現在――二〇二一年 十二月二十九日 水曜日②

 三メートルぐらい先で人魂のような光が揺らめいた。人魂は五秒と経たずに吉野りんかへと変化する。今日は赤ずきんの格好ではなかった。鳩マスクもかぶっていない。夏物の白いワンピースだ。服を自由に再現できるらしい。それに関してはうらやましいなと思いつつ、真冬にその格好は寒すぎない? とも思ったけれど、幽霊だから問題ないのかな。


「りんか先輩、お久しぶりです」

 緊張する。「瀬戸杏奈です。憶えていらっしゃいますか?」


「もちろんです」

 向こうも緊張しているらしい。吉野りんかは気まずそうな表情で頭を下げてくれた。りんかは左右をキョロキョロと見やって落ち着きがない。もっとりんとした感じの人だと思っていたのに……なんかイメージとちがう。


「吉野りんかです。ええっと、幽霊でして、あ、ご存じですよね。その、あの、こうしてまともに生きた人間さまにご挨拶するのは久しぶり――あ、噛んだ。すみません。なぜ噛んだのかというと、わたし、その、ひどく緊張をしていてですね――」

 めっちゃ早口だ。


「落ちつけ、先輩」

 モナカは幽霊が相手なのに冷静すぎる。「大丈夫、杏奈さんはいい人ですから。幽霊だからって、そんな理由だけで嫌ったりはしません。絶対に」


 絶対に、と勝手に断言されてしまった。ほんとですか? と言いたげに吉野りんかの目がきらめいたので、ひとまずはうなずいておいた。


「よかった。わたし、なにせ幽霊ですからね。嫌われても仕方がないと割りきって生きてきました。あ――いや、わたし死んでるんだから、生きてるって表現は――」

「話が長くなりそうなので、先にあれを見せてあげてください、先輩」

 モナカが冷然とりんかの早口をさえぎった。


「あ、はい」

 りんかはうなずいて、ワンピースのポケットに片手を突っこんだ。「どうぞ」


 取りだしたのはルビーリングだ。ルビーが大きい。その周辺を小粒のダイヤモンドで装飾していた。これが――氷沼紅子のピジョン・ブラッド! 


「九億円のルビーリングはずっと、りんか先輩が持っていたのです」

 モナカがそう言うと、りんかは「すみません、めんぼくないです」と杏奈に頭を下げた。

「いや……わたしに謝る必要はないですけど、なんでずっと持っていたんですか?」

「それは、はい、まあ、その、わたしにも悪いところがあってですね、それで――」

「端的に言うと、殺されたはらせに盗んだんですよ」

 モナカが教えてくれた。「面目ない……!」と、りんかは泣きだしそうな表情だ。やっぱり、なんかイメージとちがう。


「なんて言ったらいいのか……まあ、仕方ないですよ」気持ちはわかる。杏奈はなぐさめの言葉をかけた。「殺されたら怒って当然ですから。仕方がな――」

「仕方なくなんかない!」キレられた。「泥棒は犯罪です!」


 思い出した。吉野りんかは生前、かなり正義感の強い人だったらしい。


「す、すみません。りんか先輩のおっしゃるとおりです。ごめんなさい」

「いえ……あ、あ、あああ、その、わたしこそ取り乱してしまい、面目ないです」


 面目ない、は口癖なのだろうか? りんかは、ふたたび泣き顔になる。土下座しそうな勢いで深々と頭を下げてきた。


「先輩は、いい人なんですよ」

 モナカがフォローする。「わたしが怨霊なら、殺された腹癒せに殺し返します。それを窃盗ですませるんですよ。善人中の善人です」

「そんなことは!」りんかは号泣しそうだ。「わたしは……泥棒です。罪深いんです」

「まあね。でも死んでるし、逮捕はされません。ひらきなおりましょう」


 モナカのこの慰め方はどうなのだろう。不本意な死に方をした人に対して、配慮が足りていない気がする。面倒なのでツッコむのはやめたが。


「ルビーリングは隠し部屋にあったんですか?」

 気を取りなおして杏奈がりんかに質問した。


「そうです、もともとは。それをわたしが盗みました。村木が展示室内に鍵をかけて、なにやら、こそこそやっているなと、わたしも生前から気づいてはいたんです。だから死んで幽霊になったあと、透明化して、村木にこっそりくっついて展示室に入ったんですよ。そしたら村木が急に、台座の時計の針を回しはじめて、それで……」


 隠し部屋を発見したわけか。


「後日、わたし単独で展示室に赴き、隠し部屋からルビーリングを運びだしました。村木たちが殺されたのは、それから三日後です。本当はすぐに返すつもりだったんです。そのつもりが、古坂一郎の死体を放りこまれてしまい、怖くなって……」

 まあ、無理もないか。古坂は彼女を殺した犯人のひとりだ。殺されたときの恐怖がよみがえって、本当に怖かったのだろう。

「それで……返却のタイミングを逃してしまい、こんにちにいたります。面目な――」



「ってなわけで、いままでずっと、こうして先輩が九億円のルビーリングを持ちつづけていたのです」

 りんかがひとしきり謝罪の弁を口にしたあとでモナカが言った。


「八年前の事件を経て空室が激増した。それ以前から空室はあった模様ですが、とにもかくにも空室のドアはふつう施錠されています。しかし、寮生が部屋から退去する直前か、寮生が出たあとに清掃業者が来ますから、業者が仕事を終える前に透明化して部屋に忍びこんでおけば、鍵は内側から外せるのであとは自由に出入りができる。りんか先輩は空室でこの八年間、ずっとそうやってすごしていたのです」


「すみません、家賃も払わずに!」

 りんかは今度こそ土下座しそうな勢いだ。「お金がなくて、ごめんなさい!」

「家賃の支払いなど幽霊には関係のない話です。ひらきなおりましょう、先輩」

「ひらきなおれたら、どれほど気が楽か……」

 りんかが長いため息をつく。「わたし、成仏なり昇天なりできるなら、ぜひともそうしたいのに、全然できなくて。家族をおどろかせたくないから実家にも帰れない」

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