第15歩 わらびと晴明、示された道
有可が一條戻橋の下でため息を吐いていた、その頃。文字通りひとっ飛びしたのか、わらびも一條戻橋の付近に戻ってきていた。
ただし、行く先は住処である一條戻橋ではない。その近くにある、晴明神社だ。
晴明神社の参拝時間は、午前九時から午後の五時半まで。深夜である今、門は当然閉まっている、……が、式神であるわらびには関係無い。
何の苦も無く境内に入ると、少々申し訳なさそうに辺りをキョロキョロと見渡す。本殿の前に建っている晴明像と目が合って、一瞬びくりと固まった。
勿論、像は特に動く事も無く、そこに鎮座しているだけである。ホッと胸をなで下ろし、わらびは本殿の、賽銭箱の前に立った。
すると、賽銭箱の更に向こう。ご神体を祀る宮の前に、人の姿が現れた。勿論、生きた人間ではない。
真っ白い狩衣を身に纏い、烏帽子を被っている。若者にも、壮年にも見える不思議な顔立ちだ。少し、狐を連想させる目付きをしている。
「……晴明坊ちゃん……」
泣きそうな声のわらびに、狩衣の人物──晴明はフッと微笑んで見せる。その顔にわらびは一瞬へにゃりと顔をほころばせ、そしてすぐに引き締めた。
「晴明坊ちゃん、ご無沙汰しております。長いこと、ご挨拶にも来ず……申し訳ございませぬ……」
賽銭箱の前で平伏するわらびに、晴明は苦笑し、近寄ってくる。音も無く、何かにぶつかる事も無く、賽銭箱や柵をすり抜けて、晴明はわらびの隣に立った。
その顔を見上げ、わらびは苦しそうに言う。
「晴明坊ちゃん……儂は、どうしたら良いのでございましょうか。千年前、儂が晴明坊ちゃんから任された、京の人々の困りごとを解決する仕事……。全くこなせず困っている儂を手助けしてくれた、ユウカという者がおるのです。今、そのユウカは己に価値を見いだせず、己を肯定する事ができず、一人、人間でも霊でもない姿で苦しんでおります」
わらびの言葉を、晴明は真面目な顔で聞いている。それがわかるのだろう。わらびは、晴明の様子を見る事無く、話を続けた。
「儂は、恵まれております。何をやっても粗忽な儂は、信太森で仲間の狐たちに迷惑ばかり掛けておりました。それを見かねた葛葉様が、晴明坊ちゃんのお世話という名目を用意し、儂を晴明坊ちゃんの元へ修行に出してくだされた……」
昔の事を思い出しながらぽつりぽつりと語るわらびの言葉に、晴明は静かに耳を傾けている。
「けど、粗忽者でうっかり者な儂が、何事も無く晴明坊ちゃんの元へたどり着けるわけもなく……やっとお会いできた時には、ぼろぼろでお迎えが来る寸前の有様でございました……」
瀕死の子狐を、晴明もその妻も哀れみ、世話をしてくれた。結局生きながらえる事はできなかったが、式神として新たな生を与えてくれた。
「晴明坊ちゃんの式神として頂けたお陰で、儂は坊ちゃんにお仕えせよという葛葉様の命に背かずに済みました。そして、式神になっても粗忽者で迷惑ばかり掛けていた儂に、今度は晴明坊ちゃんが、困っている京の人々の力になるように、と仕事を与えてくだされた……。何度も助けて頂いて、儂は何と果報者なのであろうと……何度思ったか、わかりませぬ」
ぐすりと涙ぐみ、改めて「儂は恵まれております」と言った。
「恵まれておる儂が何を言っても、その言葉はユウカには届かぬでしょう。儂の言葉が橋姫に届かなかったように、ユウカも、お前に何がわかる、と言うかもしれぬ……」
己では有可を悩みから救ってやる事はできない。けど、このままにはしておけない。苦しい胸の内を、わらびは全て吐き出した。そして、再度言った。
「晴明坊ちゃん……儂は……儂はどうしたら良いのでございましょうか。共に京を歩き回った友に、儂は何ができるのでございましょうか……!」
すると、晴明は黙ったまま、境内の外へと歩き出した。鳥居を潜り、堀川通まで出ると、そこでス……と北を指差す。
「北、でございますか……? その方角にあるのは……」
わらびは怪訝な顔をして晴明の指差す方角を見、寸の間考えた。そして、ハッと気付いた顔をする。
「彼らに話をしてもらえと……そういう事でございますか?」
叫ぶように言い、わらびは振り向く。だが、既にその場に、晴明の姿は無かった。境内……いや、宮の中へ戻ってしまったらしい。そしてそれは、わらびが気付いた行き先と相談相手が、晴明の示すものと相違ない事を示している、とわらびは知っている。
「……よし!」
気合いを入れて、わらびは荒い鼻息を吐く。
「彼らに相談してどのような結果に転ぶかはわからぬが……儂が一人で悩んでいるよりは万倍マシというものよ。……待っておれ、ユウカ。そなたにその気は無かったやもしれぬが、そなたは、一人で任を果たせず困った儂を助けてくれた。今度は儂が、一人で思い悩むそなたを助ける番よ!」
吠えるように叫ぶと、わらびは北へ向かって走り出す。その様子を、再び姿を現した晴明が微笑みを湛えて見守っていた。
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