配備計画

Cosmic Dark Age 0.4



「先生は知ってたんですね。……らんのこと」

 すみれの視線の先には、教官である日和宮ひよりのみやの姿があった。名前とは裏腹に、遠心科生の間ではその厳格さで知られる先生であるが、孤児であったすみれらんにとっては母親同然の存在だった。訥々と言葉を吐き出したすみれに対して、四十路の貫禄を纏う日和宮ひよりのみやは静かに瞳を閉じる。全て知っていた。口にはしないが、沈黙が肯定の証だった。

「これまでに一体何人の遠心能力者を見てきたと思っている。時には肉親だからこそ話せないこともあるものだ。……それにしても、あいつが本気を出すとはな。何があった?」

「……喧嘩を……しました」

 らんがぶつけてしまった言葉。酷い言葉だ。それは、口が震えてしまって、とてもだが日和宮ひよりのみやの前で言うことは出来なかった。そんなすみれの様子を察してか、日和宮ひよりのみやは小さく「そうか」とだけ述べて、それ以上は追求しなかった。

 分類不能と判定されたらん。ならば、彼女の姉であるすみれもまた強力な遠心能力を有しているに違いない。理事から再試験を要求されたすみれだったが、そこで待ったをかけたのが日和宮ひよりのみやだった。現時点において、すみれが全力を出したとしても第七分類――あわよくば第八分類と判定される可能性はあるが――とてもだが、らんのような結果が残せないことを、日和宮ひよりのみやは見抜いていた。

「冷えてきたな。何か飲むか?」

「……いえ、私は――」

「お前は、時に人に甘えるということをすべきだ。無論、人ならざる者――それこそ災偽神サスピスゴッドになりたいと言うのなら話は別だが」

「……」

 真顔で言うので、冗談を言っていることに初めは気がつかなかった。災偽神サスピスゴッドとは、ドラマ作品『Centrifugirls――遠心少女――』に登場する天災を引き起こす悪魔的存在にして猜疑心の化身。ヒーローに憧れる遠心科生の間では、打倒すべき敵役として浸透していた。先生みたいな人でも、あのポリコレクソドラマを見るんですね、なんて考えると少しだけ微笑が漏れたが、口にはしなかった。それから、静かに用意されたコーヒー。ソファに座るように促されると、すみれは小さくお辞儀をして腰かけた。

「将来のヴィジョンは成長を促す――とは、何度も言ったな。なぜ、高円寺こうえんじらんが能力開花したのか。何か明確なヴィジョンを見出したのか、あるいは猜疑心に捕らえられてしまったのか。残念ながら、それは私にも見定める術がない」

「……私が……悪いんです」

「お前はどうしたいんだ? 卒業したらやりたいことは?」

 沖縄。そう言いかけてすみれは黙った。沖縄配属は遠心科生として認められるためのステータスに過ぎない。自分の存在意義を周囲に示すための目標。周囲の期待に応えるための目標。だから、自分自身の目標ではなかった。答えに渋っていると、日和宮ひよりのみやは足を組んだままデスクの角に腰を預けて、呆れ口調である真実を告げた。馬鹿な奴らだ、と。それは、沖縄配属に憧れる遠心科生に向けられた言葉だった。沖縄配属はトレンドに過ぎない。流行に流されて、そもそもどうしてそんな流行が生まれているのか、そして誰がそれを作っているのかという本質を理解していないと。

「沖縄は当面トレンドであり続けるだろうが、次のトレンドは萩と秋田だろうな」

「どういうことです?」

ミサイルMissile防衛Defenseだ。陸上配備型迎撃ミサイルシステム『イージス・アショア』の計画が撤回されただろう。いまの日本の空には、つまりミサイルM防衛Dには穴があるわけだが、その穴は一体全体誰が埋めてると思う?」

 二〇二二年。某国によるミサイル発射実験はかつてないほどに活発化し、過去最多の三十七回を記録した。ほとんどは排他E的経E済水Z域の外に着水しているが、弾頭やそうでなくとも飛翔物の一部が日本に落ちて来た時、国民と領土をどうやって防衛するのか。その施策の一つが二〇一七年に導入が決定された「イージス・アショア」であり、萩市と秋田市の陸上自衛隊演習場に配備される予定だった。しかし、配備にかかる予算が当初の見積もりよりも膨大になると予測され、計画は撤回された。

 降りかかる厄災から人々を守り、日本の安全保障の一翼を担う存在となる。その姿は、さながらドラマのなかで災偽神サスピスゴッドと戦うヒーローの姿そのものであった。理屈としては、南西諸島への配属も同様だ。防衛省が予算要求をする際に、いまやバズワードとなっているのが「島嶼防衛」。もっとも、地政学上の脅威が高まっているのも事実である。有事のシナリオとして考えられているのは、台湾有事や尖閣有事であるが、例えば台湾への着上陸に、敵国の遠心少女が投入されていたら、いかに対処すればいいのか。あるいは、尖閣に漁民に扮した部隊が上陸した際に、そこに遠心少女が紛れていたら? さらには、艦砲射撃、艦対地ミサイル、弾道ミサイルが撃ち込まれた際に、これにいかに対処すべきか。優れた能力を持つ遠心少女――例えば第六分類以上――ならばこれらの軌道を変えることは可能であろう。改定された戦略三文書の一つである「防衛整備計画」。予算問題で揉めているが、たとえ予算が足りたとしても、例えば一二ひとにしき地対艦ちたいかん誘導弾ゆうどうだんが配備されるとされる二〇二〇年代末までにその穴をどうやって埋めるのか。一応、世間的にはその穴をトマホークが埋めることになっているが、敵国の遠心少女に軌道を変えられてしまった場合は?


 ――ボク、寒いのは苦手だけど、暑いのはもっと苦手だなぁ。


「じゃあ……第六以上の子は……兵器として……?」

「教官として兵器を育てたつもりはない――と言いたいが。抑止力という言葉で納得してくれと言うほかあるまい」

 第六分類以上の遠心能力者であれば、ミサイル防衛能力や対艦ミサイルを持つよりもはるかに安価に抑止力となることが出来る。したがって、防衛大学付属岩国学園遠心科に与えられたミッションは、第六分類以上の遠心能力者の育成であった。要するに、遠心能力とかいうクズみたいな力でも、馬鹿とはさみは使いよう。第六分類以上なら利用価値が認められた。

「時代のせい……と片付けてしまうのは簡単だな。だからこそ、お前たちには将来のヴィジョンを大切にして欲しい。それは自らの能力を高めるという意味以上に、どう生きたいのかを見出して欲しいからだ。こんな世界だからこそな」

 そうしなければ、忽ち猜疑心に飲み込まれてしまう。災偽神サスピスゴッドを引き合いに出すまでもない。空の高さを知るV遠心は特にそうだ。海の深さを知るV遠心は特にそうだ。普段は群青に囲まれて生きているが、高みへ上るほどに、深みにはまるほどに、暗く冷たい空間がぽっかりと口を開けて待っている。群青は紺青に変わり。紺青の先にあるのは闇だ。空の色と海の色は似ている。ならば、宇宙の色と深海の色が似ていることは偶然ではない。そうして迷い込んだ闇の世界で、本当に大切なものを見失ってしまうのだ。――高円寺こうえんじすみれは、いま闇のなかにいる。

 一方でH遠心は世界への広い視野を持つ。世の中の事象を、連結させては、自分の世界を作り出すことに成功する。高円寺こうえんじらんは、遠心能力が高くなれば、自分がどうなるかを理解していた。遠心能力なんてない方がいい。もし第零分類なんてものがあるとすれば、それが一番だ。全力を出せばモルモット。それなりに頑張れば兵器。そして、中途半端に能力を持っている場合が、一番どうしようもない。人間にもなれない、兵器にもなれない。行き場所のない放浪者。長らく第五分類だったすみれはそんな空気を痛いほど感じ取っていた。君はノイズなんだから必要ないよって、消えちゃいなよって世界に否定されている気がした。認められるためには、能力を増悪させるしかない。すみれは自らにかけられた呪いを強化させた。けれど、誰もがそんなことを出来るわけではない。大半の遠心少女たちは第五以下で、不完全な存在で、どっちつかずの存在で、今日も居場所を求めて彷徨っている。

 そんな居場所のない遠心少女たちにも、ささやかな逃げ場があった。カフェ・ビビッド。ビビッドと言う名の遠心科卒業生が営むカフェだ。だかららんは増悪する自らの能力を隠しながら、ビビッドに雇ってもらうことを考えていた。場合が場合なら、ここで働かせてくださいと土下座するのは全然ありだと考えていた。――少なくとも、責任感の強い姉と、同じ生き方は出来ない。それが高円寺こうえんじらんが思い描いた将来のヴィジョンだった。

「だが、あいつは再試験で考え方を変えた。変な気を起こした可能性もあるが、私が考えるに……あいつは、何か答えを見つけたんじゃないのか?」

「何かって……何です?」

 弱弱しい声で訊くすみれ。だが、日和宮ひよりのみやのカップの中身は既に空だった。さあな。淡泊な返答だったが、しかし同時に、明確な回答を示すことは彼女の領分を越えていた。

「それを考えるのが、双子の姉であるお前の役目だろう、違うか? ――だが、そうだな。思うにV遠心は軸なんだ。V遠心がしっかり者であれば、H遠心は好き勝手できる。何ってことは無い。H遠心は帰る場所があれば安心できる単純な奴らなのさ」



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