番外編 漢字ミュージアム

「漢字ミュージアム? 名前からして、漢字の博物館みたいなところか……?」

 八坂神社に参拝をし、さてこれから八坂神社参道沿いの店で土産でも買おうか、それとも甘味でも食べるか……と話しながら歩いていた有可は、その建物に気付いて足を止めた。

 横で既に甘味を食べる気満々になっているらしいわらびが、この先にある何軒もの飲食店に気を取られつつも「ん? あぁ……」と呟いた。

「まぁ、名前の通りじゃな。日本漢字能力検定協会が事業主体となっておる漢字をテーマにした博物館で、図書館でもある。博物館や図書館と言うと堅苦しい印象を受けるかもしれぬが、ただ漢字やそれに纏わる蘊蓄を眺めるだけでなく、遊んだりしながら漢字に触れ合う事ができるようになっておる。子どもだけでなく、大人も楽しめるようになっておると耳に挟んだ事がある」

 どうやら、わらびも入った事はないらしい。

「興味があるなら、入ってみようではないか。まだ三時前故、十分楽しむ事ができよう」

「良いのか?」

 問う有可に、わらびは「うむ」と頷いた。

「ユウカが己からこういった施設に興味を示すのは珍しい。時間の余裕もある故、行かぬ理由が無い。そうであろう?」

 そう言われて、有可は少し照れたように「うん」と頷いた。それから「けど……」と言い淀む。

「良いのか? 食べたいだろ、抹茶パフェ……」

 有可は道の先を指差した。そこには店がたくさん並んでいて、飲食店もたくさんある。その中には、抹茶パフェなど甘味を扱う店もたくさんあった。そして、わらびの目は未だにその店達に向けられたままである。

「うむ……まぁ、見学を終えてから食べれば良い故……」

「この界隈、店じまいが早いって言ってなかったっけ?」

 そうなのだ。この辺りは、比較的早く閉まる店が多い。夕方の五時を過ぎると、多くの店が片付けを始めていると、有可は八坂神社に参拝する前に聞いた気がする。

「も、問題ない。ユウカと違って、儂は常日頃より京都で暮らしておる。食べる機会は今日に限らぬ……!」

「そんな握りこぶし作って、ぐぬぬ……って唸りながら言われても……」

 本当にわらびは、食べる事が好きだ。こんなにも食べ物に興味を惹かれるのは、やはり元が野生の狐だからだろうか。

 それはさておき、そんな食べる事が好きで好きでたまらないわらびが、ここまで我慢してくれているのだ。ここは厚意に甘えて見学に時間を使わせてもらおうと、有可は漢字ミュージアムの屋内へ足を踏み入れた。

 入館料を支払い、まずは一階から。いきなり、漢字の海が視界に広がった。

 漢字の歴史や成り立ちを記した年表がある。漢字──書を綴る為の道具が展示されている。筆や硯は勿論、タイプライターまである。なるほど、たしかに機械とは言え、書く道具だ。……という事は誰もが持ち歩いているスマートフォンも、何年か経ったらこの展示に仲間入りするのだろうか。それとも、有可が見落としただけで既に展示されていたりするのだろうか?

 毎年末のテレビでお馴染みの、「今年の漢字」も展示されている。テレビで見ている分にはさらさらと簡単に書いているように見えるが、実物を見てみるとかなり大きい。これに巨大な筆で文字を書くのは、骨が折れる事だろう。

 そして目を引くのは、漢字五万字タワーだ。一角にずらりと漢字の並んだ壁紙が貼られていると思ったら、どうやら上の階まで届く漢字のタワーらしい。五万字もの漢字が並んでいるそうだが、黒ばかりでなく水色や黄色、ピンク色の文字があったり、フォントサイズがところどころ異なる文字があったりする。そのためか、文字ばかりだというのにそれほど圧迫感を抱かない。

「すごいな、これ……」

「うむ。圧巻の一言につきるな。以前、これと同じ柄の壁紙を部屋に貼りたいと話しているのを橋の下から聞いた事がある。誰もに言えるわけではないが、印象に残りやすいのであろうな」

「……部屋の壁紙にするのは流石にどうだろう……」

 首を傾げながらも、他の展示物へ目を向ける。手をかざすと、漢字が元となった甲骨文字に姿を変える体感型の展示がある。スタンプがたくさん並んでいるコーナーは、自分の名前や国の名前を万葉仮名で表してみよう、というコーナーだった。

「……ふりがな以外で自分の名前をかなで書くの、どれだけぶりだろう……?」

 スタンプを捺しながら有可が言えば、わらびが「ふむ」と短く唸る。

「ユウカの名前は、ふりがなが無いと読ませるのがやや困難そうじゃのう」

 そう言えば、有可は「まったくだよ」とため息を吐く。

「ユウカとかアリカとかアルカとか、よく間違えられるよ。とにかく可をヨシと読むのが馴染みが無いんだよなぁ……。名刺を渡すと、大体最初はちょっと困ったような顔されるし」

 それでも、間違っていても何とか読もうと努力してくれる人や、「何とお読みすればよろしいでしょうか?」と尋ねてくれる人はまだ良い方だ。名刺交換をした際に聞きそびれた人は、それから毎回「何と読めば良いんだろう? けど、今更訊けないし……」という表情をしている。有可としては訊いてくれて全然構わないのだが、聞き辛いのもわかるしどうしたものやら……というところである。

「……名刺にふりがなを付け足してもらえば済む話ではないのか? ひらがなだと不格好に見えるというのであれば、ローマ字を使うという手もあろう?」

「それを俺だけやるわけにはいかないんだよ……」

 やるなら社員全員の名刺にふりがなを、という大ごとになってしまう。そうなれば、全員の名刺デザインを作り直す事になる。手間も費用もかかるので、言ったところで却下となりそうだ。

「ううむ……人間というのは面倒臭いのう……」

 呆れた様子のわらびとほぼ同時にスタンプを捺し終わり、そろそろ次へ……と言いながら二階へ進む。こちらは体験型の展示がたくさんあって、まるでテーマパークのようだ。

 象形文字を探すゲームや、寿司ネタから魚の漢字クイズが始まるゲームなど、何人もの小学生が画面をタッチして遊んでいる。その後ろに並んで、有可も挑戦してみたが……案外、難しい。何度か並び直して挑戦して、全問正解した時には思わずガッツポーズが出た。

 特定の地方だけで使用されている漢字を探すコーナーでは、思わず「えっ」という声が出た。

杁中いりなかって難読地名だったのか……」

 愛知県の地名を指差して驚く表情の有可に、わらびは「ふむ」と言う。

「幼い頃より慣れ親しんでいると、一般的な言葉や文字であると思い込んでしまうものよ。ついでに言うておくが、自動車学校を車校と呼ぶのも、鉛筆の先が尖っている事をトキントキンと言うのも、じゃんけんのチョキの事をピーと言うのも愛知県の方言故、県外で使うと話しが通じぬ恐れがある。気を付けるが良い」

「……なんでずっと一條戻橋の下で暮らしてた式神が、そんなに愛知県の方言に詳しいんだよ……」

 しかも、チョキをピーと言うのは愛知県の中でもごく一部の地域である。

「以前、どこだったかの電器屋のテレビで方言特集のようなバラエティが映っていてな。つい見入ってしまったのよ」

 最近はどのような機械があって、どのように使うのか。現代社会の知識を更新するべく、たまに電器屋に行くのだそうだ。

 そんな他愛の無い話をしながら漢字のゲーム達を楽しみ、何気なく時計を見た有可は再び「えっ」と声をあげた。

 十六時半を、とうに過ぎている。閉館時間まで、あと三十分も無い。入館したのが十五時頃であった筈だから、かれこれ九十分は見学しつつ遊んでいた事になる。

 この時間では、辺りの飲食店も大体がラストオーダーを迎えてしまっているだろう。見学が終わった後にあわよくば……と思っていたが、残念ながら甘味はお預けだ。

「……なんか、ごめんな……?」

 甘い物を食べたかったであろうわらびに、有可は恐る恐る声をかける。すると、意外にも「いや、良い良い」とさっぱりした……と言うよりも機嫌の良い声が返ってきた。

「儂が案内したわけではないが、ここまで楽しんでくれたのであれば本望よ。楽しんでいるユウカを眺めているのも、楽しかったしのう」

「……いや、わらびも一緒になって楽しんでたろ。魚のゲーム、俺の後ろでやっぱり何度も並び直してたよな……?」

「む……気付いておったか」

 ばつが悪そうに頭を掻いてから、わらびは「次じゃ」と言った。

「次にこの辺りへ共に来た時は、必ずや甘味巡りをしようぞ!」

 いつの間にか、休憩がてら甘味を食べに行く話が、甘味巡りになっている。

「……一応訊くけど……何店巡るつもりだ……?」

「決まっておろう! 目指すは全店制覇よ!」

「そんなに甘い物ばっか一日で食べられるか!」

 思わずツッコミを入れた有可に、わらびは「何を言うておる?」と言って笑った。

「一日と言わず、何度でも来れば良いではないか。その都度、一店か二店に入れば良い。漢字ミュージアムにも、また来ようではないか。もっと早く来れば、今回はスルーしてしまったコーナーもじっくり見れよう。ミュージアムショップでグッズを見る時間も欲しいのではないのか?」

「……そうだな」

 頷く有可に、わらびは満足そうに頷いた。そして、「それに……」と言う。

「ほれ、一階にカフェがあったであろう? そこでの飲み食いもしてみたいと思わぬか?」

 そう言われて、有可は思わずガクリと前につんのめった。結局、最後は飲食である。わらびらしいと言えば、らしいような。

 そんな事を考えながら、有可はわらびと共に漢字ミュージアムを後にする。

 飲食店のラストオーダーに間に合わなかった代わりに、近くにあるチョコレートの店に案内すると言って駆けだしたわらびに苦笑して。ここにも、また来る事になりそうだなと感じながら、有可はわらびを追って駆けだした。



(了)

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