宵闇

Cosmic Dark Age 0.4



 D遠心分類限界、〈高円寺宵ダスク〉。

 二〇世紀末に世界を救った遠心少女だ。



 一九九九年七月、土星探査機カッシーニは危機に陥っていた。打ち上げられて地球を出発したカッシーニは、まず金星の引力を利用して加速。そこまでは順調であった。だが、スイングバイのために地球に再度接近する段になって問題が生じた。


 ――どうやら、カッシーニが地球に落ちて来る。


 カッシーニの動力源に選ばれたのは、プルトニウム型の原子力電池であった。これが地上に落ちて来ればどうなるか。放射線物質が広範囲に飛散し、環境汚染を引き起こすことは想像に難くない。実際、一九七七年には原子炉を搭載したソ連衛生がカナダに墜落するという、さながら「コロニー落とし」を彷彿させる事故が起こっていた。そこで誰しもが想起したのは、かつてノストラダムスが予言した恐怖の大王の出現。空から落ちて来るアンゴルモア――まさに土星探査機カッシーニがそのはらわたに恐怖を抱えて、地球の空に大王として顕現しようとしていた。

 結果として、カッシーニは地球に落ちてくることはなかった。一連の騒動は杞憂に終わり、スイングバイに成功した……というのが表向きの歴史。その陰には、一人の遠心少女の姿があった。名を高円寺こうえんじしょう。コードネームとして〈ダスクDusk〉の名が与えられた彼女は、斜方向Diagonalの遠心能力を有する極めて稀な存在であると同時に、大気圏外に影響を及ぼせる稀有な遠心少女の一人であった。



 *****



 しかし、破滅的な事件を回避したことは、果たして正しかったのだろうか。人工衛星が落ちてこようと、隕石が落ちてこようと、そのたびに高円寺こうえんじしょうの活躍によって人類を救うことが出来た。なるほど、遠心少女は人類滅亡から世界を影から守って来たわけだ。だが、宇宙そらから厄災を防ぐことができるのならば、裏を返すと、遠心少女の能力一つで、世界のどこにでも恐怖の大王を降らせることも可能ということになる。つまり、天災を意図的に起こすことができる。遠心少女を軍事力の一端として見做す流れが起ったのは偶然ではなかった。


 ――天体衝退行インパクター・ギャップを人為的に発生させる遠心兵器。


 全世界がこぞって、遠心能力者開発に躍起になった。当然、高円寺こうえんじしょうは、身体の隅々まで調べ上げられることになった。その上で、彼女自身はあらゆる自由を剥奪され、降り注ぐ隕石――ロンドンに落ちるはずだった直径一〇〇キロの隕石――を衛星軌道上に留め続けるように命じられた。いつでも、どこにでも落とせるようにと。もはや人ではないと定義された遠心少女・高円寺こうえんじしょうに、人権が与えられることはなかった。

 被害者は彼女ばかりではない。世界中に存在していた三万人の遠心能力者は、次々と人体実験の餌食となった。とはいえ、こうした実験は冷戦時代にまでさかのぼることが出来る。実際、大気圏外に影響を及ぼせた遠心少女は、高円寺こうえんじしょうが初ではなく、古くは一九五〇年代から存在し、当局によって秘匿されていたのである。――ちなみに、彼女たちが操作していた隕石の一部は、「ブラック・ナイト・サテライト」として一九五四年にアメリカ空軍が発見したと報告している。時が下り、西暦二〇〇〇年を過ぎたのちは、これらは「ミニムーン」として観測結果が報告されることが度々あったが、当然のことながら各国の遠心少女がコントロールする隕石兵器であることは伏せられた。

 時を同じくして、西暦二〇〇〇年。日本政府の公安情報部隊によって、米中露の兵器化実験の内情が、永田町にもたらされた。曰く、大気圏外への影響力を持つほど強力な遠心能力者をは不可能。――そして世界は、を始めた。高円寺こうえんじしょうの有していた卵細胞は、重要な検体として摘出された。そうして作り出された検体の一つに双子がいた。果たして、この双子はしょうの能力を二等分した存在となってしまうのか。それとも、高円寺こうえんじしょうと同等の能力を持つ二人の子ども、いわば分身のような存在となるのか。二〇二二年一二月。その答えが、いままさに出ようとしていた。



 *****

 


 さて。


 人類滅亡を逃れた世界には、問題が山積みだった。一九七〇年に三七億に満たなかった世界人口は、五〇年のうちに倍以上に増加し、二〇二二年一一月に八〇億に達した。地球を覆い尽くしたホモ・サピエンス。当然、地球は楽園などではなく、むしろ人口増加問題はホモ・サピエンス自身の破滅を加速させる。ますます深刻化する食糧問題や人口過密問題。それだけではない。Universe 25 において、マウスの「楽園」がおぞましい終焉を迎えたことは、増えすぎた人類の未来を予見させた。「楽園」のなかでマウスは、やがて格差を作り出し、不安定な社会で雄と雌は異常行動を始め、ネグレクトを始める個体が現れ……ついに死亡率が出生率を上回り、八匹から始まった実験は絶滅という最後を迎えた。

 陰謀論じみた話をすれば、ジョージア・ガイドストーンなるものに触れてもいいかもしれない。一九八〇年にジョージア州に立てられ、ここには人類の未来のために必要な十のガイドが記されているのだが、項目の一つには「自然との永続的なバランスのために、五億人以下の人口を維持する」というものがある。これは極端であるにせよ、一説によれば地球の適正人口は二〇億人とされている。

 人口問題。これこそ、予言されたことPredictedだった。トマス・ロバート・マルサスが『人口論』を唱えてから約二〇〇年。もはや、人類は自らの自重じじゅうを支えきれない。もし、遠心少女たちが西暦二〇〇〇年前後に襲い掛かった流星群を止めなければ、多くの犠牲者は出たであろうが、他方で人類のには成功したかもしれない。不条理による口減らしを、地球がもたらす自浄作用を、拒んだのは人類だった。

 問題になることは、ずっと前から分かっていた。それにも関わらず、人間はあらゆる問題を次の世代に繰り越した。先延ばしされたことPostponed、だ。それにも関わらず、各国の代表たちは国連サミットにおいて全会一致で、「誰一人取り残さない」という理想論を支持した。現実味のない話だ。八〇億人でそんなことが本当に可能だろうか。無論、この八〇億人に遠心少女たちが含まれていないことは言うまでもないが、そうでなくとも、例えば歴史は、十三億で民主主義が出来ないことを示している。中国がまさにそうだが、インドもまた権威主義に染まりつつある。それどころか、EUは五億人で民主主義が出来なかった。ハンガリーのオルバン政権は強権的で、イギリスなんかはEUを脱退した。もっと言えば、三億でも無理かもしれない。アメリカでは、民主主義の象徴でさえあった連邦議会がその自国民によって襲撃された。それなのに八〇億人の誰一人取り残さない? 八〇億人で持続可能な発展した社会を築ける? 正気か? 高い理想、大いに結構。けれど、平等な社会を作りたいと崇高な理想を掲げたは、二十一世紀を前にして死んだ。理想の高さは絶望の深さであり、その崖から飛び降りる人に対して、理想は責任を取らない。だから、本当はみんな思ってるんだ。なんか胡散うさん臭いなって。


 あるいは――



「――まぁ。SDGsってやつも、地球の適正人口二〇億人でやるんなら可能かもね」


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