第一章 本当の自分の姿が見られてしまったの 5

 街を散策する気分には、もうなれなかった。

 トボトボと城に帰ってティフォは、そのまま自分に部屋に戻ろうと城の中を歩いていき――思わずベンチの影に隠れた。

 というのも、通り過ぎようとした中庭に、今は美少女の身体に宿るケイとグレゴーリがいたからだ。

 ケイは木の板をノートとして両手で抱えながら、真剣な眼差しでグレゴーリを見ていた。

「グレゴーリ。わたくしは今回の戦いで兵法、そして兵の指揮の大事さを学びました。そこでステンベルク一の戦上手と名高い将軍にそれを教授してもらいたいのですが」

「ほほう。姫様にそう言われるとは光栄ですな」

「それでグレゴーリ。戦に勝つための兵の指揮とはどのようなものでしょうか?」

「それは兵を動かさぬことです」

「……? そうなのですか……」

 若干、疑問が浮かんだようだが、ともかくケイは炭でそれをメモする。

「では、戦で負けぬための兵の指揮とはどのようなものでしょうか?」

「それは兵を動かすことです」

 メモしようとしていたケイの手が止まる。

「……グレゴーリ。それは矛盾してしませんか?」

 勝つ=負けないとした場合、グレゴーリが言っていることが同じでなければおかしい。

 それとも引き分け狙いとかそういう話なのだろうか。

「姫様。人間の失敗の原因というのは概ね、そのようなものなのです。動き過ぎて失敗するか、はたまた動かな過ぎて失敗するか。即ち名将というものは、臨機応変に状況に応じてその両極の間を的確に判断できる将のことです」

「なるほど……」

 ケイはノートに書き留める。

「それが分かっていながらも実践が難しいのは、個人の性格が元からそのどちらかに傾いているからなのです。動き過ぎて失敗する性格、もしくは動かな過ぎて失敗する性格かに」

「……確かに……そうですね」

それは自分にも思い当たる部分があり、納得できる話なのか、ケイは深く頷く。

「だから、その失敗をしないように、また失敗したとしてもそれを最小限に食い止めるために、準備が大切なのです。それは姫様の得意とするところですな」

「わたくしの得意?」

 はて、とケイは首を傾げる。

「まずは情報収集とその取捨選択です。丁度、同胞達が世界各地に散らばっており、彼らが情報を集めてきてくれる。それを元にポートイルマの内情を正確に分析したのは、このグレゴーリ、感心しましたぞ」

将軍が豪快に笑う。

「次に地の利を考えることです。姫騎士が山に展開していたのを見て、正面からは無理と判断し、その裏側を遮断することで敵をステンベルク領内に孤立させて山から引き摺り下ろしたのは、お見事でしたな」

「そんな……皆さんのお力と、そして、たまたま偶然上手くいってくれただけです」

 ケイは褒められることに慣れてないのか、赤らめた顔を木の板で隠す。

「後は普段からの個人の鍛錬と部隊の訓練――これは、姫様のまだまだ不得意なところですな」

 そんな姫の様子を微笑ましく眺めながら、グレゴーリは言葉を続ける。

「と、このグレゴーリ偉そうなことを言っても、自分自身その全てをなかなか実践できませんでな。お蔭で名将とはなかなか呼ばれませぬ」

「いえ、わたくしは戦に関しては素人ですが、将軍に足りないのは名声だけだと思います」

 と、その時――。

「お姉さまーー!!」

 本丸から乳母兄弟(姉妹)であり、お付きのメイドのリーラの声が響いてくる。

「いけない……リーラに裁縫を教えてあげる約束をしていたんだわ」

 美少女の姫は妙に顔を青ざめさせると、

「グレゴーリ、今日はありがとうございます」

 と一礼し、走り去っていく。

 その後ろ姿を、強面を緩めながらグレゴーリはニヤニヤと眺める。

「将軍、よかったですね。姫様からありがたい言葉を頂いて」

 姫の後ろで三歩ほど下がりながら、一緒に講義を受けていた端正な顔立ちの騎士――ジェイドは、嬉しそうな顔をしているグレゴーリにそう声をかける。

「無論、それも嬉しい。だが、ジェイド気付いておったか?」

「……? 何をです?」

「後ろで鍛錬していた若い兵士達までもが、講義中にこちらに聞き耳を立てていたことを」

グレゴーリは、ジェイドの後方を目で差しながら口を開く。

「今までやんちゃばかりして兵法を学ぼうともしなかった青二才達が、盗み聞きをしておったわ」

 話の流れから嫌な展開は予想して、思わずベンチの下に隠れていた黒猫は思わず身体を小さくしてしまう。

それは自分にも心当たりがあった。

「昔は姫様の方がお転婆で兵法などお嫌いだったが……今やその背中で青二才達を引っ張るようになるとは」

 案の定だった。

 再びピンと立ちながら膨らむ黒猫の尻尾。

 隠れる気力もなくなり、猫はベンチの下から這い出すとトボトボと歩いて行く。

「ん……? あれはステラ? すみません、将軍。もうすぐ餌の時間なので、猫を姫様に届けてきます」

 ジェイドはそれに気が付くと、敬礼してからその後を追う。

「ふふふ、ジェイドめ。姫様に会いに行ける口実を見つけたか」

 それにしても――とグレゴーリは首を傾げる。

「……昔の姫様は動き過ぎて失敗する性格と見えたが、今の姫様は動かな過ぎて失敗する性格に見える……」

 それは生まれついての性質であり、ほぼ変わることがない傾向性である。

 そこに成長があるとすれば、自分のその性質を客観的に見つめ、正しく理解し、そして行使していくことである。

 短所と長所は、表裏一体のもの。『失敗』と短所だけのように語ったが、それは長所となり成功の要因にも成り得るものなのだから。

「……ふむ……まあ、無理もないか。本来ならば、背伸びしながらも、まだまだ子供でいたいお年頃だ。それなのに戦場の空気を吸い、多くのもの背負わされたのなら、不安定になるのも致し方ないのであろう」

 それが王族に生まれたものの宿命とはいえ、年端のいかない少女を担ぎ出すことに少なからず責任を感じているグレゴーリは、寂しげな表情でそう呟いた。

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