第一章 本当の自分の姿が見られてしまったの 4
――べ、別にケイの前から逃げたわけじゃないんだからね! 街の様子を見にきただけなんだから!
心の中でそう呟きながら、ティフォはトコトコと街を歩く。
「さすが我らが姫様じゃ!」
「もしかしたら父君を越える名君になるかもしれんのう」
街の様子はまるで、お祭りの時のように明るい。
それは――嬉しい。
が、それを聞いているとティフォは複雑な気分になってくる。
街の喧騒から離れようと、ふと寒そうな飾り気のない屋敷の前まで来た時だった。
――フレアも今はここに住んでいるのよね……。
その屋敷の主をティフォは知っている。冷血宰相ことキルケーだ。
そして、今はそこにグレゴーリ将軍の娘であるフレアも一緒に住んでいる。
ブラウ家の当主のキルケーに代わって領地を治めている夫のライトに随って、そこで新婚生活を過ごせばいいのだが、義父と一緒に城の勤めの方を優先してくれているのだ。
この屋敷の趣から分かる通り、キルケーの宰相としての冷徹さ、厳格さは他人より前にまず自分に向いているのをティフォは知っている。
それは自分の家族もそれに巻き込まれているということであり、まさかフレアがイビられているとは思わないが、ティフォは気になって、塀の隙間から入り込むと中を覗き込む。
「はい、お義父様、お茶です」
「ふむ」
居間で寛ぎながらフレアの淹れたお茶を美味しそうに飲むキルケー。
その目はいつになく優しい。
妻を早くに亡くしたキルケーにとって、こういった時間の長らく喪っていたものなのだろう。
「フレアの淹れてくれたお茶はとても美味い。そんなことは一切、教育した覚えはないのに、まさかあのライトにこんな良い嫁を見つけて、連れ来る才覚があったとは知らなかった」
ティフォにとっては何度も聞かされた構文なので良く分かる。
息子をダシにしてまでも、フレアを最上級に褒めている。
――……あ、あのキルケーがデレデレしてる!?
幼い時より小言ばかり聞かされてきたティフォにとっては、衝撃の光景である。
見てはいけないものを見ているような、そんな気分にさえなる。
「ありがとうございます、お義父様」
おさげの髪を揺らしながら、義父の言葉に笑顔で返すフレア。
「これも、姫様のご尽力のお蔭です」
「ふむ、姫様か……」
どこか遠くを見つめる目となるキルケー。
いや実際、遠い。最後に姫様と呼んだのはいつ以来なのだろうか。
「陛下が療養生活に入る前に、娘が阿呆だと思ったら、君が国を治めろと託された時は、壮大な意趣返しをされたかと思った」
キルケーは懐かしそうに言う。
「陛下がそうだったように、彼女もまた大器の持ち主、今はその大器の中を満たす水を溜めている最中……そう信じて忠言を繰り返してきたことが、ここで身を結ぶとは……。我が君の容姿の目が眩み、勝手に幻想を抱いていた者達を侮っていたが……いやはや、彼らの方が人を見る目があったようだ」
そう語る義父の様子をフレアはニコニコと眺める。
メイドとして使える主君が褒められるのは、彼女も嬉しいのだ。
それに気付き、キルケーは慌ててゴホンと咳払いをする。
息子の嫁の前では、この冷血宰相も隙を見せてしまうものらしい。
「フレア、絶対にこのことを言わないでくれ」
「あら、どうしてです? その話を姫様にしたら、大変喜ばれますよ」
「それで調子に乗って、我が君がまた昔の姫様に戻ったら困るだろう」
――……!!
居間を覗いている黒猫の尻尾がピンと立ちながら膨らむ。猫が衝撃を受けた時の所作。
そして、猫は踵を返すと急いでその場から走り去っていく。
「ゴホン」
猫に覗かれていたことなどつゆ知らず、宰相はもう一度、咳払いをした後、口を開く。
「確かに私の前では今の我が君でいてもらわねば困る。しかし、フレア。私のいないところでは以前の姫様でいられるように心を砕いてもらえぬか」
「はい、わかりました」
フレアの返事に頷くと、キルケーは窓の外を眺める。
そこには雄大な山々が太陽の日を浴びてその稜線を輝かせている。
キルケーは昔を思い出すように目を細める。
そして、いつも冷静な顔に珍しく少し意地悪な――壮大な意趣返しに対して、さらなる仕返しをするような表情を作ると、遠くを見ながら呟く。
「たとえ我が君が想像以上の阿呆であっても、私は決して自分が国を治めようとは思わなかったでしょう。そう人を感化させるところに関しては、陛下より我が君の方が遥かに優れていますなあ」
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