第5歩 登頂と記念写真、最後はケーブルカーで

 四十分は歩いて、登っただろうか。息を切らしながらも、有可はなんとか山頂に辿り着いた。

 登り切ると、まずは山頂に着いたという感動が湧き上がってくる。吸い込んだ空気が美味い。

 見れば、僧侶も感動しているのか、全身が小刻みに震えている。何しろこちらは、山頂に辿り着いただけではない。数百年越しの念願が叶ったのだ。感動は有可の比ではないだろう。

 三人連れ立って鳥居をくぐり、手水舎で手を清め、南総門を通る。すると、すぐ目の前に本殿がそびえ立っていた。

「これが……」

 それだけ呟いて、僧侶はそのまま黙り込んだ。これがあの時、お参りどころか見る事もせずに帰ってしまった本殿か。そう思ったら、感極まって言葉が出なくなってしまったのだろう。

 本当は、今目の前にある本殿は、僧侶が数百年前に見ずに帰ってしまった本殿そのものではない。これまでに保延、建武、永正の三回炎上している。現在の社殿は、寛永八年(一六三一)から十一年(一六三四)にかけて徳川家光が修造したものらしい。

 電車に乗っている間に調べたので、有可はそれを知っている。そして恐らく、千年もの間、戻橋の下で暮らしてきたわらびもそれを知っているし、ひょっとしたら僧侶自身もそれは承知しているかもしれない。

 しかし、誰一人としてそれを口にする者はいない。口にしたところで、僧侶の感動に水を差すだけで何も生み出さない。僧侶は躊躇っていた石清水八幡宮への再度の参拝を決意し、今、遂に辿り着いた。それで良いではないか。

 そう、自分に言い聞かせて。有可はわらびや僧侶と並んで、本殿に向かい合った。そう言えば、僧侶は賽銭を持っていないだろうから自分が出した方が良いのか? と有可が考えている間に、わらびが僧侶の分の賽銭まで納めてしまった。そう言えば、必要になった時に備えて時々小金を稼いでいるのだったか。

 参拝を済ませ、それから少し迷うように、首からぶら下げたカメラに触れる。しばらく逡巡した後に、意を決して「なぁ」と声を発した。わらびと僧侶が、何事だろうと言いたげに有可の方を見る。そんな二人──特に僧侶に向かって、有可は言った。

「その、さ……。写真、撮らないか?」

「写真、ですか?」

 不思議そうに言う僧侶に、有可は頷いて見せた。

「そう、写真。今、ここで撮ってさ。後から、アンタはたしかに石清水八幡宮へ行ったんだって思い返せるように」

 先ほど、山を登りながら写真を撮っていて。バテていたはずの己があまりにイキイキと写真を撮っているものだから笑い出したわらびと僧侶に「笑うな!」と有可が怒った時。その構図と二人の笑い顔が良いと思い、何も考えずにシャッターを切っていたのだ。そして、そのデータはちゃんとカメラに残っていて、サブディスプレイで確認する事もできた。

 その時に、思ったのだ。この二人は霊だが、写真に撮る事ができる。ならば、無事本殿にたどり着けた時には、記念写真を撮ると良い思い出になるのではないか、と。

 思い付いた時は、良い考えだと思った。今も、良い考えだと思ってはいる。だが、相手はどうだろうか? 有可の提案をお節介だとか、良い迷惑だと思ってはいないだろうか?

 相手の反応が気になり、息を呑む。緊張で、カメラを持つ手が少し震えた。

 すると、まずはわらびが「ふむ」と声を発した。

「面白いではないか。写真であれば、後ほど紙に印刷する事もできるであろう? それを燃やして供養すれば、御坊があの世へ行く際の良い土産になる。そうは思わぬか?」

「それは……たしかに」

 わらびの言葉に、僧侶の目が輝いた。その反応に、わらびは「決まりだな」と言って笑う。

「……というわけだ。ユウカ、儂も一緒に写る故、撮ってくれぬか?」

「わかった!」

 そう返した声は、これまでに発した中で一番大きかったように思う。

 二人を本殿が見える位置に並ばせて、有可は他の参拝客の邪魔にならない場所に移動した。本当は有可も一緒に写りたいところだが、三脚が無いので仕方が無い。……と言うか、寺社仏閣は三脚の使用禁止の所も多かった気がする。持っていたとしても、使うのは止しておいた方が良さそうだ。

 そう言えば、ここに来るまでに戻橋の下やら山の中やらで結構な枚数の写真を撮った。電池の残量は大丈夫だろうか、と見てみれば、まだ八十パーセント程度残っている。思ったよりも、電池の保ちが良い。

 さて。二人に向かって「撮るぞ」と言いたいところだが、他の参拝客の耳目もある。あくまで、一人の写真好きが風景として写真撮影している風を装いつつ、口パクで合図をして見せた。

 こちらの意図を察してくれたらしく、わらびが頷き、僧侶と一緒に笑顔を作ってくれたのをファインダー越しに確認する。コスプレめいた格好のわらびと、少々襤褸を纏っている感が否めない僧侶が笑顔で並び立っている様子は、よくよく考えるとちょっと面白いかもしれないな、と思いながらシャッターを切る。カメラからピピッという音が聞こえた。すぐに、サブディスプレイで撮れた写真を確認する。

 ……良い写真が撮れたな、と。見た瞬間に有可は思った。

 楽しそうにしているわらびと、嬉しそうな僧侶。二人とも、良い笑顔だ。二人の見た目年齢はまるで違うのに、まるで友達同士で旅を楽しんでいるかのような雰囲気が出ている。見ているだけで、楽しく、嬉しい気分になれる写真だった。

「どうだ、ユウカ? 綺麗に撮れたか?」

 駆け寄ってくるわらびと僧侶に、「ほら」と言って画面を見せる。するとわらびが、「おぉー!」と感嘆の声を発した。

「よく撮れておる! すごいではないか、ユウカ! これほどまでに写真の腕が良いとは思わなかったぞ!」

「本当に……私もわらび殿も良い表情で写してくださって……。良い絵にございます。まさか、このような冥土の土産を頂けるとは……なんと贅沢なお話しでしょうか……」

 わらびにも僧侶にも褒められて、どことなくむず痒い。

 照れくさくてついそっぽを向いてしまった有可に、わらびは言った。

「ところで、ユウカ。帰りはケーブルカーとやらに乗らぬか? ユウカから話を聞いてから、気になっておってな」

「……話が切り替わるの、早過ぎないか……?」

「おや。ひょっとして、もっと褒められたかったのか? 良いぞ。ケーブルカーの中で、ユウカが赤面するほど褒めてやろうではないか。のう、御坊?」

「そうですね。できれば、ユウカ殿の他の写真も見てみたいものです」

「うむ。そういうわけだ、ユウカ。まずは、そなたがこれまでに撮った写真を儂らに見せるが良いぞ」

「えっ……えぇ……」

 それはそれで恥ずかしいような……。そんな事を言えば、わらびが冷やかしの言葉をかけてくる。そしてそれを見て僧侶は笑っている。

 そんな賑やかな会話を繰り広げながら歩き、帰りはケーブルカーの駅へと向かう。

 ケーブルカーは小ぶりで、外の景色を全員が見る事ができるようにするためか、構造上の仕様なのか、内装の床が段々になっている。このような内装で、テンションが上がらないわけがない。

 二人がけの席にわらびと僧侶が隣り合って座り、その横の席に有可が座る。物珍しげに車内をキョロキョロと見回している二人を撮影するのも、また楽しい。

 そうして楽しくしているうちにケーブルカーが発車し、車内で音楽が鳴り響いた。車内放送が始まり、利用へのお礼や石清水八幡宮の説明らしきナレーションが流れていく。

 それに耳を傾けていると、ナレーションの中で徒然草の話が始まった。その流れに、有可は少しだけ嫌な予感を覚える。

 案の定、ナレーションは「京都のとある法師」の話を始めたではないか。

 恐る恐る見てみれば、法師は顔を真っ赤にして縮こまっている。それは、そうだろう。まさか数百年前の自分の失敗が、観光用のケーブルカーで語られるとは。

 わらびを見てみれば、彼女は彼女で「どうしたものか」という顔をして苦笑している。どうやら、これは自分自身で乗り越えてもらうしかなさそうだ。

 苦笑しながら、二人で僧侶へのフォローの言葉を探す。そうこうしているうちにケーブルカーは麓に着き、有可と式神のわらび、僧侶の霊の三人で行く珍道中は、終わりを迎えたのだった。

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