短編集『レメチェロの日常』

八咫空 朱穏

あまくて、あたたかいもの

「フェネルしゃまさまー」


 客の来ない時を見計らって、台所で休憩きゅうけいしてるフェネルさまに声をかける。

 メルの声に気付いたフェネルさまが顔を上げる。ハチミツのあまにおいがしているから、レモネードを飲んでいるのだろう。


「ん? メィリィ、飲み物が欲しいのかい?」

「メル、ココアがのみたいれすです

「最近、大分寒くなったもんねぇ」


 フェネルさまは、湯気の立ち上るレモネードを一口飲んで立ち上がる。

 そして、小鍋こなべを出して、砂糖さとうふくろとココアの粉が入った袋を探す。


「それで、砂糖はどれくらい入れるんだい?」


 甘い飲み物を作るときは決まって甘さを聞かれる。ご主人さま、フェネルさま、そしてメル。みんな好きな甘さが違う。大体の甘さはそれぞれ決まっているけど、その日の気分で甘さを変えたいときがあるから念のために、とのことらしい。

 今回はそれを使って、ちょっとやりたいことがあるのだ。


「すくなめがいいれす」

「ん? メィリィは甘い方が好きなんじゃないのかい?」

「今日はあまいの、のみたくないのれす」

「うんうん、そういう日もあるもんねぇ。今作るから、ちょっと待っててねぇ」


 フェネルさまは鍋にココアを入れて、それを魔法で出した火にかける。

 粉をってから、少しのミルクと砂糖を加えてココアを練っていく。ココアが溶けたチョコレートみたいになったら、更にミルクを加えていく。この時に、少しだけバターを入れるとおいしくなるらしい。

 メルには、なんでココアにバターを入れるのかはよくわからない。多分、これも魔法のひとつなのだろう。

 もちろん、フェネルさまは当然のようにバターを少しだけ鍋に加えた。


 ものの数分で、アツアツのココアが出来上がる。

 鍋からティーカップにココアを注ぎながら、フェネルさまはメルにどこで飲むのかを聞いてくる。


「ここで飲むのかい?」

「違うところでのむのれす」

「そうかいそうかい。それじゃあ、トレーを用意しないとねぇ」


 フェネルさまは、魔法を使ってメル用の小さなトレーを用意する。そして、出来立てのココアをトレーの上にせる。

 そして、メルの背丈に合わせてしゃがんでくれる。


「はい、どうぞ。こぼさないように、冷めないうちに飲むんだよぉ」

「フェネルしゃま、ありがとー!」


 フェネルさまからトレーを受け取って、台所を後にする。

 今から向かうのは、地下の本がたくさんある部屋。ココアが冷めてしまう前に急いで、そしてココアをこぼさないように慎重しんちょうに進んでいく。




 ココアを運ぶメルの前に、分厚いとびらが立ちはだかる。メルの力では全く動かない分厚い扉。この扉の先が、ご主人さまがいる部屋だ。

 メルが扉を叩いても、ご主人さまは気付いてくれない。

 こういうときは、呪文を唱えると大体のことはなんとかなる。


「いたるくしゅ・むーを!」


 声なら扉の向こうに届くし、それと同時に扉も開けられる。

 魔法で扉を開けると、部屋の中に入っていく。


「あらメリッサ、どうしたの?」


 部屋の中には、いつも通りご主人さまがいる。

 大きな机にはたくさんの分厚い本と、色々書かれている紙が散らかっている。いつも通り、魔法の研究をしているみたいだ。


しゃめ冷めないうちに、どーぞ!」

「あら、飲み物をくれるのね。ありがとう」


 メルはトレーを差し出す。

 ご主人さまは、そこに載せられたティーカップをのぞいて、不思議そうな顔をする。


「ココア……? メリッサ、自分で入れたの?」

「ううん、フェネルしゃまにちゅくって作ってもらったのれす」

「フェネルも気が利く時があるのね」


 そう言ってココアに口を付ける。


「ん……温かくて、甘いわ。でも、今の私には丁度いいかも」

「甘かったれすか?」

「いつもよりは、ね」

「そーれすか。今度ちゅくりゅ作るときは、しゃとー砂糖を入れないよーにしないとれすね」

「えっ……?」


 ご主人さまは、メルを見て、ココアを見て、またメルを見る。

 びっくりしているみたいだ。


「どーしました? ご主人しゃま?」

「これ、フェネルが作ったのよね?」

「メルが、フェネルしゃまに頼んでちゅくってもらったのれす」

「メリッサが頼んだの?」

「うんっ! ご主人しゃまのためにれす!」


 ご主人さまはもう一度、ココアを見て、今度はゆっくりとメルの方を見る。


「……。メリッサの優しさの分だけ、このココアは甘くなったのね」

「……?」

「ありがとう、メリッサ」


 ご主人さまは、左手に持っているティーカップを机に置くと、空いている右手をそっと、メルの頭に置いた。その手はゆっくりと動いて、メルの頭を優しくでる。

 ご主人さまがこうしてメルの頭を撫でるときは、めてくれる時だ。特別褒めてくれる時はこうして、優しくゆっくりと頭を撫でてくれる。


「えへへー」


 頭を撫でられている間にうつむいた顔を上げて、ご主人さまにとびきりの笑顔を返す。

 ココアを飲まなくても、メルの心はぽかぽかになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る