本編で出せなかった作者のお気に入りスポットを有可達が訪れるだけの番外編

番外編 城南宮

 京都市営地下鉄の烏丸線。十五番目の駅である竹田駅の近くに、そのお宮はある。

 近くと言っても、徒歩で十五分ほどはかかる。歩き慣れていない者であれば、二十分以上かかるかもしれない。

 そして案の定、体力の無い有可はぜぇはぁと荒い息をしながら鳥居の前に佇んでいる。

「なんとも情けない事よ。駅からここまで、坂らしい坂もなく、道も全て舗装されていて歩きやすかったではないか。……にもかかわらず、二十分歩いた程度でそのザマとは……」

「二十分って言うけどさ……この距離は、普段の俺なら三十分近くかかるんだよ……。わらびの足が速いから、ついて行こうと必死に歩いたら……競歩みたいになって、ペースがガタ崩れで……」

 息も切れ切れに言う有可に、わらびは呆れた顔をする。

「一応言うておくが、儂はユウカがついてこれるよう、ペースを落として歩いておったのだぞ……?」

 つまり、いくら何でも有可の足が遅すぎるのである。その現実を突きつけられ、有可はがっくりと肩を落とした。そして、肩を落としたまま「……と言うかさ」と呟く。

「駅からバス出てたよな……? なんで徒歩……」

 そう。竹田駅の北口にはバスロータリーがあり、そこでバスに乗れば十五分歩かなくても城南宮に着ける。しかし、わらびは「バスを使うような距離ではなかろう」と言ってさっさと歩き始めてしまった。自分一人だけがバスに乗る気にもなれずわらびの後を追った結果、現在に至る。

「体に不自由があったり時間が無かったりであればともかく、二十分程度であれば健康のためにも歩いた方が良いと思うぞ? 特にユウカは体力が無い故、歩いて少しでも体力の底上げをした方が良かろう」

 非常に、反論がし辛い。有可がそう考えている事を知ってか知らずか、わらびは「それに」と言ってくる。

「三月も上旬となり、大分暖かくなってきた。加えて、今日は気持ち良く晴れておる。こんな日は、外を歩くのが心地よい。そうは思わぬか?」

 言われて、有可は初めて空を仰ぎ見た。たしかに、そうだ。今日は良い天気で、空が青い。空気はまだ冷たいが、それでも真冬の刺すような冷たさではなく、気を抜く隙があるような柔らかさがある……ような気がする。これぐらいの冷たさであれば、歩いて体が温まれば気にならない。

 なるほど、たしかに散歩日和だ。そう言って頷けば、わらびは「で、あろう?」と言って勝ち誇ったような顔をする。

「さて、ユウカが納得したところで、早速境内に向かおうぞ。時間も丁度良い頃合い故」

「時間?」

 首を傾げて、有可はスマートフォンの時計を確認する。朝の八時五十分。参拝するには少々早い時間と言える。

「この後の行動を考えると丁度良い、という意味よ。良いから、行くぞ」

 そう言うと、わらびは一礼して鳥居を潜ってしまう。その後を、有可は慌てて追った。

 参道は綺麗に慣らされていて、一部は石畳になっている。朝早いからだろうか。清掃をしている人と何度もすれ違う。どこかからバキュームの音が聞こえてきた。

「……参道、すごい綺麗だな。歩きやすいと言うか」

「うむ。この社はいつ来ても綺麗に清掃されていてな。歩いていて気持ちが良い。想像だが、この参道は流鏑馬神事にも使われるからの。馬が怪我をするのを避けるためにも、日頃の清掃は欠かせぬのであろうな」

 雑談を交わして歩いているうちに、大きな鳥居が現れる。鳥居の手前には手水舎。何人もの人間が同時に手を洗える大きさだ。

 有可が手を清め始めると、わらびも隣に立って同じように清めている。

「……式神も、神社に入る時は手を清めるんだ?」

「清めずに入っては、流石に失礼故。それに、祀られている神々には儂の姿は常時見えておるのでな。見られていると思ったら、いつもより丁寧に振る舞わねばと考えぬか?」

 神様によっては、手を清めずに入ったら式神であろうとも怒られるらしい。寧ろ、式神だからこそ怒られるとでも言おうか。

 そんな話をしつつ、揃って一礼して鳥居を潜る。入ってすぐに、視界の右側に梅の木が見えた。小さく赤い花がたくさん咲いている。

「うむ、やはり見頃だのう」

 満足そうに頷くと、わらびは早く参拝しようと急かす。急かされるままに有可は本殿に参拝した。

 参拝を終えて顔を上げたところで、背後がざわついている事に気付いた。見れば、鳥居近くに多くの人が並んでいる。

「あれ……何かあるのか?」

「うむ、今は梅まつりの時期。神苑の梅も見頃であろう。花を愛でるために多くの人が集まっているのであろうな」

 そう言うわらびの声も、心なしか弾んでいる。そうか、これが見たくて急かしてきたんだな、と納得し、有可は特に質問するでもなく神苑に入るための列に並んだ。

 受付で神苑に入るための拝観料を支払おうとすると、わらびが「せっかくだから茶を飲める拝観にせぬか?」と言ってくる。なんでも、拝観料とは別に抹茶を一服飲ませて貰える金額が設定されているらしい。

 わらびに言われるがままに拝観料を支払い、神苑に足を踏み入れる。そして、庭の様子を見て有可は「わっ」と小さく声をあげた。

 辺り一面に梅の花が咲いている。赤い花も、白い花もある。庭はきちんと整えられていて、ゴミは勿論、枯れ葉も見当たらない。先ほど聞こえたバキュームの音は、辺りに積もった枯れ葉を掃除するブロアバキュームの音だったのかもしれない。

 色とりどりの梅が咲き乱れる庭を通り過ぎると、梅以外の花が咲く道に出る。椿だろうか。それとも椿に似た別の花だろうか。

「……こういう時に、花の名前をもっと勉強しておけば良かったって思うよな……」

「後悔する事はあるまい。これから勉強して、似たような場面で生かせば良いではないか。結局勉強しなかったら、それはそれでそこまで興味が無かったのであろうという事。なれば、その時間を好きな事に使えば良かろうに、と儂は思うがのう」

 たしかに、興味が無ければ勉強しても実になるかどうかは怪しい。「そうかも」と呟き、有可はがくりと肩を落とした。

 そんなとりとめの無い話をしながら、二人は歩を進める。曲がりくねった小川のある庭では、春に曲水の宴という行事が催されると、わらびが有可に教えた。その先の庭にある建物では、抹茶を一服振る舞ってもらう。

「……抹茶を飲むの、どれだけぶりだろ……」

 うっかり茶菓子を食べずに茶を口にした有可が苦笑いをすると、その様子にわらびはケタケタと笑い、「ドジじゃのう」などと言ってくる。だがしかし、そのわらびも有可と動揺に茶菓子を食べ忘れている。話を聞いている限り、わらびは普段から甘い物を好んで食べているようだ。甘党なのだろう。……という事は、茶菓子を食べずに抹茶を飲めばどうなるかと言えば。

「むぐぅ……」

 苦さに顔をしかめている。あまりと言えばあまりなオチに、有可は再び苦笑せざるを得ない。

 そうして花と抹茶を楽しんで、いつしか神苑の出口に辿り着いていた。出口は、手水舎がある大きな鳥居の外にある。出た先は見覚えのある参道だ。時間は十時近くになっていた。

「む、いかん。ユウカ、急いで神楽殿へ行こうぞ。神楽が始まってしまう故」

「え。神楽? 始まるって?」

 歩を早めたわらびの後を慌てて追いながら、有可は問う。すると、わらびは足を止める事も、振り向く事も無いままに言った。

「この城南宮では、折々で巫女が神楽を奉納していて、参拝者もそれを見る事ができるのよ。今は梅まつりの時期で、それに合わせて十時から神楽が奉納される。折角来たのだから、観たくはないか?」

「それは……観たい……!」

 そう言うのと共に、自然とカメラを持つ手に力が入る。歩く速さも、幾分上がったように思えた。

 有可がワクワクしているのが、気配で伝わったのだろう。満足そうに頷きながら、わらびは言う。

「楽しみはそれだけではないぞ? 梅まつりの時期は、鳥居の前で椿餅を売っておる。ほれ、あそこで」

 言われて見れば、鳥居の外で何かを売っている様子が見える。何故、先ほどは気付かなかったのだろうか。……わらびに参拝を急かされたからか。

 あの時わらびが急いでいたのは、十時から始まるという神楽を有可に見せるためだったのだろう。そして、その前に神苑の見事な梅の花も見せたかったのだろうな、と今ならわかる。

「神楽を観た後に、あの椿餅を買って食べるのが毎年楽しみでな。この後もたくさん歩く故、甘い物を食してエネルギー補給といこうではないか」

「……アンタ、本当に甘い物好きだな! ……いや、ちょっと待て? この後も歩く? たくさん?」

 目を見開いた有可に、わらびはおもむろに振り向いて「うむ!」と力強く頷く。

「自らの足で歩かねば知らぬままとなってしまう魅力もある。儂が、ユウカの体力でもギリギリこなせそうなコースを考えておいた故、今日は存分に歩こうぞ!」

 元気なわらびの声とは裏腹に、有可からは「プシュー……」というバス扉の開閉音のような空気が抜ける音が聞こえてくる。

「俺の体力でギリギリって……そんなんありか……」

 力無く呟く有可の声を背後に聴きながら、わらびが楽しそうに笑う。向かう先からは、何やら楽しげな音が聞こえてくる。どうやら、神楽が始まってしまったようだ。

「なに。今回見逃してしまったのは残念だが、ならばまた観に来れば良いだけの事。梅まつりが行われるのは今年だけではない故。人の子の寿命は式神ほどに長くはないが……一度や二度しか旅ができぬほど短いわけでもあるまい。次来る時を楽しみに、日々を生きる。それも良いのではないか?」

 先に見える神楽殿を遠見しながら、わらびは言う。顔が少し苦笑しているように見えるのは、誘って急かしておきながら、椿餅の話を振って自ら遅刻の原因を作ってしまった事を誤魔化すためだろうか。

「……そうだな」

 わらびの苦笑に気付かないふりをして、有可は頷いた。それから、「けど」と言う。

「折角わらびが連れてきてくれたんだし。今から観れる部分だけでも観ていきたいな。ほら、神楽は毎年この時期に観る事ができるかもしれないけど、わらびが連れてきてくれて、初めて神楽を観るっていうのは今日だけの事だし」

 そう言うと、わらびの顔がへにゃりと崩れる。目元や口元が緩んで、嬉しそうな様子を隠す気配も無い。

「うむ……そうじゃな。儂とユウカが連れ立って初めて城南宮に来た日は今日しか無い。今から楽しめる分だけでも、存分に楽しもうぞ」

 そう言うや否や、競争と言わんばかりに神楽殿に向かって駆けていく。その様子を、有可はしばらくぽかんと眺め、そしてハッと我に返ると慌てて言う。

「ちょっ……境内を走るなよ! 誰かにぶつかったらどうするんだ!」

「儂は式神故、心配ご無用じゃ! ぶつかってもすり抜けていくのみよ!」

 こういう時ばかり式神であるメリットを堂々と主張するわらびに、有可は再びぽかんとする。そして、「そんなんありか……」と呟くと苦笑して、のんびりとわらびの後を追って歩き出す。

 そんな二人の様子を眺めて笑うかのように、青空に映える紅梅が、風に吹かれてふわりと揺れた。



(了)

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