第14歩 真面目×根性 混ぜるな危険

 暗い夜道を一人歩いているうちに、次第に忘れていた記憶が蘇ってくる。そして有可は思った。

「わらびの言う通り、思い出したくなかったんだな……思い出さなきゃ良かったな……」

 そう望んだところで、開いてしまった記憶の蓋は閉まらない。今まで閉じ込めていた分だけ、勢いよく中身が噴き出してくる。

 村南有可は、簡潔に言うなら平凡で要領の悪い人生を歩んできた……と、本人は思っている。

 勉強は可も無く不可も無く。国語と社会はまぁまぁ得意だったが、かと言って人に教える事ができるほどは伸びず。

 運動は苦手で、インドア派。要領が悪く、人が五分で済ませる作業に七、八分かかる。

 子どもの頃、親に何度「アンタは本当にとろくさいね」と言われたかわからない。逆に弟は要領が良いので、いつも「自分は弟よりも出来が悪い」と劣等感を抱いてきた。そんな時が来るとも思えないが、もしも自分と弟、どちらか一人しか助ける事ができないという状況になった場合、親は弟を選ぶだろうな、と考えるようになったのは、いつ頃からの事だっただろうか。

 人付き合いも苦手で、人見知り。慣れた人とはそれなりに話せるが、そうでない人とは上手く話せない。だから、友達も少ない。

 それでもなんとかやってこれたのは、ひとえに真面目な性格で根性があるからだ……と自分では分析している。

 ルールを破らない。掃除当番を真面目にこなす。宿題や提出物を忘れない。困っている人がいたら手伝う。それを続けていたら、とりあえず先生は評価してくれたし、大抵のクラスメイトにも邪険に扱われる事は無かった。時々根暗などと言って虐めてくる者もいたが、それは必死で耐えた。

 社会人になってからも、そのスタンスを続けた。

 仕事は真面目に取り組んだ。わからない事があれば先輩や上司に聞いてメモを取って、ついていこうと必死になった。人一倍頑張らないと人と同じだけの仕事ができるようにならないからと、毎日残業をしてまで、多くのタスクをこなした。

 先輩や同僚が「あんまり無茶するな」「体を壊すよ?」と言ってくれたが、「大丈夫です」とだけ返して、無茶を止める事はしなかった。常に、「頑張らないと足手まといになるのでは」という焦りがあった。「自分が体を壊しても、誰も困らないから問題無い」と。「体を壊す」と心配される度に、心のどこかで思っていた。

 そんな中、唯一少しだけ自信を持っていたのが、趣味の写真撮影だ。体力が無いので撮影するのはもっぱら近所の公園や川だが、角度や光源にこだわって、年々良い写真が撮れるようになっていったと思っている。

 プロのカメラマンになれるなどとおこがましいことは考えないが、誰かに認めて貰えたら嬉しいと、時折人に見せたり、写真コンクールに投稿したりしていた。

 そうしているうちに、広報部から写真を使わせて欲しいと言ってもらえるようになり、少しだけ、自信がついた。使われるのはブログに彩りを添える程度の花や会社近くの風景写真ばかりだったが、そのうち仕事で必要な写真を任せて貰えたら……と、密かに期待していた部分もある。

 だが、ある日聞いてしまったのだ。広報部が、次のパンフレットに使用する写真を誰に依頼するか、という話をしているのが、たまたま廊下を歩いている時に聞こえてきた。全部が聞こえてきたわけではないが、彼らが話していたのは主にこのような内容だった。

「総務部の村南さんに頼んでみたらどうだ? あの人、無償でやってくれるから予算が浮くぞ」

「いや、今回は良いパンフレットを作りたいとかで、写真撮影にもそれなりに予算を回してもらえる事になってるから。なら、ちゃんと腕のあるカメラマンに頼みたいよ」

「あ、そう言えば営業部の田岡さんも趣味で写真撮影とかするみたいですよ。あの人、プライドがあるのか頼むと給与とは別に作業費は出ますか? って訊いてくるから頼みにくいんですけど、写真は本当に綺麗なんですよ。ほら」

「あ、たしかに良いな、これ。じゃあ、ちょっと田岡さんにこのリストにあるだけの写真を撮ってもらったらどれぐらいかかるか訊いておいてもらえるか? プロのカメラマンにも声かけて、見積もり貰っておいて。総合的に見て、誰に頼むか決めよう」

 結局、有可に有償でやってもらうのはどうか、という話は、終ぞ彼らの口からは出てこなかった。

 あぁ、彼らが今まで頼んできたのは、自分が撮った写真を認めてくれたからではなくて、予算をかけずに画像を入手できるからなんだな、と理解した時、がくりと膝から力が抜けたのを覚えている。

 そして、その時を境に……趣味の写真も、自信が無くなった。写真を撮る事は相変わらず好きだが、自信が無くて自分から見せにいくことを止めた。それでも、頼まれれば頼まれるままに写真を撮って、そして「けど、頼んで貰えるのは無償だからなんだよな」と一人で荒れた。

 誰に何を褒めて貰っても、都合良く動いて貰うためのリップサービスだと思うようになった。

 ただ、そんな状況の中、それでも自信を持てたのが、真面目さと責任感、そして根性だった。そのなけなしの自信を失わないために、それまで以上に仕事に精を出すようになった。

 朝早く出社して、どれだけ忙しくても頼まれた仕事は断らず、時間が足りなければ終電過ぎまで残業してでも終わらせた。

 前以上に、先輩や同僚から「休憩、取ってるか?」「無茶するなよ」と言われるようになったが、全て「大丈夫です」で返していた。休憩なんて取っている暇は無い。休んだ分だけ、仕事が遅れてしまう。周りに迷惑がかかってしまう。無茶をするなと言われても、無茶をしなければ、きっと自分は足手まといになってしまう。

 時々、仕事の忙しさと、承認欲求の満たされなさで、死にたくなる事がある。けど、自分から死ぬ気までは起きない。ただ、もし自分が生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれたら、生きようと足掻く事はしないかもな、とは思った。

 そこまで思い出して、気付く。

 そうか。石清水八幡宮に行った時、帰るのが遅くなるのはまずいと思った。なんでなのかと思ったけど……帰るのが遅くなると、翌日の仕事に支障が出るからまずいと思ったんだ。それまでの事を忘れていても、自分の仕事を責任を持ってしなければ、という意識だけは、心の奥底にこびりついていたというわけだ。

 嵐山で、わらびが真剣な面持ちで「根性を誇るのも良いが、それだけを武器にしてはならぬ」と言ってきた。あの時は誰か身近な人が過労で亡くなったのだろうかと思っていたのだが……わらびはきっと、見抜いていた。有可が根性を頼りに無理を続けていた事を。だからあんなに真剣に、「根性だけを頼りにするな」「無茶をするな」と言ってきたのだろう。無茶を続けてきた日々を思い出した今なら、わかる。

 やがて、見かねた上司に有休を取れ、と言われた。

 企業には年間で最低でも五日は有休を取らせる義務があるんだぞ。お前は会社に法令違反をさせる気か。

 そう言われてしまっては、休まざるを得ない。ただ、それだけだと持ち帰って仕事をしそうだと上司は察したのだろう。上司は有可に新幹線のチケットを渡しながら、言った。

「現地での行き先は任せるから、ちょっと京都行って、今後使えそうな画像撮ってきて」

 業務命令のように言われては断る事ができず、有可は珍しく前日定時に帰宅し、ざっくりとだが行動予定表を作った。

 どこに行こうか迷ったが、会社の帰りに久々に立ち寄った本屋で、陰陽師を題材にしたコミックが平積みになっているのを見て思ったのだ。

「一條戻橋、行ってみるか」

 一條戻橋の下には、陰陽師の安倍晴明が式神を住ませていたという伝説があると小耳に挟んだ事がある。望みは薄いが、もし橋の下で撮影をして何か〝有り得ないモノ〟が写っていれば、面白い写真になるんじゃないのか?

 趣味の写真に自信を無くして、いつもと違うテイストの写真を撮ってみたくなったのだろうか。そんな理由で、最初の行き先を一條戻橋に決めた。

 だが……京都駅に降り立ち、行動を開始してすぐに。有可は、強烈な目眩を覚え、その場で倒れた。恐らく過労だろうと、有可を知る者なら十中八九、そう答えるだろう。

 周りがざわつき、誰かが「救急車を呼んで!」「そこの人、駅員さんからAEDを借りてきて!」と叫んでいる中、有可の意識はどんどん遠ざかっている。

 そんな状況でも、「仕事をしないと」「頼まれた写真を撮らないと」「写真を撮るために一條戻橋へ行かないと」などと考えているのだから、社畜が極まるにも程がある。

 そして気付いた時、有可は一人、一條戻橋の近くに立っていた。何故そこにいるのか、どうやって来たのかは、何も思い出せない。ただ、「旅行に来た」「一條戻橋の下に住む式神の写真を撮れればと思った」という一部の動機だけははっきりと覚えていて。

「それで……無我夢中で写真を撮っていたら、わらびに声をかけられたんだったな……」

 そう呟いて、有可は足を止める。目の前には、一條戻橋。考えながら歩いているうちに、ここまでやってきたらしい。

 あぁ、本当に……何度でもここに戻ってくるんだな……と。

 自分が霊になってしまっている事を実感して、有可は夜闇の中、ため息を吐いた。

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