第9歩 登山、看板、神様登場
愛宕神社を山頂に置く愛宕山は、標高が九二四メートルあるらしい。登山前にスマートフォンで検索して得たこの情報だけで、インドア派の有可は身構えざるを得なくなる。……だというのに、今、有可の目の前には、更に凄い情報が立っていた。
神社の関係者が立てたと思われる、看板である。そこには、このような情報が書かれていた。
「山上の神社まで四キロ余の山道」
「自分で登り、自分で下山する他、手段はなし」
「尚 山上には、雨水のみで水道などありません。又便所は社務所横一ヶ所です」
これで怖じ気づくようなら、ここで引き返した方が良いと本能が告げてくる。正直、引き返したい。だが、来る道々で一緒に登るとたつや源太に言った手前、登る前から引き返すのは心苦しい。
とりあえず頑張ってみて、苦しいようなら早いうちに引き返そう、と意を決して歩き出す。……が、すぐにまた新しい看板と出くわした。
「往復に五時間ほどかかります」
「遭難者が出ています」
「日が落ちる前に下山できるよう計画を立てましょう」
つい黙り込み、そして有可はわらびに「なぁ」と声をかけた。
「……俺達、今から神社にお参りに行くんだよな?」
「うむ。……あぁ、たしかにこの山は神社に参拝に行くと言うには険しいが、参拝に行くという事は、要は神に会いに行くという事だからな。そなたらが楽しむゲームに登場する神々も、簡単に会える場所にはおらぬであろう?」
言われて、何故だか妙に納得してしまった。たしかに、簡単に行ける場所よりも、険しい山の頂などにいる神様の方が出会えた時のありがたみがあるかもしれない。
「それに、神社のある山自体がご神体である場合もある。人間が通行しやすくするために、神の体をいじるわけにはいかなかろう?」
たしかに、度胸試しなどという言葉では済まないかもしれない。
「まぁ、つまり。霊験あらたかな神に縋りたい時は、労力を惜しむでない、という事よ。先の石清水八幡宮で乗ったケーブルカーは、神様からお許しを貰って設置した特例と心得よ」
それだけ言うと、あとは「無理はするな」とだけ言い残して、わらびは山を登り始めてしまった。僧侶やたつ、源太まで、さっさとわらびについて行ってしまう。
「……そりゃ、俺以外は霊なんだし、山登りは苦じゃないんだろうけど……」
こうして置いていかれるのは、少し寂しい。
そう呟くと腹を括り、有可もわらび達の後を追って山を登り始めた。……が、十五分も歩かないうちに、ぜぇはぁと息を切らし始めた。
石清水八幡宮のある男山も運動不足の身にはキツかったが、こちらもかなりキツい。
道がアスファルト舗装ではないのは勿論の事。傾斜角度も急な場所が割と多い。今回もまた、肩を突き出し猫背になりながら歩くハメになってしまっている有可である。
だが、それでも少しずつ前に進めている。そう思って、ふと横を見た時だ。オレンジ色の看板が視界に入り、これは何だろうと足を止めて眺めてみた。
何やら標語が書かれている他に、分数が記載されている。「何だこれ?」と首を傾げていると、先を歩いていたわらびが「あぁ」と言う。
「標語の他に地元の消防団らしき団体名が記載されておるな。恐らく、消防団が設置したのだろう。怪我などをして身動きが取れなくなったら救助を要請する事になるだろう? その時、そこに書かれている数字を伝えると、すぐにどの辺りで動けなくなっているのか伝わるようになっているのであろう」
「……という事は……この看板の場合、3/40って書いてあるけど……」
「この登山道を四十分割した場合の、麓から三番目の区間、という意味であろうな」
その回答を聞いた途端に、有可は「プシュー……」とガスが抜けるような音なのか声なのかも判別しづらい音を発しつつ、座り込んでしまった。あまりにも先が長く、途方に暮れてしまったようだ。
その様子に半ば呆れながら、わらびが僧侶と共に有可の元まで戻ってきてくれた。
「……バテるのが早くはないか?」
「元々、ユウカ殿は動く事があまり得意ではないようですから……」
そう、得意ではない。だからこれまでの人生で、運動必須のイベントなどはできる限り避けて来たし、日常生活に運動を積極的に取り入れるなど夢物語だった。だからこそ、致命的なまでに体力がない。
「まぁ、今からすぐに体力をつけろと言っても無理な話であるし……ひとまず今回は、先日の石清水八幡宮の時のように写真を撮って気を紛らわしながら登ってみるのが良いのではないか?」
その方法しかないだろうな、と頷き、有可はカメラを両手で持った。霊になってからも含め、初めて見たのだろう。源太が興味津々な様子で有可の事を眺めている。逆にたつは、少々警戒しているようだ。源太がたつの腕から飛び降りてカメラを触りにいかぬよう、源太を抱く腕に力を込めているのがわかる。
親子でここまで反応が分かれるものなんだな、と思いながら、有可はカメラを構える。そして、ファインダーを覗き込んだ、その時だ。
「ほい、チーズ」
いきなりピースサインを作って写り込んできた人影に、有可は思わず仰け反った。
「うわぁぁぁ!?」
「なんだい、なんだい。大きな声を出して。びっくりするじゃないか」
突如現れたその人物は、驚かれた事に気を悪くした様子は一切見せず、朗らかに笑いながら言って有可から適切な距離を取った。まだ十歳になるかならないかの、少年だ。
「僕の方も、驚かせちゃったね。戻橋の小狐ちゃんが一緒だから、少しぐらい遊んでみても良いかなって思ったものだからさ」
そう言って、ちらりとわらびの方を見る。そのわらびはと言えば、大変不機嫌な様子でそっぽを向いている。
「……え、知り合い?」
「さっきの話に出てきた、迦遇槌命よ。まぁ、千年もこの世に存在しておると、案外神とも顔見知りになったりするものでな。神格は高いが、これこの通り……人をからかう子どものような性格をしておる故、儂は苦手だ」
「アンタが俺に初めて接触してきた時を思い返すと、アンタも人の事言えないと思うんだけど……」
有可は軽くツッコミを入れてみたが、その言葉はスルーされた。わらびは「それで……」と少年──迦遇槌命に言葉をかける。
「本当に、何のために儂らに声をかけてきた? すぐにでもへばりそうなユウカが無茶をして遭難せぬよう、驚かせて追い返そうとでも思ったか?」
「うーん……どちらかと言うと逆かな? 小狐ちゃん達が早く山頂にたどり着けるように、応援しに来たとでも言うか」
「……なに?」
怪訝な顔をして、わらびが首を傾げた。すると、迦遇槌命は「警戒しないでよ」と言って笑う。
「小狐ちゃん、今も困ってる人がいたら助けようって息巻いているんでしょ? その延長みたいな感じで、ちょっと頼まれごとをしてくれないかなーって」
「頼み? そなたがか?」
わらびが非常に困惑している。そんな様子も楽しそうに見ている迦遇槌命は、なるほど、たしかに相対しづらい性格かもしれない。
「そう。けど、小狐ちゃん、今は別の人を助けようとしているところでしょ? そこで僕が頼み事を重ねたら悪いなって思って。ほら、小狐ちゃん、二つ以上仕事を抱えてると同時に進めようとしてテンパるタイプだし、僕が神様だから先に片付けてやるかー、みたいな感じになったら割り込みしたみたいで悪いじゃない?」
言っている事は、まぁたしかにそうかもしれないな……と思えるだけに、苦虫を噛み潰したような顔をしているわらびが怖い。僧侶やたつも、ハラハラとした表情をしている。
「だから、まずは小狐ちゃん達が今抱えてる話を早く終えられるように応援しようと思って。山頂に着いたら、解決するかもしれないんだよね?」
そう言ってどこからかポリエチレンテープで作ったポンポンを取り出し、「フレー! フレー!」などと叫んでくる。
「応援と言うよりも煽りではないか。どこまで話を把握しておるのか知らぬが、山頂に着いただけで解決というわけではないぞ。あと、儂への応援は要らぬ。登山で難儀しているのは、そこのユウカだけ故」
「あ、やっぱり? そんな気はしたんだよね。夏場に暑さでバテてる犬みたいな顔してたし」
どんな顔だ。……いや、聞きたくない。頭を抱える有可に、迦遇槌命はてこてこと近付いてくるやニッと笑った。
「神の山で体力が追いつかず難儀している、そんなユウカくんに、神様として救いの手を差し伸べてあげよう! ……と言っても、こういうのは自力で登ってなんぼみたいなところがあるから、一瞬で山頂に連れて行ってあげるみたいな裏技じゃないけどね」
そう言って、迦遇槌命は「ほら」と指を差す。その先には、先ほどのオレンジ色の看板があった。
「小狐ちゃんの推測の通り、この看板はこの登山道を四十分割して、そのうちのどこにいるのかを示す物だよ。この看板に辿り着く度に、次の看板までは頑張ろう、って思うと良い。そうすると、案外最後まで行けるものだよ。……あ、でも本当に無理そうならすぐ引き返してね。やっぱり、遭難者はできる限り減らしたいし」
そう言って、「それから……」と少しいたずら小僧のような顔をする。
「この看板、上に行くにつれて段々面白くなるから。それを楽しみに登るのも一つの手だよ」
それだけ言うと、迦遇槌命は「じゃあ、神社で待ってるねー」と言って姿を消してしまった。
「……救いの手って言うか……根性出す方法を教えてもらっただけのような気が……」
「ああいう奴よ……」
呆然とする有可に、わらびは呆れた声で言う。そして、彼女は「それで……」と有可に視線を向けた。
「どうする? 本当に辛かったら、儂達だけで行くが……」
その問いに、有可は「行く」と即答した。
「こんなにすぐに引き返したくないし、根性出せば何とかなるって話なら、大丈夫だと思う。俺、体力は無くても根性はあるつもりだから」
「そうか。……そなたが自分で決めてそう言うのであれば、止めはせぬが……」
妙に、歯に物が挟まったような言い方をする。その態度に疑問を感じつつも、有可は再び山道を登り始めた。
「よし! じゃあまずは、4/40って書かれた看板目指して頑張ってみる!」
そう言って登る姿を、わらびは複雑そうな顔で見ていた。……わらびだけではない。姿を消して山頂へ先行したはずの迦遇槌命も、木の上から難しいパズルを解くような顔で、有可達一行の様子を見詰めていた。
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