第一分岐点
途切れた意識が再び上昇した時、私は誰かの部屋にいた。正確には実態はなくて、その景色を見ているだけだった。
(これは、エディ兄様の部屋? )
やっと会えたのに、声も出ない。エディ兄様に触れることすらできない。視覚だけが存在している状態。
「エディ、水飲める? 」
「……ご、ごめんなさい、叔母……私のプシュケーが呪いになってしまう…… 」
「……まだ呪いなんか発現しないわ。 少しでも器を維持しましょう、ね 」
アーティ叔母はエディ兄様を看病している。ーー表向きは。本当は兄様の ≪神の力≫ に由来している ≪エピソード≫ が未完成になってしまっていた。そして、混乱を起こしてしまう一歩手前の兄様の器を破壊させないように、叔母様の力を使ってなんとしてでも食い止めているところなのだろう。幼い器は脆く、壊れやすいから。
大きな出来事はもう、変えられない。神の理によって定められている。エディ兄様のこの状態からみて、あと2年耐えられるだけだ。毎回そうだった。
もし私がここで何かしてしまっても、原作の主人ユディが生まれなくなってしまう危険がある。何もできない、ただこの状況の進行をまつだけの自分に歯痒さをおぼえる。
(あっーー! )
もう少しエディ兄様の様子を見ていたかったのに、闇に呑み込まれてしまう。途端に何も見えなくなった。真っ暗な影に全身を囚われてしまう。動けない。苦しい。
頬を何かが撫でてきた。恐る恐る見てみると、暗闇に近い色をしたオルフェさんの髪だった。彼の髪がカーテンのように周りとの空間を物理的に遮るから、私とオルフェさんだけの世界のようだ。
彼の口許のほくろがよく見える。じーっと私だけを見つめている緑色の眼差し。初対面の時は私を安心させたその色は、別の意味を持っていた。そういえば、どこかの人々は緑色の目に嫉妬に苛まれた人という意味を持たせているらしい。
私は、≪エピソードの記憶≫ の箱を開けてしまった。オルフェさんがその箱の鍵。
「オルフェさん……繰り返す必要があるんですか? 」
「ねぇ、思い出してください……私たちが持つ力は、いくら神の力に由来するといっても、もとの器は人間です。……人間は完璧ではないでしょう?人間には嫉妬や劣等感を持つ生き物なんです。そして、そこから生まれるのがコンプレックス。ーー今度こそ、コンプレックスを克服しなきゃ 」
「だからって、なぜ! 私はコンプレックスなんて無いはずなのに 」
「いいえ、まだ気がついていないだけ。 キミもキミの周りの者たちもキミに由来するソレをもっていますよ。ーーねぇ、だから今は耐えて。 キミの苦しみはまだ続くよ。私が救ってあげられるまで。まだその時は来ないんだ。 ごめんねぇ 」
後戻りなんてさせないと言うように、彼の手が私の腕に絡みつく。手の跡がついてしまうのではと思うほど強く力をこめて握りしめられる。所有者の証をつけられているみたいだ。
「離してください……どうして……そんな私だけ 」
「キミのプシュケーが囚われているから 」
ーーまただ。この台詞を聞くのは何度目だろうか?
この理から私は今度こそ脱出しなければいけない。戻ることはできない。
「導く役割も、もう終わりにしたいのです。実のところ、ほんとうは……」
懺悔ともとれる言葉を置き土産にして、私の腕から手を離した彼は、自分がつけた私の腕に残る手の痕を名残惜しそうに見つめて、痕にそっと口付けると、いつものように微笑んだ。
「ーーまって!! 」
オルフェさんを引き止めようと手を伸ばした状態で飛び起きた。窓から部屋に差し込む光は太陽の光だ。いつのまにか部屋に戻っていた。
昨日のことは夢ではない。ましてやこの世界も夢ではない。オルフェさんから天秤の目の前で聞いた話。蘇ってきた記憶。私の本当の正体ーー。
私の目に映るのは物語を創造した空想ではなくて、現実だ。今なら確信できる。でも、オルフェさんは何のために、初対面の時私に夢だと思い込ませるような事を言ったのだろう。彼に利点はあるのだろうか?
そしてもう一つ、不安なこと。私は以前、この世界のはじまりから終わりまでどのように歩んだのかわからなかった。そこだけぽっかり消えているのだ、真っ白なページみたいに。でも、この世界に知識も有れば愛着もある。思い出せるのだろうか。
記憶には穴があった。原作の記憶も私が本で読んだ範囲しかわからない。
おそらく、何かの理由で記憶の奥底に仕舞い込んでしまったのだろう。別の鍵が見つかれば、なにかきっかけが有れば、ふっとまた箱が開くのかもしれない。
ーー私たちは追憶のなかで生きている。
そんな言葉が頭の中で浮かんできた。私はそんなこと今まで考えもしなかったから、おそらく誰からの受け売り。借り物の言葉。
「あーあ、これからどうしよう…… 」
もう思い出してしまったことはしょうがない。夢の中だと言い訳したくない気持ちも芽生えてきたところだったから、丁度いいのかもしれない。
でもなんでこの時期なんだろう。変えることができる期限はとっくにもう過ぎている事がいくつかある。あと、知らないこともまだある。
空気を入れ替えるために窓を開ける。外から入ってくる冷たい風が指先をどんどん冷やしていく。一気に物事が進みすぎて、いや、思い出してショート寸前だった頭を外気が冷却してくれる。
「うん。進んでいないこともまだある。よし、出来ることから少しずつ 」
今なら対策が間に合う出来事もある。トラウマにならないように。アクシデントは防げる。まだインシデントなのだから。要するにユディに影響を及ぼさなければいい。
私は失念していた。これも分岐点であったことを。もう少し、注意深く聞いていれば、箱の奥底まで覗けたのに。実は、これがはじめての選択可能な分岐点だったのだ。
「分岐があった方が面白いと思わない? 縁は切っても切れないものなんだから、全て結べるようにすればいいんだよ。その幾度にも枝分かれする物語を選択するのはーー 」
「それは楽しみですね 」
どこかでコレを観察するモノたちは、様々な想いを胸に秘めている。共通するは、彼女を手に入れたいという気持ちだけだった。
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