記憶




「アーティ叔母様、エレーヌはまだ落ち着いたばかりですよ 」


 部屋に入ってくるなり、髪をゆるく一つに結んだ少年が、片方の目に浮かんだ涙を拭いながら、反論する。


「エディ兄様に賛成。さっきまで ≪アポスフィスム ≫ がエレーヌにちょっかいをかけていたんだ。ますます、話が理解できなくなる 」


 いまだアポスフィスムの彼が気に入らない、レオスがエディ兄様と呼ばれる彼に加勢するも、ここで誰よりも ≪神の力≫ 私たちについて詳しい人が、私の記憶を整理することが一番というのなら専門家に任せた方が良いと思った。


 彼らの意見を聞きつつも叔母様に視線を向けると、叔母様は今日のこれからの予定はもう決めているようだ。決意に満ちた目をしている。


「そうか、オルフェが入ってややこしくなっちゃったので、エレーヌの頭が抱えきれるだけ記憶を整理します!!決まり。エレーヌはちょっと特殊だからね、幸い ≪混乱≫ も ≪呪い≫ にもならなかったし、≪破滅≫ も観測されなかった。知識を入れればその分補強される。エレーヌ、ちょっとだけ頑張れる? 」



 最終判断はあくまでも私に委ねられているようだ。少し恐縮してしまう。


「アーティ叔母様が、示してくださるなら…… 」


 アーティ叔母様が悲しそうな表情をする。どうして?


「エレーヌ、記憶がやっぱり分離してしまっているね……もう少し、私に気楽に話していいんだよ?レオスなんか叔母様も言わない。呼び捨てだ 」


「レオスはけっこうガサツなところがあるからね 」


「これからは、ちゃんと呼ぶ! 兄様はおっとりしすぎだよ。この前なんて鳥にお菓子を取られていたじゃないか! 」


 かわいらしい兄弟喧嘩なんて目もくれず、アーティ叔母様はしょんぼりとした目で私を見つめ返してくる。なかなか距離感が難しい方と思っているけれど、懐に入れた人間にはとことん甘いタイプ。だと彼女の性格を短期間で感じ取った。


 だから主人公のユディも人に好かれてたのだろうか。 



 原作の主人公についての考えをきっかけに、思いついた。これは夢の中でも、特殊だ。異例な状態だからこそ、自分の周りについて知識を入れておけば何か、夢を覚ますヒントがあるかも知れない。


 これが夢ならば他の人たちは出てくるのだろうか? エディ兄様がまだこの髪型だから幼い時のはず。


 記憶と器とプシュケーが分離しているとされてるこの状況が今私にとっては有利な状態だ。記憶がなくても自然に教えてくれる。夢の中であってもすこしでも、今の状況を把握しておこう。



「叔母様、私今いくつなの? 」


「エレーヌが生まれたのは、青い丘にオリーブの木が青々と光を照らして輝く季節。それから今は五回季節が巡ったよ」


 今度はアーティ叔母様に親しみを込めた口調で質問をする。正解だったようで、詩的な返答をもらう。


 確か、原作でもアーティという女性は時々こんな茶目っ気がある言い回しを使っていた。夢の番人の彼も似たような感じだったとふと思い出す。


 私が『オルフェリアの希望』を読んだ範囲では二人の関係はあまり描かれていなかったが、共通点があるのだろうか? それよりも、年齢を把握できた今は、私と話したそうにしている、叔母様の後ろにいる少年が気になる。



「で、私の背後から顔を覗かせて、君に早く話しかけたくてうずうずしているのが、少し恥ずかしがり屋の君の兄、エディ」



 叔母様に背中を押されて私の目の前に立たせられた、私の兄だというその子は涙で潤ませた目でみつめながら、私の手を握った。


「おかえり、エレーヌ。ずっとお話ししたかった。私もね、器とプシュケーが不安定になる時があるから、もし怖かったら相談してね。 ≪神の力≫ についていっぱい勉強して、エレーヌとレオスを今度は守るから」



(やっぱり、この子がたしかーー。)


 

 その瞬間、『オルフェリアの希望』のあるシーンが頭の中を駆け巡った。もしかしたら、今からなら間に合うかもしれない。


 夢の中だから、夢が覚めるまで動けることは動いておこう。できる限りのことをしたら、破滅なんてーー


 あんな悲劇も起こらないかもと思い、夢の中では護らせてほしいと思ってしまう。まだ夢の世界では会えていない、主人公のためにも。



「エレーヌ?」


 この、私を心配そうに見つめる目と表情豊かな彼の感情を閉ざしてしまうのはきっとあともう少しだ。


 挿絵で見た時よりずっと幼いし、髪型も変わっているけど、もうすぐきっと彼はーー。




「エレーヌ、疲れたんじゃないの?アーティ叔母様、続きは明日じゃダメ?父様にも報告もしなきゃなんだしさ」


「そうね、目覚めたら出来るだけ早急に記憶の整理をしないとだけど、器が小さいから仕方ないよね。太陽も神殿を照らす夕日に変わる頃だし。今日は終わり。また明日、今日はゆっくりやすみなさい。少し早いけどおやすみ」



 私がぼんやり考えごとをしていると、疲れたと思ってか、今日はもう休ませてくれることになった。


 私の前髪をたくしあげて、おでこにキスをした叔母様は足早に部屋を去っていった。おでこにキスがおやすみの挨拶なのだろうか?




 残されたのは私たち三兄弟。『オルフェリアの希望』では描かれていなかった、主人公ユディの知らない頃の三人。


「そうだ、疲れた時には甘いものがいいと言うし、叔母様に貰ったお菓子があるから三人で食べよう」


「エディ兄様、だんだん叔母様に似てきている気がする」


 気がついたら、外は夕焼けが空に溶けて雲とグラデーションをつくっていた。


 

 子どもだけになった部屋で、今しかできない話をしよう。これは夢。この先、この兄弟に待ち受けている破滅の道を今だけは……少しだけ生まれてきている罪悪感にそっと蓋を閉じた。



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