夢のなかの夢


 

 無事に散歩を終えて、太陽が海に沈んで空が黒で染まる前に戻ってくることができた。


 やはり、この身体──この世界では器と言うらしい。は思ったよりも力を消耗していたようで、部屋についた途端にプツリと意識が途絶えた。


 小さい子どもがところ構わず力尽きて寝てしまう現象を夢の中で実体験するとは思わなかった。途切れる瞬間にもしかしたら、やっと夢が終わるのかもしれないと期待したのだが。




 微睡んでいると、どこからかコーヒーの香りが漂ってきた。本を読むため徹夜を決めた時に、目を醒ますために淹れたものが残っていただろうか?


 いや借りてきた本を汚さないように読み始める前に全部飲み干して、カップやドリッパーも洗ったはず。  


 じゃあこのコーヒー豆の粉の入れ物を開けた瞬間に薫る香ばしい匂いに似たような香りは、なんだろうか? 嗅覚だけに頼っていたが、閉じていた目を開く。


 夢が終わるかもという期待は、いつのまにか弾けてどこかへ飛んでいった。



「えっ……ここどこ? 」


 自分の部屋とも夢の中の部屋とも異なる部屋とも言えない場所。全く知らない場所。


 区切りがないので空間と表した方が正しいのかもしれない。


 私は一面花の中で目を覚ました。しかも、同じような種類の花が私の周りに果てしなく広がっている。おそらくこの花がコーヒーに似た香りを醸し出しているらしい。


「へ、なにこれ……? 」


 似たような台詞を最近、起きるたびに発している気がする。あり得ないことに度々遭遇すると一周回って冷静になれるのか、すぐに夢の中だとわかった。


 ──夢の中で目覚めたらお花畑にいました。


 なんて、妖精とかが出てきそうなメルヘンチックな物語の始まりでもなかなか見ない表現。こんなはじまりかたをする小説なんて、私は今までに読んだことがない。目覚めたら綺麗な花に囲まれていた夢なんて今まで見たこともない。


「あの本を読んでから変な夢ばっかり。本当になんで? ひとりで花畑にいるんだったら、前の夢の世界の方が楽しくて好きなのに 」



 夢の次にまた夢。自分が体験している現象がなぜ起きているのか、原因は『オルフェリアの希望』と大体わかっていても、この状況が発生している根拠がよくわからない。  


 右をみても左をみても謎の花に囲まれたこの空間と夢の中で夢をみている自分の脳内にうんざりして、思わず不満を口に出してしまう。


「 いつになったら、私を戻してくれるの? 」


 その瞬間、私の言葉に反応したかのように、大きく風が吹いた。色とりどりの花びらが風に巻き上げられて、視界が彩られる。驚き大きく開けた目に入りそうになったので、思わず目を瞑る。




 次に目を開いた時には、元の場所に戻っていた。本来の私の部屋ではなく、夢の中での部屋。エレーヌとして私は目を覚ましていた。あの夢は一体なんだったのだろうか?


「エレーヌ、よく眠れた? 外を見てごらん、いい朝だよ。太陽の光が、今日という日を祝福しているみたいだね 」


「あっ……アーティ叔母様 」


 私を起こしに来たのだろうか、アーティ叔母様が外気を部屋に取り込んでいるところだった。風がふんわりと花々の香りを運んできている。



「いい朝、気持ちいい。 花の香りがする……」


「ふふ、エレーヌは夢の中で冒険でもしたのかな? 髪に花びらがついているよ 」


 笑いながら、アーティ叔母様が私の髪に触れる。叔母様が取って見せてくれたのは、先ほど夢の中でみた花の花びらだった。本当に不思議だ。



「え……? 本当だ! 私さっき夢を見ていたの。 これ、夢の中に出てきた花にそっくり……! 」


 驚き半分、この夢から覚めるヒントになるかもしれないという期待で半分。


 研究をしているアーティ叔母様なら、私がさっきまで一面の花に囲まれていた不思議な夢をみた理由もわかると思い、さっきの夢の内容を詳しく説明する。


 この時には、まさかこの世界が作者がいる物語で、今いるこの場所も私の夢の中とは言えなかった。──叔母様にそれとなく聞いてみたらよかったのに。後から思い出すとここもターニングポイントだったのかもしれない。



「あー、それは…… 」


 思い当たる節があるのか、アーティ叔母様は言葉を濁して私から目を逸らす。


 まるで、答えを知っているけれど簡単には教えてくれない素振りだった。そんないつもとは違う雰囲気に、かえってこの夢だけが重要なことだと思ってしまった。



「アーティ叔母様? ねえ、私が見た夢に何か意味があるの? 」


「うーん、……誰かがエレーヌに会いたいって思ったのかねぇー 、あはは……。ほら! 綺麗な花びらだよ。こんな花をエレーヌに贈りたい人なんだろうね! 」



 叔母様は顎に手を当てて考えてから、言葉を選ぶように慎重に、けれど焦った声のトーンで夢の意味を私に伝える。


 こんな様子のアーティ叔母様は、はじめて見た。よほど予想外の出来事だったのだろうか。この事は早く忘れさせたいようだった。そして、この話題をはやく終わらせたいのか、私の返事を待たずに、コホンと咳をした。


「そんで、こっちが本題! 今日はミィアスの天秤の審判を受けます! 」


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