第6歩 嵐山散策、駅での撮影、甘味はどこで?

「すみません、駅まで送ってもらっちゃって」

 阪急嵐山線の嵐山駅にて。観光客に頭を下げられ、わらびは「良い良い」と上機嫌で手をひらつかせた。

「アテも無くぶらぶらしておったのだ。迷い人を駅まで送るぐらい、大層な事ではない故、気にしなくても良いぞ」

 その口調と、胸を張ってどこか偉そうにしている様子がおかしかったのだろうか。観光客はくすりと笑うと、「じゃあ、これは心ばかりのお礼という事で」と言いながら、わらびの手に飴玉を一個握らせた。口に入れたらしばらくは喋る事ができなくなりそうな程に大きな飴玉だ。

 甘い物好きなわらびはそれに目を輝かせ、「有り難く頂戴する!」などと大きな声で言っている。後ろに立っていた有可は、思わず他人のフリをしたくなった。

 観光客と別れると、わらびは早速、もらったばかりの大きな飴玉を口に放り込み、コロコロと転がしながら舐め始める。頬が飴玉で大きく膨らみ、ハムスターのようだ。

「……なんでわらびと嵐山散策なんて事態になってるんだ……」

 自分は飴を貰えなかったからではないだろうが、少し拗ねた様子の有可に、わらびは「何を言っておる」と飴が入っていない方の頬を膨らませた。どちらの頬も膨らみ、結果としてハムスターみが増している。

「そなたこそ、せっかく愛知から京都まで来ておいて、なんでまた戻橋の下を撮っておったのだ。戻橋下の式神は儂がいるとわかったのだから、もう良かろうに。一人橋の下を撮り続ける姿が見ていて寂しくて、思わず散策に連れ出してしまったではないか」

「そこはこう……放っておいてほしい……」

 がっくりと肩を落とす有可に、わらびは「そうもいかぬわ」と口をとがらせて言う。

「戻橋の下は、仮にも儂の住居ぞ。そなた、自宅の前に、無表情で自宅を撮影し続ける人間が立っておったらどう思う?」

「……不気味」

「……で、あろう?」

 わらびが、勝ち誇った様子で胸を張った。その時だ。

「あのー、すみません。写真、お願いできますか?」

 先ほどとは別の観光客が、声をかけてきた。二人組で、それぞれ手にデジカメやスマートフォンを持っている。

「あぁ、良いですよ」

 写真であれば自分の出番だろうと、有可は張り切ってカメラを受け取ろうとする。だが、悲しいかな。

「む? 儂か?」

 カメラやスマートフォンを手渡されたのは、わらびだった。差し出された有可の手が、空しく宙を掻く。わざと忌避したようには見えなかったので、単純に存在に気付かれていなかったものと思われる。……が、空しいものは空しい。

「……む? これはどこを押せば良いのだ?」

 カメラを触りながら首を傾げるわらびに、有可は疲れた顔で言葉無く指さしでシャッターボタンを示す。その様子に観光客達は怪訝な顔をしていないので、有可とわらびが二人連れだという事には気付いてくれたのだろう。だが、カメラを託されたのはわらびなので、ここで有可が撮影を変わるのも何か違うだろうと思い、撮影風景を眺めるのみに留めておく。

 撮影が終わり、カメラを返すと、観光客は礼を言った後に「もう一つ、すみません」と言葉を足した。

「甘い物を食べたいって話をしてたんですけど、この辺りでオススメの喫茶店とか甘味処があったら教えてもらえませんか?」

「甘味処か……ふむ……」

 わらびが考え込んでいる。それなら、と有可はそっと挙手しつつ口を開いた。

「えっと、甘い物なら、前に来た時に美味しかったお店が……」

「あ、わからないなら無理に思い出そうとしなくても……」

「もし知ってたら、教えてもらえたら嬉しいなー、ぐらいの気持ちで訊いてますから!」

 観光客と、有可の言葉が被った。しかも、観光客の方が声が力強かったため、有可の声はかき消されてしまって聞こえていない。

「あ、その……」

「ふむ……儂が自分で行った事は無いのだが、渡月橋を渡ってすぐの川沿いにある甘味処の抹茶パフェが美味いと、以前誰かが言っておったな」

 今度は、わらびと言葉が被った。

「そうそう、パフェと言えば。祇園の辺りへ行く予定はあるか? あの辺りは美味くて見目も良いパフェを食する事ができる店がたくさんある故、行く予定があるならそこでもパフェを食べてみるのがオススメぞ。……何? そんなにパフェばかり食しておっては太ってしまう? 何を言うておる。二人とも十分細くて、愛らしい姿をしておるではないか。旅行の時ぐらい、いつもよりたくさんの甘味を味わったとてバチは当たるまい」

 祇園の喫茶店から金でももらっているのかと問いたくなるほど、わらびが祇園の店を推している。……まぁ、彼女の事であるから、純粋に以前食べて美味いと感じた店を紹介したいだけなのだろうが。

 そして観光客達は、結局有可とは一言も喋る事が無いままに行ってしまう。その後ろ姿を眺めながら、有可は「はぁぁぁぁぁ……」と深いため息を吐いた。

「む。どうした、ユウカ? 野分のわけのようなため息を付きおって」

「野分って台風の事だよな? 流石にそこまで激しくはなかったと思うんだけど?」

 言葉の端々に、棘がある。

「うーむ……わかりやすく拗ねておる……」

「拗ねてないって。ただ、その……俺ってそんなに存在感無いかなぁ、と思って……」

 そう言って地面の石を蹴ろうとしたが、足元に石が無く、足は宙を蹴るに留まった。その様子に、わらびは苦笑する。

「まぁ、たしかに写真撮影はそなたの特技であるし、任されたかったであろう事は容易に想像がつくが……」

「え? あ、いや……特技って言えるほどの腕じゃ……」

 謙遜ではなく本気で困った様子で有可が言った、その時だ。

「おや、お二人とも。こんなところにおられましたか」

 聞き覚えのある声が聞こえて、二人は振り向いた。見ればそこには、先日石清水八幡宮まで同道したあの〝仁和寺にある法師〟が立っている。

「あ、こないだの……」

「御坊、いかがいたした? 石清水八幡宮の本殿に参拝するという願を果たして、未練無くあの世へ向かったものとばかり思うておったが……」

 たしかに、と有可も思う。この僧侶は数百年前に石清水八幡宮に参拝したつもりが、麓にある神社と寺を見ただけで帰ってしまい、それが未練となってこの世に残っていた。一人で行くとまた勘違いで参拝を果たせずに帰ってきてしまうのでは、という懸念を解消するために、有可とわらびが同道したのだ。

 あれは、三月上旬のことだったと思う。今は、五月の中旬。僧侶と石清水八幡宮へ行った日を始点と考えても、四十九日以上過ぎている。だから、とっくにあの世へ行って閻魔大王の裁判も終えているものと思っていたのだが。

 わらびがそう言うと、僧侶は「実は……」と少々言い難そうに切り出す。

「たしかにあの後、三途の川までは行ったのです。ですが、そこで放ってはおけない方々と出会ってしまいまして……」

「放ってはおけない?」

 有可が首を傾げると、僧侶は頷き、そして背後に向かって「どうぞこちらへ」と言葉をかけた。見れば、僧侶の後ろに更に二人いる。三途の川で出会ったと言っているし、間違い無く霊だろう。

 僧侶が連れてきた二人の霊は、片方が二十代ぐらいの女性で、もう一人は二歳ぐらいの男の子だ。どちらも汚れた着物を着ている。日常的に着物を着て仕事をしたり遊んだりしていた時代の霊だろうか。

 男の子は物珍しげに辺りを見ているが、女性の方が酷く不安げな表情だ。

面立ちが似ているが、親子だろうか。そう問うと、僧侶は「そう聞いている」と頷いた。

「それで……この母君の方が、三途の川の向こうへ行くのが怖い。自分だけであればともかく、この子を行かせたくない、と。川の縁で立ち竦んでいましたのでお話しを伺ったところ、これはわらび殿やユウカ殿のお力を借りるべきであると思いまして……」

「儂らの力を?」

 目を瞬かせたわらびに、総量は「えぇ」と頷く。

「詳しい話は、当人から聞いた方が良いでしょう」

 そう言って、僧侶は母親の方に「さぁ」と話を促す。すると、母親は恐る恐るながらも口を開いた。

「あの……どこから話せば良いか……」

 すると、わらびがすかさず「ふむ」と唸った。

「たしかに、いきなり話せと言われても困るであろうな。では、儂が聞きたいと思う事を質問していく故、それに答えてくれぬか? 訊かれなくとも、話しておきたい事や思い出した事があれば話してくれて構わぬ」

 わらびの提案に、母親はホッとした表情で頷いた。上手く説明せねば、と気負っていたのだろう。その様子ににこりと微笑み、わらびは「では……」と言葉を継ぐ。

「まず、そなたらの名前を訊いても良いだろうか?」

 言わなくても良いが、これだけ人数がいると名前があった方が呼びやすい、とわらびは言う。

「は、はい……。私は、たつ。この子は源太と申します」

「ふむ……服装や名前から考えて、明治より前の生まれ、という認識で良いだろうか?」

「めいじ……とは? ……あぁ、元号ですか? 大分時が経ってしまいましたのではっきりとは覚えていませんが……たしか私は貞享、この子は宝永の生まれです」

 告げられた元号を、有可はスマートフォンで密かに検索した。どちらも江戸時代の元号だ。

「お子の年頃から察するに、亡くなられたのは共に宝永の頃であろうな。……辛いことを思い出させて済まぬが、日は恐らく二人同時か、長くても数日程度の違いであろう」

 母と子、同時に亡くなったか。もしくは、どちらかが亡くなり、遺された方も後を追うように数日で亡くなったのだろう。そう告げたわらびに、母親──たつは暗い面持ちで頷いた。

「……何故、母と子が揃って亡くなってしまったのか。訊いても良いか?」

「……火事で」

 たつは、震えながらか細い声で答えた。震える母を心配してか、源太がたつの袖をきゅっと引っ張る。その小さな体を、たつは抱き上げ、そしてぎゅっと抱きしめた。

 わらびは、「そうか」とだけ呟くと、しばらくの間考える素振りを見せる。そして、たっぷり五分は考えたかと思うと、「のう……」と口を開いた。

「これは儂の勘だが……そなたら……いや、たつが三途の川を渡りたくないのは、ひょっとしてそなたらの死因となった火事が原因ではないのか?」

 その言葉に、たつが目を丸くした。顔が「何故わかるのか」と言っている。これはわらびの勘が当たったな、と。有可は僧侶と声に出さず頷き合った。

 たつは「はい」と頷くと、源太のことを更に強く抱きしめる。苦しいと感じたのか、源太がたつの腕の中で軽く呻いた。その声に、たつは慌てて腕の力を緩める。力を緩めるのと同時に、結ばれていた口も緩んだ。

「もしも地獄へ落ちてしまったらと思うと、怖くて……」

「地獄へ?」

 オウム返しをしたわらびに頷き返し、たつは源太を抱き直す。

「地獄には、亡者を焼き尽くす恐ろしい刑場があるのだとか……。先ほど申し上げた通り、私と源太は火事によって命を落としました。……本当に熱くて、苦しくて……。もし地獄に落ちて、そこでまた火に焼かれるような事になったらと思うと恐ろしくて、恐ろしくて……」

 それを聞いた途端に、有可とわらびは二人揃って僧侶に視線を向けた。その目は暗に「地獄の話なら仏教なのだから、お前の仕事だろう」と言っている。それは了解しているのか、僧侶は苦笑しながら「いえいえ」などと言う。

「私もその話を最初に伺って、すぐに説明しましたよ。誰もが地獄に落ちるわけではないし、落ちたとしてもどのような刑に処されるかは生前犯した罪によって決まる。母君の方は流石に何とも言えませんが、お子の方は年齢的にも重い罪を犯しているとは考え難く、よって火で焼かれるような地獄に落とされることは無いでしょう、と……」

「……御坊。さてはそなた、説明をするのが苦手であろう?」

「地獄に落ちるかもって不安になってる時に、『何とも言えない』とか言われたら、あとで何言われても不安が増すだけのような……。あと、この言葉が効いてるせいか、『火で焼かれるような地獄に落とされることは無いでしょう』って言葉のあとに、括弧書きで『多分』って書かれてそうな印象を受けるというか……」

 有可がそう言うと、僧侶は「えっ」と短く声を発し、その後絶句した。

「とにかく……たつは、三途の川を渡ったあとに地獄で火刑にされるかもしれない、というのが怖いのだな?」

「はい」

 頷いてから、たつは「あ、いえ……」と首を横に振った。不思議そうな顔をする一同に、たつは「その……」と言い淀む。

「私は、良いんです。……いえ、良くはないですけど。もしも地獄へ落ち火刑に処されるような判決が下されたのであれば、それは私の生前の行いによるものですから。ですが……源太は、まだ三つです」

 二歳に見えたが、三歳なのか。……と思ってから、昔と今では年齢の数え方が違うという事を有可は思い出した。数え年で三歳、満年齢で二歳ぐらい、という事だろう。

「幸か不幸か、源太は火が回る前に命を落とし、生きながら火に焼かれる経験をせずに済みました。このまま、痛い思いや怖い思いをせぬまま来世を迎えて欲しいのです」

 それで、火で焼かれる刑にされてしまうかもしれない地獄を恐れ、三途の川を渡れずにいた、という事か。

「ですが、このままいつまでも川を渡らぬわけにもいかないでしょう。未練があり中々三途の川へも行かなかった私が言っても説得力は無いでしょうが、早く渡れる事にこした事はありません」

 だが、どのように話せば彼女達に安心を与え、三途の川を渡ってくれるようになるかが僧侶にはわからないという。それで、わらびと有可に丸投げ……もとい、助力を請うてきた、というわけだ。

「ふむ……要は、たつに〝少なくとも源太は大丈夫〟と思わせる事ができれば良いわけだな?」

 わらびの確認に、僧侶は頷いた。それに対し、わらびが頷き返す。

「それであれば、方法が無くはないかもしれぬ」

「えっ?」

 叫び声をあげたのは、誰であったか。ひょっとしたら、全員かもしれない。目を丸くしている一同の様子に、わらびはどこか楽しそうだ。そして、ピッと駅の外観上部を指差した。そこには、「阪急嵐山駅」の文字が見える。

「丁度、ここは嵐山なのでな。都合が良い」

 そう言われても、何故嵐山だと都合が良いのか、誰一人としてわからない。首を傾げる一同に「早く来るが良い」などと言いながら、わらびはスタスタと駅の外へと歩いて行った。

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