私の対



「 ……嫌な気配がするから、来たんだ 」



 走ってここまで来たのだろう。冷静を装うように息を整えて、慎重に言葉を紡ぐ目の前の少年の姿をひと目見た瞬間、懐かしさに心の奥が震えだした。



 初対面なのに、何処かで会ったことがあるような。何か大切なことを忘れてしまっているようで、思い出せない自分にもどかしさを感じる。



「エレーヌ……? 」


(これだ、私が呼ばれかった名前。これが私のはじめてもらった贈り物 )


 

 彼の口から発せられた言葉が自分の名前だとすぐにわかった。彼の存在は、私の中にぽっかりと空いた空洞を埋めてくれるそんな気がした。初めて会った筈なのに、目の前にいるだけでどうしてこんなにも安心するのだろう。



 いつのまにか開いていた窓から、鳥たちのの鳴き声が聞こえてくる。さっきまで雲に覆われていた太陽が顔を出し、陽の光が私たちを照らし出す。その景色でぽかぽかと温かい気持ちになるのは、けして太陽の光のせいだけじゃないはずだ。



 幼い時の私がしっている音色で呼ばれた私の名前。この音を聞いたことがあるのに、思い出せない。忘れたくないのに。どこかに行ってしまいそうになった記憶を手探りで引き止めようとする。



 私を惑わせようと邪魔する何かが頭の周囲から離れてくれない。懐かしさと共に、どうしてか、彼をみると辛い気持ちも浮き上がってきた。この気持ちも全て忘れたくないのに。忘れてはいけない記憶なのに。



「ねえ、エレーヌ 」


 

 消えていったはずの記憶がうっすらと頭を締め付けている。思い出せない。この子が私を惑わせている。この子の存在は、ゆっくり私の記憶の鍵をこじ開けてくれるような気がする。まだ、正解まで辿り着かないのに、私を虜にしてしまうこの子は誰だろう。



 ──きっと私のいちばんの大切なひと



 まるで太陽の光を詰め込んだ様にきらきら輝く彼の髪。星々の煌めきを讃える夜空のように碧い眼は心配そうに私を見つめていた。



 何かを話さなきゃと思うより前に、勝手に口が動く。



「あ、あの、夢の番人さんが私を連れてきて…… 」



 彼に対して改まった口調は何か違うような気がして、親しみを込めてさっき会った人について説明する。混乱した私の頭は、子どもじみた語彙力でしか表せられなかった。



「確か、アポス……そう、≪アポスフィスム≫って名乗っていた。 それで、不思議なローブみたいなのを着ていて…… 」



 夢の番人さんが言っていた、まだ意味がわからない言葉を出した瞬間、不快そうに表情を歪ませた。それだけで、意味が伝わるらしい



「だからこんなにも嫌な空気なんだ。どうせあいつがきて、俺の気配でどっかいったんだろ。あいつから何か言われた? 何かされなかった? 」



 (そういえば、≪アポスフィスム≫ は警戒されているって夢の番人さんが言っていた……! やっぱり悪い意味として使われているのだろう。)



「宿題を与えられたの。≪アポスフィスム≫ がどう言う意味なのか答えを探すように、って 」


「はぁ……。≪アポスフィスム≫ は先祖返りでとても強い力を持つやつ。あいつはその中でも特別で、父様やアーティ叔母様が管理してる 」



 彼は心底嫌そうな顔をして、答えてくれた。



「あいつは普段は西の高い塔に隔離されているはずなのに、こうやって僕たちをからかいにくるんだ。とにかく、あいつは厄介なんだよ。エレーヌは近づいちゃダメだ 」



 不満を口にして、外を見やる 「あれ、あれだよ」と彼が指を指す方向に塔が見えた。




「ねぇ、聞いてもいい……? 彼が私は夢の中にいるって、器が不安定って言ってたの 」


「うん……。エレーヌは彷徨ってるって父様が言ってた。そっとして安定するのを待たなきゃいけないって……。……目覚めたばかりだから、立ってたら危ないし、そこ座って」



 私を近くの長椅子に座らせた彼は、少し不貞腐れた様子で話を続ける。



「あいつの言ってることはあってる。器が安定していないから、記憶も曖昧だって。≪呪い≫ や ≪混乱≫ とは違うから、大丈夫って父様には言われたけど……。 ──ねぇ、エレーヌ僕の名前わかる? アストレオス。僕をよく見て、アストレオスだよ 」



 何処かで聞いたことのある名前。昨日読んだ物語に、同じ名前があったはず。夢は日中の出来事に影響されやすいから、きっとこれも夢だろうか。印象に残っているから、夢にまで侵食してきているのだろう。



 確か、主人公が使っていてた呼び名があったはず――



「アストレオス……レオス……」


「そう、ずっとレオスって呼んでくれてた 」



 レオスという言葉を何度も繰り返し発したことがあるかのように、不思議と自分に馴染んでいた。彼は私が名を呼ぶと、心底安心したように笑みをこぼす。その嬉しそうな表情とさっきの不愉快そうな表情が、あまりにも真逆で可愛らしいと思ってしまう。

 


 夢の番人に対して言っていることは少し乱暴だけど、私に対する視線は常に心配そうにしていて、ちょっとぶっきらぼうな子なんだろうな、とついつい勝手に考えてしてしまう。



 私に対する感情が、さも当たり前のように感じて、なんかこそばゆい。でも反対に、ずっと彼の表情を見ていたい気持ちもある。この妙な感覚はなんだろう。



 忘れたくない消えてしまった景色を思い出すように、気持ちがどんどん溢れ出してくる。離れないはずなのに、でも思い出せない。記憶に伸ばした手はまだその箱には届かなくて、正解まで辿り着かない。もう少しなのに、なにかが私たちの繋がりを邪魔しているようだった。


 

 消えて行ったそれを捕まえた時、目の前の彼は近づいた私の感情を察してか、笑みを浮かべた。こんな綺麗な表情は一度見たら頭から離れないはずなのに。消えて行ってしまう前に、遠ざかるまえに捕まえなきゃ。



 彼が私にみせる太陽のような温かみのある微笑みだけではなく光を浴びて輝くふわふわの髪が、素直に綺麗だと感じた。頭がぼんやりとしていて素敵な言葉で飾れないけれど、誉めずにはいられない。




「心配してくれてありがとう。綺麗な髪だね 」


「……なにいってるの? エレーヌも僕と同じ髪色でしょ? 

 ――僕たちは双子なんだから 」



 

 私の発言に呆気に取られ、そう言ってちょっとむすっとした彼は、「アーティ叔母様を呼びに行くから、待ってて」 と言って部屋から出て行ってしまった。



「え? どういうこと……? 」





 返事をしてくれるのは誰もいない。なぜか、彼に呼ばれた名前も正真正銘自分の名前のように納得してしまったし、何かがおかしい、と髪を一房手に取り、自分の髪色を確認してみる。



――さっき駆けて行った彼と同じ色の髪が手の中で輝いていた。


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