第一章 本当の自分の姿が見られてしまったの
第一章 本当の自分の姿が見られてしまったの 1
「ふふふ、この姿は君にとっては懐かしいだろうけど、中身は君にとっては初めましてだね。悠の国の蘭皇子だ。ティフォ王女とは、この姿でない時に外交の場で会ったことがあるね」
かつての自分の姿――それが自分ではない自己紹介をする姿を、俺は茫然と眺める。
しかし、喋る度に涎が零れるんじゃないかと思うほど震える唇、頬の重みで引っ張られたて見開かれた気持ち悪い迫力のある目、常に息苦しそうなぶよぶよとした体形……。
それは確かにかつての俺自身の身体だ。
思わず横目でティフォを盗み見る。
誰にも知られたくなかった秘密がバレてしまったような、そんな気分だった。
ドクンドクンと鼓動の音が速く大きくなり、背中にひんやりとした嫌な汗は噴き出てくるのが分かる。
そんな俺の動揺が見てとれたのだろう。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。何せ僕達は――」
(――心の声で、本音で話し合える仲じゃないか)
蘭皇子は、最初は普通の声で、そしてその次に念話で続けた。
(じゃ、さっさと聞くわね。蘭皇子、何しに来たの?)
ティフォが単刀直入に聞く。
「ふふ、形式的には今も僕は君の婚約者だと言うのに、歓迎されてないようだね」
蘭皇子は軽い口調でそう言うと、また念話に切り替えて言葉を続ける。
(僕の目的は今のこの身体を見てもらえば、察してもらえると思うけどね。僕の本当の身体を見つけて欲しいんだ。指南車が指し示す方向によれば、西に――悠の国より、西にあるみたいなんだ。それに僕が――いや、僕達が、元の身体に戻るためには、それぞれの元に戻る身体が近くに――この心の声が届く距離にいなければならない。だから、頼めるのは君達しかいない)
そう念話でささやくと、蘭皇子はねっとりとした目で俺を見る。
まるで、俺の心の中を見透かすように。
「もっとも……君達が――いや、君が――」
そして、複数形から単数形へ――確かに俺をとらえて決定的な一言を言葉にしようとする。
が――。
(――ちょっと待ってよ。ということは、あんた、元に戻す方法を知っているの!?)
ティフォに遮られる。
蘭皇子の目が、俺からティフォに移る。
(正確に言うと、その手がかりまでだね。何しろ、悠の国でも最初、何が起きたのか分からず、太史令達が古文書を調べつくしてやっと、シ解仙といった迷信の類と思われていた失われた秘術まで辿り着いたんだ)
そう言うと、蘭皇子は手を自分の袖の中に引っ込めて、何かを取り出す。
出てきたのは二つの小さな瓢箪。
(まだまだ魂魄と元の身体とを完全に戻すのは無理みたいだ。でも、一時的にせよ戻す方法は見つけられた。それがこの霊薬だよ。一回分がこの分量だ。飲んだ二人が一時的に身体を交換できるようになっている。とりあえず一回分は君達に進呈しよう。ちなみに、普通の人が飲んでも無理だよ? 身体が交換されて魂魄が不安定な僕達にしか効果はない)
(ほ、本当なの?)
(僕が嘘を言っているなら、それが念話で伝わっていると思うけどね)
(そ、そうよね)
ティフォの驚きが念話を通して伝わってくる。
とりあえず今は、元の身体に戻る手がかりが見つかった喜びよりも、驚きの方が強いようである。
それが少し俺を落ち着かせる。
そして、今の俺の役割を思い出させる。
中身の七門景ではなく、この身体のティフォニア・イン・ステンベルク王女としてするべきことを。
「蘭皇子のご依頼、お引き受けしましょう。ただし、条件があります」
「条件?」
「このステンベルク王国と同盟を結ぶこと。そして、春先に皇子にはザルツドレア帝国に出兵していただくこと」
「ふむ……その際は、ステンベルクの街道を使わせてもらってもいいのかな?」
「それは遠慮願います。民に不要な不安を抱かせたくはありません」
「では、他の国境から派兵して欲しいというわけかい。でも……敵も手ごわい。出兵しても、何もできずにそのまま帰るかもしれないよ?」
蘭皇子は会話で俺の力量を計っている。そして、外交交渉に切り替わったのを察知して、引き出せる譲歩を探っている。
その証拠に感情が漏れやすい念話では話さなくなっている。
「それで構いません。悠の国が動いたとなれば、帝国はそちらの方に目が向いてくれるでしょうから」
「ふふふ、僕を囮にするというわけかい。いや、人質かな? 何しろこの同盟を結ばないと僕の本当の身体探しに協力してくれないわけだからね」
「はい。皇子が今後ともそのお身体のままでよければ別ですが」
悪びれずに言う俺に対して、皇子の顔が少々強張る。
元は自分の顔だけに、皇子がどういった状態なのかがわかる。
ティフォに中断された俺に言おうとしたことが逆手に取られて不快なのだ。
「それに、その話を抜きにしても、悠の国にとって悪い話ではないと考えますが」
「ほう…それは何故だい?」
「それは先ほど皇子が注目されていたことではありませんか。このステンベルクの街道を帝国軍が使うことがなくなることです」
俺は続けて言う。
「皇子がご存知の通り、このステンベルクの周辺は山脈と大河という天然の城壁と堀に囲まれ容易に行き来は出来ぬ難所。その中で唯一、帝国と悠の国を繋ぐのがステンベルク国内を通る街道。その抑えとして、帝国は城塞都市ポートイルマを占領し、悠の国は西龍城を築いていましたが、今のその二つはステンベルクのもの。より一層、ステンベルクの街道の魅力は増していることでしょう」
「……そうだったね。山の中の小国が未だに独立国として存在している理由は、そうやって二つの国を天秤にかけているからだったね」
「それに、攻め込めば最初は帝国の目は悠の国に向くでしょう。しかし、しばらくすればその目はステンベルクへと向くことになると思います。その時は、我がステンベルクと悠の国とでバターナイフで切り取るように帝国の領土を手に入れることができるでしょう」
「たいした自信だね。ふふ、それが君の当面の戦略というわけかい」
蘭皇子が顎に手を当てる。
今までの値踏みするような視線から、思案する顔に変わる。
そして、しばらくすると結論が出たらしく、今度は念話で話しかけてくる。
(ふふ、わかったよ。この同盟を承知しよう。ただ、僕の顔を立ててくれないかな? お土産もなしに手ぶらで帰ると大臣達を説得できないしね)
(……わかりました。西龍城は返還しましょう。ただし、未だに東方に派兵されて転戦中の我が国の兵士達の拠り所が必要です。一年、待ってもらえないでしょうか?)
(ははは、心の声なんだから、言葉を飾らなくても良いよ。本当は派兵してくれるか半信半疑で、それを確かめる時間を作るためだろ? ……まあ、傭兵達のことも嘘ではないみたいだけど)
その蘭皇子の念話から漏れる感情の機微を聞く限り、大筋で合意してくれたようだ。
「帝国領をステンベルクと悠の国とで切り取り、この大陸を君と僕とで治めることになる。それもまた一興かな」
「果たしてそうでしょうか? 天に太陽は二つなく、両雄は並び立たないもの。その理からすれば、今度はあなたとわたくしが、かつて握り合った手に剣を持ち、徳と覇を競うだけです」
「ふふふ、物騒な婚約者さんだ。君と僕が結婚して、天下を共同統治するというのも、また一興だと思ったけど、その様子では振られてしまったようだね」
そしてその後は、通商関係や、帰還する兵士達の支援と安全の保障といった細々としたこと取決めた。
こうしてステンベルク王国と悠の国は密かに盟約を結んだ。
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