6 警告文の犯人①
「なんの真似だ?」
若葉がモナカをねめつける。「どんなトリックだ、これは?」
「トリックではありません。りんか先輩が階段を下りている。ただ、それだけです」
モナカが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。「勝負ありですね、若葉先輩」
「黙れ、カス! 幽霊などいないと言っているだろうが!」
「います。わたしは例の警告文、とくに三回目の警告文で確信を深めました。第四女子寮には吉野りんか先輩の幽霊がいると」
杏奈の部屋の玄関ドアに落書きされていたのが、その三回目の警告文だ。落書きを発見した直後、杏奈は奇妙な視線に気がついた。階段の陰から杏奈のほうをじっと見つめていた赤ずきんの視線に。足もとは見えなかったけれど、カツンという、ハイヒールのパンプスめいた足音を耳にした。あれが、あの赤ずきんが、吉野りんかの幽霊だった……?
「あのときは、みなさんに合わせて仕方なく四人の寮生が犯人である可能性も検討しましたが、わたしのなかでは九分九厘ぐらいの割合でもう決まっていました。吉野りんか先輩が警告文の犯人なのだと」
足音は聞こえつづけている。靴音が響く間隔からして、ゆっくりと歩いているらしい。
「なんでそう思ったの?」
不可解な足音が
若葉と佐絵も同じはず。だから若葉も「言えよ」とうながしたのだろう。
「幽霊なんぞ信じちゃいないし、この足音もトリックだろうが、モナカがどんな理屈をこねくり回すのか、それには興味がある。少しだけ殺すのを待ってやる」
「では、言います」
「
足音がぴたりとやんだ。足音の主もモナカの話を聞きたいのだろうか。それとも若葉の言うとおりトリックだから、それを仕掛けたモナカがしゃべりだしたとたんに止まったのだろうか……。
「次に、警告文を発見した杏奈さんが赤ずきんの視線に気づいたときの状況を思い返してみましょう。あのとき、杏奈さんはカツンという足音を聞いたそうです」
さっきまで聞こえていた足音もそれと同じだ。
「階段の陰に隠れていた赤ずきんの足もとは見えなかったそうですが、ハイヒールのパンプスでまちがいないでしょう。すなわち、赤ずきんはあのとき、ハイヒールのパンプスをはいていた。ですが、それは奇妙な気がします。矛盾していると言ってもいい」
「矛盾……?」杏奈がたずねた。「なにが? どこが?」
「あのとき、杏奈さんはスニーカーをはいていましたよね?」
「うん、はいてた」
「それに対して、赤ずきんはハイヒールのパンプスです。ハイヒールのパンプスとスニーカー、どちらが走りやすいのかはことさら考えるまでもない。これらの事実をもとに推理すると、赤ずきんはあのとき、杏奈さんに捕まってもいいと思っていたのではないか――わたしはそう考えました。最初はね」
「捕まってもいいだと?」
疑問を口にしたのは佐絵だ。「でもよ、みんなで食堂に集まったよな。あのとき、警察にも突きださないから名乗り出ろって言ってやったのに、誰も名乗り出なかったじゃないか」
「それです」
モナカが佐絵を見て微笑する。
「あれはかなり寛大な処置でした。なのに犯人は名乗り出なかった。警告文の犯人は明らかに正体がバレるのを嫌がっている。嫌がっているのに、杏奈さんの前に姿を現した? 走りにくいハイヒールのパンプスで?」
「たしかに妙だ」そこは若葉も認めるらしい。「杏奈がビビって部屋に閉じこもったから逃げきれた。だが、すぐに追いかけていたら捕まえることだってできたかもしれない」
「そう、若葉さんのおっしゃるとおりです」
警戒する目つきのまま、モナカは若葉にうなずき返した。
「どだい、赤ずきんの格好で姿を現すことそれ自体がたいへんなリスクです。たとえハイヒールのパンプスをはいていなかったとしても、杏奈さんがすぐに追いかけていたら、赤ずきんを捕まえることは可能だったはず」
かもしれない。あの赤ずきんの衣装自体が走るのに向いていない、と杏奈は思った。
「即座に追いかけていた場合、大声で助けを呼びながら、そうしていたのでは?」
怒りにまかせて赤ずきんを追走するわが身を想像し、「たぶんね」と杏奈は認めた。
「あのとき、わたしも若葉さんも佐絵さんも、みんな寮内にいました。杏奈さんが大声で助けを求めてきたら急いで駆けつけて、みんなで赤ずきんを追いつめたはずです」
異論は出ない。
「よって――くり返しますが――あのとき杏奈さんの目の前に赤ずきんが姿を現した時点で、赤ずきんにとってはリスクでしかないのです。それなのになぜ、リスクを負ってまで姿を見せたのか。姿をさらけ出したとしても、逃げおおせる自信があったのか。あったとすれば、どのような方法で」
モナカがもったいをつけるように一同を見回した。
「実は、逃げおおせる方法がひとつだけあります。生きている人間には無理ですけどね」
若葉が鼻で嗤う。あえて反論はしないようだが。
「杏奈さんにはすでに教えました。幽霊は自由自在に透明になれると」
また若葉が鼻で嗤う。モナカの話を信じていないのは目に見えて明らかだが、杏奈はゆっくりとうなずいていた。たしかに教えてもらった。モナカの父と姉が幽霊に殺された事件の話を聞いたときのことだ。絶対に信じられない。そう思っていたけれど、いまは……。
「あのとき、杏奈さんの前に姿を現した赤ずきんは、階段の陰から少し体を出していた。そんな感じだったのでしょう? たとえ杏奈さんがすぐに追いかけてきたとしても、階段の陰に体の全部を隠せばいいのです。その程度なら一瞬ですむ。ハイヒールのパンプスをはいていようが関係ない。階段の陰に身を隠し、杏奈さんの視界から消えた一瞬のうちに、赤ずきんは体を透明化する。そうすれば、杏奈さんをやりすごせます。逃げ回る必要などないのです」
杏奈は我知らず首を縦にふっていた。たしかにその方法なら大胆に姿を現したとしても捕まるリスクはゼロに等しいだろう。だからハイヒールのパンプスをはいていたの? 最初から逃げ回る必要なんてなかったから。
「杏奈さんの前にわざわざ姿をさらしたのは、もちろん
「おまえこそ、わたしにひどいことを言うよな」
横槍を入れた若葉は嗤いつづけている。
「まあ事実だから、ひとつ教えてやろうか。三回目の警告文のとき、おびえる杏奈を見て、わたしは興奮した。だから佐絵さんに赤ずきんの衣装を着ろと命じたんだ。あの衣装なら全身を隠せるって利点もあるけど、一番の理由はそうじゃないんだよ。赤ずきんを見て杏奈が怖がっていた。またあんなふうにおびえてくれると思った。それが最大の理由だ」
とことん最悪だ。不快すぎて胃液を全部ぶちまけてしまいそうだ。
「三回目の警告文のとき、赤ずきんが姿を現したのは杏奈さんの身を案じてのことです」
モナカが話を戻した。
「若葉さんと佐絵さんが邪悪なことを企んでいるようだと気づいたのでしょう。ターゲットが杏奈さんかもしれないことにも。しかし、詳細まではわからなかった。勘違いの可能性だってある。けれども、勘違いではなかったとしたら……。熟慮の結果、万が一のことを考え、脅すことにした。最初は警告文だけで軽めに。それがあまり通じていないようなので、姿を見せた。これまでどおりと同じか、それに近いやり方を採用した」
これまでどおり、というのは、避難階段の件やストーカーの件と同じということだろう。
「話はそれだけか?」
一段と冷えた若葉の声。
「ええ、ここまで言えばわかりましたよね? 警告文の犯人は、五人目の――」
「ちがう!」若葉が怒鳴った。「警告文の犯人は貴様だ、モナカ。幽霊などいない」
「います。……平行線ですね」
「そのようだな。――処刑開始だ。まずは佐絵さんから」
唐突に宣言した若葉が、スレッジハンマーを構えなおした佐絵をにらみつけた。その瞬間だ。杏奈がそれを目撃したのは。
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