第10歩 達成と別れ、そして頼み事

 なるほど、たしかに「とりあえず次の看板を目指す」という作戦は有効なようだ。と、有可は思った。

 看板から看板への距離だけであればそれほど長くなく、頑張ってみようという気になる。そして、もうひと区間ぐらいならいけるかな? という気にもなる。そうしているうちに、気付けば登山道の大半を過ぎているのだ。

 そして、迦遇槌命が言っていた「この看板、上に行くにつれて段々面白くなる」という言葉に関しては「あー、そういう事かー。なるほど、たしかに……」としか言いようがなかった。

 最初は、真面目に「火の用心」「ゴミを持ち帰ろう」という言葉が書かれていたのである。それが十枚を過ぎた辺りから、「ガンバレ!」というような親しみの籠もったメッセージに変わっていき、「私を家に連れてって」とゴミの代弁をしたメッセージが現れと、次第に予想外の文面が増えてくる。

 次はどんなメッセージが書かれているのだろうと気になってしまい、ついつい次の看板を目指してしまうのだ。ちなみに、「駆け抜けろ!! 俺のアドレナリン!」というメッセージには大いに吹き出した。もし登山者を元気づけるためにこのようなメッセージを書いているのだとしたら、その目論みは大当たりしていると言えよう。残念ながら、生きていた時代が異なる僧侶やたつ、源太には意味がわかりにくかったようだが……少なくとも、有可にはよく効いている。

 そして気付けば、有可は愛宕神社の門前に立っていた。山頂に着いたのである。

「つ、着い……た……?」

「うむ。あと少し歩いて、境内の石段を上れば本殿に参拝する事ができるぞ。よく頑張ったな、ユウカ」

「うんうん。いかにも運動は苦手って顔してるのに、よくここまで登ってきたね。〝根性はあるつもり〟って言ってたのを自力で証明してみせるってできそうで案外、中々できる事じゃないよ」

 いつの間にか姿を現していた迦遇槌命が、わらびの横で頷いた。突然の出現に驚いたのか、わらびが一足飛びで距離を取る。その様子を笑ってから、迦遇槌命はたつと源太に向かって言った。

「ほら、早くお参りにおいで。三歳参りに来たんだろう?」

 そう言って、迦遇槌命はたつと源太を宮の方へと導く。有可達もその後ろについて歩いていると、わらびが密かに声をかけてきた。

「のう、ユウカ」

「どうした?」

「いや、なに。たつと源太の写真も、撮ってやってはくれぬか、と思うてな。やはり、あとから写真で見返す事ができたほうが、たしかに登ったのだという証になって良いだろう」

「勿論。最初からそのつもりだよ」

 苦笑しながら、そう返した。

「俺が必要になるかも、って思わなきゃ、あんな凄い山道、頑張ろうとは思えないと言うか」

「そうか? ユウカは己の力が必要にならないであろう時でも、困っている者がいれば手を貸そうとするタイプのように思えるが」

「……よく言われるよ」

 苦笑しながらそう答え、それと同時に少々の疲労感を覚える。そこで、有可は首を傾げた。

 困っている者がいれば手を貸すタイプ。そう言われただけで、何故疲労感を覚えるのだろう? 考えてみたが、理由は思い付かず、思い出せない。

 うだうだと考えているうちに、たつと源太のお参りは終わったらしい。迦遇槌命が「終わったよ」と声をかけてきた。

「二人とも、こうして直接会うって縁ができた仲だしね。これ以上火の難に遭わないよう、ちゃんと見ておくよ。地獄の業火で責め苦に遭うことがないように根回しもしておくから、任せておいて!」

 ここは神社で、地獄という概念は仏教なのだが、神様の根回しとは宗教の壁をも越えられるものなのだろうか。……いや、これはたつを安心させるための方便か。

「では、たしかにここでお参りをしたとあの世でも見返す事ができるように、ここにおるユウカに、この場にいる二人の様子を絵姿に残してもらおうぞ。二人とも、愛宕神社にいるとわかる場所に立つが良い」

 わらびがたつと源太を促し、扁額のかかった本殿前に立たせる。迦遇槌命が、「僕も僕も!」と言いながらフレームインしてきた。

 一応バッテリーの残量を確認すると、前回と同じぐらいでまだ八十パーセントは残っている。

 やや薄暗いので、光を多めに取り込むように調整して、シャッターを切った。ピピッという音に最初、たつも源太も驚いた様子で体を強ばらせていたが、何枚か撮るうちに慣れたらしい。最後には、安堵を交えた嬉しそうな笑顔を撮らせてくれた。

「では、この二人は私が三途の川までお連れいたしましょう。そのまま、私も川を渡ろうと思います」

 僧侶が言い、わらびが頷いた。

「ユウカの写真は、あとで印刷した物を焼いて供養してやろう。そうすれば、あの世でも受け取れよう」

「お願いします」

 たつが頭を下げ、源太もそれに倣う。そして、二人は僧侶と連れ立ち、次第に姿を消していく。あの世へ向かって旅立ったのだな、と。有可は思わず、空に向かって手を合わせた。

「よし。では、元来た道を歩いて帰ろうぞ、ユウカ。まずは先ほどの写真データをコンビニで印刷して供養し、それから嵐山散策の続きで良いか?」

「ちょっと待ってよ、小狐ちゃん。僕から頼み事があるって事、忘れてない?」

 ごく自然に帰ろうとしたわらびに、迦遇槌命が慌てて声をかけた。するとわらびは軽く舌打ちをする。

「覚えておったか……」

「いや、流石に自分が頼み事をしたいって事は忘れないよ? 小狐ちゃん、前に僕が『安倍晴明、なんで式神を怖がるような人と結婚したの?』って訊いたの、まだ怒ってる?」

 相手が怒るかどうかわからない微妙なラインだな、と有可は声に出さず呟いた。素朴な疑問ではあるが、わらびにしてみれば晴明の妻の事も知っているだろうし、馬鹿にするなと怒りたくもなろう。

「……まぁ、良いや。それについては追々話し合う事として。今回の頼み事については、真面目に請けて欲しいんだ。僕だけじゃなくて、他の神も絡んだ話だからさ」

「……他の神も?」

「うん」

 眉根を寄せたわらびに、迦遇槌命が神妙な顔をして頷く。その様子に、有可は胸がざわつくのを感じた。

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