んできたものだ。
「……怪我をしなくてすむようになったものの、こんなに元気がなくても心配になるなあ」
そんなことを呟きながら、ジェイドは城に入る。
リーラと裁縫の約束があると聞いているから、彼女が作業部屋にいるのはすでに検討がついている。
軽く咳払いをし、声の調子を整え、前髪を手で梳き、背筋を伸ばしてから、目の前の扉をノックした。
「……邪魔なので開けないでください」
予想していた通り、扉越しにキツい言葉が飛んできた。
「リーラ、そんなこと言わないの。大切なお客様かもしれないでしょ? どうぞ入ってください」
麗しい声に促されて、ホッとしながらも――いささか心拍数を上げながら、ジェイドはドアを開ける。
「姫様、失礼します」
部屋の中央にはテーブルが置かれ、その上に裁縫箱が広げられている。
そして、その裁縫箱の前に、仲睦まじくというには一方的な様子でステンベルク王国の姫――ティフォと、そのお付きのメイド――リーラが並んで席に着いていた。
「あら、ジェイド、いらっしゃい」
ティフォが笑顔で迎えてくれる。しかし、その笑顔は若干ひきつっており、救難信号が見え隠れしていた。
「リーラ、あまり姫様に迷惑をかけるのは感心しないな」
「逆です。兄さまが迷惑なんです」
兄さま――といっても、実の兄妹というわけではない。
正確には、幼なじみの関係である。ティフォも含めて。
ジェイドもこの国では名の知れた貴族の子息であり、幼い日より王城に出入りしていた。
だから、リーラの母であるメイド長にも世話になったし、そしてティフォの母である王妃殿下にも可愛がられた。リーラと共に。
王妃殿下は強い女性として有名であった。
しかし、病には勝てず床に伏せるようになり、そして死の直前、ジェイドとリーラは呼び出され、彼女の前で誓わされたのだ、義兄妹になることを。さらにお願いされたのだ、ティフォのことを。
そのことは、二人がティフォに隠している数少ない秘密の一つである。
だからティフォには年齢差から、そう呼び始めたと曖昧に伝えている。
「……ねえ、リーラ。わたくしの服と、あなたの服を隙あらば縫い合わせようとするのはわざとなのかしら?」
「姉さま。隙があるからではなく、隙間があるからなのです」
「う、うん? リーラの新しい冗談かしら?」
「とんでもないのです。リーラは姉さまに関してはいつもマジメなのです」
とても明るい笑顔で言うリーラ。
人間関係に物理的な拘束力を持ちだすことに何の躊躇いもないようである。
「……リーラ、あなたは裁縫が得意なのだから、わたくしが教える必要はないわよね?」
「ううん、今は姉さまの方が得意なのです。前は下手だったのに、今の姉さまはまるで別人みたいなのです」
腕の中にいる黒猫の身体がビクンと震えた。
そして身を捩り、やや強引にそこから抜け出すと、逃げるように部屋から走り去っていく。
「あっ……」
思わずジェイドが声を出す。
「そういえば、兄さまは、何故ここに来たのですか?」
そして、それを見逃がすリーラではなかった。
「その……ステラを……」
「でも、ステラはもうどっかに行ってしまったのです。兄さま、早く探しに行ってくださいなのです」
リーラが、それはそれは明るい笑顔で言う。
と、その時――。
「あら? ジェイド、袖が解れているわ」
下りる時に猫の爪が引っかかったのだろうか。
軍服の袖が少し裂いていた。
「貸してくださる?」
隣からヒシヒシと伝わってくる負のオーラを感じながら姫は、彼の手を取るようにして――命綱を握るようにして、その袖を掴むと針を通していく。
「…………」
思わずジェイドは言葉を失う。
それはまるで手を繋いでいるようであり、さらに距離が近くなったことにより髪からふんわりと漂ってくる香りは、まるでここに花が綻んだように感じられた。
吸い寄せられるままに、真剣な表情で縫い物をするその横顔に見入ってしまう。
大袈裟に言えば、まるで新婚生活の一幕を体験しているような、そんな気分になってしまう。
「はい、できました」
その真剣な横顔が、こちらを見つめる笑顔に変わる。
それがこの時間の終わりの合図であることに気が付いて、ハッとなるとジェイドは慌てて口を開く。
「ひ、ひ、め様……い、いつの間にこんなにお上手になられたのですか?」
彼の記憶の中にあるティフォは糸が結ばれるのでなく、絡まっていた。
「家庭科の授業で――ごほん、ごほん、こういうこともあろうかと密かに練習していたのです」
「むう~~」
メイドの少女は、今度は露骨に騎士を睨む。
「……リ、リーラも何かわたくしに縫って欲しいものはある? わたくしの服と縫い合わせる以外で」
周囲に気を遣う性格である今の姫は、メイドの少女にそう声をかける。
「はい、あるのです。ええっと……ええっと……」
ぱあっと顔を輝かせて頷いた後、リーラは自分のメイド服に視線を走らせて、必死に解れや破れを探し始める。
が、見つからない。
そこでメイドの少女はまたしても力技を使うことにした。
リーラは自分のエプロンに手をかけると力いっぱい左右に引っ張る。
ビリと音を立てて裾が切り裂かれていく。
「――っ! リーラ! 止めなさい!」
その裂け目がさらに大きくなりそうになる前に姫は制止する。
「リーラ、確かにわたくしの言い方が良くなかったかもしれません。だから、今回だけですよ? 本当に今回だけですよ? 物は大切にね」
「はい、なのです」
信用できない笑顔で頷くメイドの少女。
なんだかんだ言って、姫はこの妹分には甘い。
本来は自分が彼女を強くしかるべきだった、と思いつつも、ジェイドは自分の縫われたばかりの袖を見る。
そして、自分ももう一度、袖を破いたら縫ってもらえるだろうか、なんていうバカなことを考えてしまう。
「はう~姉さまからとってもいい匂いがするのです」
自然、縫うために距離が近くなった姫の髪に鼻を近づけると、リーラは子犬のようにヒクヒクとそれを嗅ぐ。
「そ、そう? ありがとう。でも、少し顔を離してくれるかしら?」
困惑した表情を浮かべながらも、姫は手を動かす。
その光景に、ジェイドは顔を赤くしながら思わず苦笑する。
これではリーラを叱れない。
そして――。
それは妹分のリーラだから許せる光景だった。
「そういえば姫様、さきほど悠の国の皇子と名乗る男性と何を話されていたのですか?」
その悠の国の皇子はティフォの婚約者でもある。
国際情勢は変わりつつあるが、まだそれは正式に婚約破棄されたわけではなく、逆に情勢次第ではその流れが強化される可能性もある。
「ええっと――」
どこまで話していいのか思案するように一旦、針を休めた後、姫は言葉を続ける。
「――正式な調印はまだですが、悠の国と同盟を結ぶことになりました。その取決めを色々と話し合っていました」
「そう……ですか」
自分に話していないことがある、とジェイドは感じたが、妹分のリーラの手前もあり、平静を装いながら引き下がる。
「蘭皇子のあの姿、とっても可哀想なのです。確かにあんな醜くなってしまうのは呪いなのです。きっと内面の悪さがそのままが外面に出てしまったのです」
「――ッ!!」
姫の指先で、それまで規則正しく動いていた針が乱れ、指の腹に突き刺さる。
そこから血が滲み、白い布に真っ赤な染みを広げていく。
「はわわ、姉さま、大丈夫ですか!?」
「……リーラ、そういうことは言わないでちょうだい。人を見た目で判断するなんて最低よ!」
「は、は、は、はいです」
自分がエプロンに手をかけた時よりも感情を露わにする姫。
そんな姉さまを、リーラと――そしてジェイドは、吃驚した様子で見ていた。
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