番外編 風俗博物館

 有可とわらび。この二人の組み合わせは、基本的にわらびの方が圧倒的に強い。

 口はわらびの方が達者だ。行動力もわらびの方が断然上で、有可はわらびの行動に振り回されてばかりである。体力の話となれば、もう言うまでもない。

 そんな一方的な関係であっても何だかんだ上手くやれているので、今のところ問題は無い……と思われる。

 こんな二人だが、一度だけ、有可が無意識のうちにわらびに勝った事があるらしい。らしい、というのは、わらびがそう言っているだけで有可には勝負をした覚えすら無いから、こう言わざるを得ないのである。

 それは、ある曇った冬の日の事。こんな寒い日は外を出歩くのが億劫だ、と有可がぼやいたのが事の発端である。できる限り屋内にいたい、と言う有可に、わらびは「ならば」と言った。

「風俗博物館などどうかのう? この一條戻橋からであれば、バス一本で行ける故」

「……風俗博物館?」

 施設名を聞いた途端に、有可が眉根を寄せた。何を考えたのか察したのだろう。わらびは顔を顰めて、「これ!」と声を張り上げた。

「妙な勘違いをするでないわ。風俗と言うても、色事を意味する風俗ではない。装束であったり風習であったり、そっちの意味の風俗ぞ」

 そう言ってどこからか扇子を取り出し、有可の頭をぺちぺちと叩く。見る人によっては、これもある種の色事的な風俗と勘違いされそうな図である。そして、こうした話を橋の下でしている時点で相当寒い。

 そう有可が訴えると、わらびはすぐに「うむ」と頷いた。そして、あれよあれよという間に話は決まり、有可とわらびは一條戻橋からすぐの場所にある、「一條戻橋・晴明神社前」のバス停から京都市営バスに乗り込んでいた。

 系統9のバスに乗り込み、揺られる事約十五分。「西本願寺前」で下車すると、わらびは即座に「着いたぞ」と言った。

 バス停の名が示す通り、下車したすぐ目の前には西本願寺。大きな門と、どこまでも続いているように思えるほどに長い塀が圧巻だ。あと周辺で視界に入るのは、いくつかのビルと、仏具の店や菓子の店。

 キョロキョロと辺りを見渡して、有可は首を傾げた。

「着いたって。博物館みたいな大きな建物なんてどこにも……」

「博物館という博物館が全て大きな建物を有していると考えるのは認識が甘いのではないか? まぁ、百聞は一見に如かず、じゃ。ついてくるが良い」

 そう言うや、わらびは近くに建っているビルの中に入ってしまう。一見、オフィスビルのような印象だ。一階にコンビニエンスストアが入っている。

 勝手に入って良いのだろうかと恐る恐る足を踏み入れる様子が見ていてもどかしかったのだろうか。わらびは有可の手を掴み、有無を言わさずエレベーターに押し込んだ。

 エレベーターの箱は上階へと向かい、五階で止まる。扉が開いたところで、有可は目を見開いた。

 巨大な寝殿造のジオラマが、そこにはあった。ジオラマの中には、平安時代の装束を纏った人形達がずらりと並んでいる。それも、ただ並んでいるだけではない。舞を舞っていたり、室内で坐していたり。何かの場面を再現しているようだ。

「何をボーッとしておる。じっくり見るのは、入館料を払ってからにせぬか」

 言われて、有可はハッとわらびの声がした方を見た。エレベーターから降りてすぐの左手側にカウンターがあり、そこで入館料を支払う決まりのようだ。

 入館料を支払って半券を受け取り、改めて室内を見る。ワンフロアをほぼ丸ごと使い、巨大な寝殿造のジオラマが設置されている。そこに居並ぶ人形達は何かの場面を再現していて、室内には雅楽のような音が流れている。有可は楽器に詳しいわけではないが、管楽器系のような気がするので笙か篳篥だろうか。

 情報を取り込むかのようにキョロキョロとめまぐるしく辺りを見渡す有可の様子が面白いのか、わらびは腕を組み、誇らしげに言った。

「すごかろう? 風俗博物館ではこのように、源氏物語の様々な場面を再現したジオラマを見る事ができるのよ。細かいところまで丁寧に作られていて、何度見ても飽きぬ。面積は一般的な博物館と比べると少なめかもしれぬがな。展示物に込められた情報量は、他の博物館にも後れを取らぬぞ?」

 たしかに、人形のポーズや周りに置かれた道具などにも物語が感じられて、それだけでも相当に情報が含まれている。

 明らかにそわそわしている有可に、わらびは「ふっふっふ……」と悪役のような笑い方をしてみせる。

「この人形……なんと! 写真撮影オーケーなのじゃ! 人形や建物に触れないように気を付けて、好きな角度で何枚でも撮るが良い!」

「!」

 見れば、他の客も好きなように写真を撮っている。ある客は斜め上から。ある客は正面、斜め上から、横からと様々な角度から同じ人形を撮影している。背伸びをしてカメラを高く掲げている客は、鳥瞰図でも撮りたいのだろうか?

 その様子に、後れを取るまいとするかのように有可はカメラを構えた。様々な角度から構図を考えつつ撮影する様子はとても楽しそうで、わらびは満足そうに頷く。

 そしてその満足そうな顔は、一時間後にはげんなりとしていた。

 有可の撮影が、終わらないのである。一体の人形を角度を変えて何枚も撮影し、少しだけずれて次の人形に次第にシフトしていき……と、非常に丁寧に一体一体を撮影しているものだから、いつまで経っても終わらない。客はそれほど多くないので、いつまでも同じ場所に留まっていられる。他の客が来た時だけ、少し下がって待てば良いだけだ。

 そうやっていつまでも写真を撮り続けているのだが、それすなわち、同行者は手持ち無沙汰である。……が、誘った手前、わらびは「もう良かろう? 帰るぞ」などとは口が裂けても言えない。

 それでもようやく一周して、終わったかと思いきや。

「ごめん。さっき満足に撮れなかった人形があるんだけど、良い構図を思い付いちゃって……」

 などと遠慮がちに言ってくる。そう言われてしまっては……そしてこんなにも楽しんでいる様子を見せられてしまっては、わらびとしては「良い良い。存分に満足するまで撮ってくるが良い」としか言えない。そして、まさかの二周目突入である。

 こうして、正味二時間を撮影に費やした有可に、わらびはぐったりとした様子で呟いた。

「ふ、ふふ……。ここまで楽しんでくれたとあれば、紹介者冥利に尽きるというもの……。とは言え、これだけの時間を要するとは想定しておらなんだ……。儂の……負けじゃ……」

 真っ白に燃え尽きた、という表現がぴったりな様子だが、有可は何の勝負に勝ったのか皆目見当もつかない。

 首を傾げて、とりあえず一階のコンビニエンスストアで何か甘い物でも買って食べようか、と提案をしてみる有可なのであった。



(了)

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